お雛祭りである。
狭いマンションの我が家には、三段飾りの、ケース入りのお雛様がある。
上の娘が初節句を迎えた際、わたしの両親が贈ってくれたものだ。
お雛様を出す、と言っても、箱から出してタンスの上にしつらえるだけである。子供の頃、実家でお雛様をしつらえるときのような大騒ぎにはならない。
七段飾りのそれは、床の間にお人形を設置するスチール製の段を設置することから始めなければならないもので、毎年、お雛祭りが近づくと、両親に祖母も加わって、大変なことになっていた。
お雛様、お内裏様はもとより、家来たちの小道具のひとつひとつ、牛車やお針箱、といったお道具を一そろえならべ終ってやっと出来あがると、ぼんぼりに灯を入れて家族中で眺めた。北陸の三月はまだ雪混じりの毎日だったけれど、お雛様を飾ると、もう春かな、というほのかな実感が沸いて来た。

お雛様見ておはします過去未来

お雛様の視線がどこを向いているのか、子供の頃、不思議に思ったことがある。焦点が定まっているのかいないのか分からない上に、口もやや開き気味、怖いと思ったこともあった。
わたしの見えていないものが見えている。
そんな気がした。
人形は時として、生きている人間を追い越して、この世に在り続ける。
実家のお雛様も、ここにあるお雛様も、もしかしたら、今こうしているわたしよりはるかに長くこの世に在り続けるかもしれない。
そうして、わたしという、かつては小さな女の子だった生き物が成長し、そうしてまた小さな女の子を産んで育てている様子を黙って見つめ続けている。

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