マニキュアのラメを落とせば夜の秋

  
  涼しくなった。
  ルージュも、マニキュアも、そろそろ秋の色に移行したくなる。 
  いつも思うのだが、もう若くない女のファッションというのは、流行っているものを意識しながらも、全面的にそれに依存しないで自分なりに少しずつ取り入れていくもの、なんじゃないかな。
  メイクするにせよ、服を着るにせよ、流行っているものは知っていますよ、そしてわたしはそれをこんなふうに理解していますよ、そしてわたしはこういうふうに解釈して取り入れているんですよ・・・そういう主張があるといい。
  つまり、世の中の上っ面の情報を丸呑みしないで、自分の頭で考えてから発信しろということ。
  だから、本当は、ことファッションに限らない。
  ま、いずれにしても、ラメはもう止めよう。
  どうしようかな。

  さて、話は変わる。
  先日、ダンス大好きチョーコの話を書いた。
  しかし、この娘、幼稚園で運動会の踊りの練習をしているとき、先生から、
 「チョーコちゃん、ぜんぜんかわいくない。」
と、言われたんだそうである。
  この先生は、若くて(23才!)元気が良くて、その割に保護者あしらいも上手、という末頼もしい先生なのだが、今までも、味噌汁のことを、
 「汁も残したらあかんでー」
などと子供に向かって声を張り上げるなど、ちょっと、言葉には気を付けてくださいな、ということがあった。何せ、こちらは、夫の母親から、
 「味噌汁、じゃないでしょう、おみおつけ、でしょう。」
と、言い直しさせられるような環境なのであるから。汁、なんて孫の口から言葉が飛び出したら、別室呼び出しである(もちろん、わたしが、よ。)ついでに、この母の前では、方言もダメである。神戸っ子のよく使う、
 「○○しとーよ」(○○しているよ)
も、使ってはいけない。ご自分は、
 「なんぼやったかしら」
と、立派に関西弁をお遣いなのであるが。
  と、まあ、そういうわけで、今回も、
 「先生、また失言?」
かと思った。しかし、けなげにお遊戯の練習をする年少児に、「
ぜんぜんかわいくない」は、あんまりだと思ったので、よくよくチョーコに状況をたずねると、
 「あのね、そのときね、チョーコね、踊りながら叫んでたの。
  めんどくっせーなあ!!って。」
・・・・そりゃ、確かにかわいくないよ。
 
  
  
     盆踊り サンバ マカレラ  さらば夏

 
  住んでいる人工島の夏祭りだった。
  このお祭りは、ここに多く住んでいる外国人たちがバカンスを終えて戻ってくる八月の終わりに毎年行われる。
  今年は、櫓の周りを回る恒例の盆踊りに加えて、外国人の「ダンスステージ」がプログラムに組み込まれ、思い切り楽しませてもらった。
  日本人でありながら、盆踊りのリズムよりも、ロックやサンバの方が身体になじんでいるのはなぜだろう。生まれ育った時代だとか、家庭環境だとか、分析すれば色々あるのだろうが、難しく考えるのは止めよう。とにかく、気持ちのいい音楽に身を任せてしまおう。

  ここで、わたしと同じようにノッていたのが次女のチョーコ
である。長女リーコとその父親(わたしから見りゃ主人)が、いい加減ダンスに飽きてその場を離れたくなっているのに、チョーコはまだまだ踊ると言う。(わたしも)
  こういうときだけは、わが子がひとりっ子で無くて嬉しい。リーコには行かなかったダンスのDNAが、チョーコには、受け継がれている。そしてわたしたち親子の前にも、幼い子供を肩車して、しっかりツイストをキメている「パパ」がいる。肩の上で大きく揺さぶられながら、浴衣姿の幼女は本当に楽しそう。こういう遺伝子は、どんどん残したい。きっと、もっと世界は平和になる。
  
  では、わたしの中のビート遺伝子は、どこから来たのだろう。
  誰が、注いでくれたものなのだろう。おそらくプレスリー世代の母親とは思うが。では、こういう母に、そういう遺伝子を渡したのは、誰?

  大音響の中、汗も時間も気にせずに踊っていると、それだけで何かが抜け落ちて行く気がする。何も考えない。嫌なことも、悲しいことも、もしかしたら実は大切なことも、どんどん、つぎつぎ、流れ出ていく。
  隣りで踊っていて、目配せをくれた人が誰なのか、名前も知らない。でも、笑顔を返す。
  目の前で笑いかける人とは、同じ言葉で話せない。だけど、気持ちは通じる。

  昔、聞いたことがある。
  盆踊りで、踊り手たちが、深い編み笠を被る理由。
「お盆でこの世に帰って来ている人が、もしも混じって踊っていても分からないようにするためだよ」
  教えてくれたのは、祖母だったか。母だったか。
  

      右横は彼かも知れぬ踊りの輪
     五月雨に溶ける低音 医師の声

 
  入院中、一日だけ、雨の日があった。
  病室には、外の雨音など聞こえるはずも無いのだが、時折、部屋のすみの窓を見やると、若葉がしなやかに身をよじるようにして、雨に打たれているのが見えて、そうすると、雨音も聞こえるみたいな気がしてくるのだった。

 「総室」と呼ばれる六人部屋である。
 子供たちが、次々退院しては入院してくる。
 カーテン一枚で仕切られただけなので、お互いの様子は特に興味を持たなくても伝わってくる。
 隣りのベッドにいるのは1才にもならない女の子。
 M医師の声が、低く、流れてくる。

 本来、チョーコの担当は、このM医師であるはずなのだが・・・。

 現在のアレルギー担当医のM医師が主治医で付くよう、きちんと指名しなかったのは、夫の責任である。救急から小児科へ引き継がれるときに、わたしが付いててやればよかった。
 ここであいまいなことをしたので、担当がH医師になってしまった。
 
 このひと、まず、救急で診てくれたんだが、やたら眠そうであった。
 午前六時すぎ、わからなくもないが。赤いフチのめがねの奥の目も真っ赤で、吸入の間中、やたらあくびを繰り返す。
 いよいよ点滴をしなければならない、という段になった。
 この病院では、点滴や注射など、子供が痛がる処置をする際、親は部屋から退出しなければならない決まりである。
 チョーコは左利きなので、左にはしないで欲しいと希望を言って診察室を出た。
 しかし、待てど暮らせど、呼ばれない。
 ようやく呼ばれたのは何分経ってからだろう、とにかく、いったん戸外まで出て、何本かメールを打ってから戻ってさらに五分近く経ってからである。
 しかも思いっきり左手に刺さっている。
 しかも、右手に三箇所も脱脂綿。
 三回右手で失敗して、左手も一回失敗したのか・・・。 
 子供だから暴れた?しかし、呼吸も自力でできかねるほど弱っている子供がそんなに暴れられるものなのか?。

 チョーコは、このH医師が回診で見えるたびに泣いていた。指を指して嫌がるときもあった。
 よほど、「針刺し」に懲りたのであろう。

 このひとは、白衣の下に、マリンブルーのTシャツなんか着こんで、昼間はコンタクトなのか、血の色のフチのめがねは外している。子供と話すとき、しゃがんで笑うとやんちゃそうな笑顔は、まだとても幼い。こういう場合で無ければ、可愛いお兄ちゃんであろう。やや太りすぎの気もするが。
 外来では、会ったことが無い。いつからここにおられるのかも知らない。
 やたら字が汚い。
 「は」が「10」に見える。
 後日、アレルギー担当医の外来の際、引継ぎでこのひとの字を解読するのに、M医師は本当に手間取り、その沈黙に耐えられなかったのか、診察室の隅で見学していた「研修生」の名札をつけた男の子(わたしから見て)が、次第に船を漕ぎ出す始末。
 その日、隣りの診察室には院長せんせいがおられたので、ふいにこっちに来られて彼の居眠りがバレたらかわいそう、何とか起こしたいけど、刺激ったってスカートめくるわけにもいかないし、チョーコが、
「おにーちゃん、寝てる!」
 なんて叫んだらどうしよう、なんていろいろ気を揉んでしまった。
 
 H医師、しかし、なぜかやたらと入院中に顔を合わせた。
 主治医なので回診時は当然なのだが、「デイルーム」と呼ばれる面会部屋で、レデイコミを読みふけって「挿れて・・・」なんて言い方があるんやーなどと知識を深めていると、チョーコじゃない担当児の様子を診にふらっと入って来られる。
 これが「電池が切れるまで」や「プライマリケア医のための最新栄養学」なんか読んでいるときには、来ない。
 廊下で、すっぴんで歩いていると、向こうから来る。
 前のベッドの「体重が重すぎて気道が圧迫されて喘息になっちゃった赤ちゃん」のお母さんと仲良くなり、「針刺し失敗」について思いっきり悪口を言っていたら真後ろに立っていた。

 主治医との相性の良し悪し、というのはある。
 が、一般的に言うような意味とはまた別のラインで、このひととは相性が悪かったのであろう。
 
 しかし、書きかけていた話の「レイン」のキャラ設定が、実はこのひとに近かったのである・・・。こいつは痛いよ。
  
   病院は白き繭なり 人波に染まらずありき 黄金週間
 
 
 チョーコの入院は、ちょうど、ゴールデンウィークと重なった。
 なので、主人と交代で看病することができて、良かったのでは、あるが。
 病院は、家から走れば5分、という距離であるから、病室の窓から見えるのはいつもの街であり、病院を一歩出ればそこにあるのは、いつもの道、である。
 交代のとき、自宅に帰ろうと外に出て初めて、その普段とはまったく違う、人の多さに「ああ、そうだ、連休だったんだ」と気が付く。そんな感じだった。

 入院中の、いろいろなこと。

 何か危機が訪れたとき、結束が固くなる関係と、崩壊する関係と、人間関係には二通りあると思った。
 そして、退院したら、離婚する、とまで思った。
 最初の数日間。
 両腕に違和感と熱と痒みを覚えて、ふと見たら、おびただしい数の発疹を認めた。
 このあと、ようやく・・・はっきり言えば主人とその母親・・・は、「何か」思うところがあったらしい。
 けど、わたしの中にある塊は、苦い珈琲に放りこんだ角砂糖の溶け残りみたいに、わだかまって残っている。
 
 どうしてだか、「お話」ではどうにでも書けるのに、「日記」では、明るい話しか、書けない。

 またしばらく「お話」になるかもしれないけれど、それは、そういうふうにしか書けない、わたしの病気みたいなものである。
 
 ただ、入院中、メールをいただいた方、本当にありがとうございました。
 もちろん、病院内では、ケイタイは切ってある。
 しかし、外で「つながった」ときの心強さと言ったら、思いがけないほどだった。
 自分がこんなに「つながってる」ことを意識して生活しているとは思いもしなかった。

 ・・・チョーコ、今夜は久しぶりに熱も無く、咳きこむ様子も無い。
 まだ幼稚園には行かせられないけれども、ようやく落ち着いてきた感じ。
 今日、思い切って、3月まで主治医だったせんせいのところへ連れて行った。
 診察のとき、名前をちゃんと呼んで、優しく頭を撫でて、
「ここまで来てくれたん?」
という言葉があって。
 「癒し」ということを、久しぶりに強く意識した。
      点滴に新緑洗ふ雨のいろ

 チョーコ、退院しました。
 当初の予定が延びて、足掛け8日。
 いろいろ励ましていただき、ありがとうございました。

 しかし。
 まだ、状態は良くないのです。
 喘息の発作はカンペキにおさまっているのに、微熱と嘔吐が続いていて・・・。
 こういうときには、どうしたものか・・・。

 結局は、病院、と言うか、担当のお医者さんと、患者の(幼児なので、患者の家族)信頼関係だとは思うのですが、血液検査して、予想と違った結果が出ても、どう説明し、説明されるか。
 こっちも主治医のせんせいが替わったばかりで、しかも主人のミスで、アレルギー担当医じゃないせんせいに診てもらうことになって、ということもあり、困ったことになってます。

 まあ、いずれにしても、月曜日までは様子見るしかないのですが・・・。

 「秘密」は、皆さんのを読ませていただいてから、書きます。
   
     先生の髪の香りも夏の薔薇

  リーコ、小学校はじめての家庭訪問。
  先生は、まっすぐな髪をなびかせた、美しいひとである。
  ひとこと、
 「リーコさんって、マイペースですよね。」
  が、重いことこの上ない・・・。

  ところで、この訪問予定時間ぎりぎりに、友人からメールが入った。
  「今から先生が見えるので、また後で書きます。」
  と、返事を送ったところ、
  「えっ。なんで先生がお昼に見えるの?もしかして、禁断の関係?。」
  と、返信があった。
   ・・・柔軟な発想、と言うべきか。
  このときの気持ちは、ほとんど感動。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ところで、チョーコが、喘息の発作および肺炎を起こして入院しました。
  これは帰宅して五分ばかりで書いています。
  しばらく書けないかもしれません。
  でも、早くいつもの生活に戻りたいです・・・。
  主治医のせんせいも変わって間も無いというのに。
  かなしいです。
     よつ葉探し 思ひ出探し 白つめ草

  
 「フィーネとレインの話」から、今日は離れて。
 リーコのこと。

 新一年生になって、変わったことはいくつかあれど、一番変わったのが「お付き添い」しなくてもいいようになった、ということであろう。
 ひとりでうちを出て、集団登校の待ち合わせ場所までひとりで行き、帰りもひとりで帰って来る。
 これが幼稚園児だと、いちいちお見送り、お迎え、である。
 その必要が無くなった。
 
 公園にも、一人で行くようになった。
 頃合いを見てお迎えには行くが、基本的に友達同士で待ち合わせて遊びに行く。
 ところが、ここで、ひとつ問題が生じた。
 リーコは、まだ上手に自転車に乗れないのである。
 一年生ともなれば、大抵の子が自転車で移動する。
 なので何とか幼稚園のうちに、ちゃんと乗れるようにしておきたかったのであるが、間に合わなかった。
 
 「ママ、今日は自転車で行く、ってお約束したから。」
 と、いきなり言い出されたとき、困ったな、と思った。あぶない、と言って止めさせるのは簡単だ。しかし、「お約束」である。子供の世界でも「お約束」はやはり守られるべきものであろう・・・もちろん、常識の範囲内で、の話ではあるが。

 「・・・分かった。自転車で行けばいいよ。でも、ママがついて行く。」

 そういうことに、なった。

 想像していた通り、危なっかしいこと、この上ない。
 いったん走り出せば何とか走るのであるが、こぎ出せない。止まれない。
 走り出すまで、あちこちふらふらし、止まるまで、よたよたする。
 幸い、公園には公道を通らず、マンションの敷地を抜けて行くことができる。自分もひかれそうになりながら、ついて行く。

 さて。
 自転車を停めて遊び出したので、こっちはチョーコの相手をする。
 こいつは3才児なので、ほっぽり出してはおけない。
 そんなに広い公園では無いが、子供たちが走り回ったり、ボール遊びをしたりは十分できる。
 新緑が、まぶしい。
 オウバイが、黄色い花をいっぱいにつけている。
 地面にはいつのまにか、白つめ草がいっぱい。
 ハナミズキが、淡く桃色に光っている。
 ライラックは、紫色の房をゆらゆらと風に任せ、コデマリは、通りがかる子供たちに「おいで、おいで」をしている。
 しばし、植物の輝きに目を奪われた。

 そのとき。

 ワーッ!
 ・・・と、歓声が聞こえた。
 声は、複数の子供たち。
 数本のユリノキを囲むようにして造られた小道の方から聞こえて来る。
 何気なく見て、慌てた。
 「リーコ!。」
 リーコが自転車で暴走している。そのまわりを何人もの子供たちが併走している。自転車に乗っているのはリーコだけ。あとの子供たちは、必死で走り、よく見ると、リーコの自転車のハンドルに手をかけている男の子がいる。
 つまり、ひとりの男の子が、リーコの自転車を引っ張って走らせ、そこに群がるようにして、子供たちがついて行っているのだ。
 「あぶない!。」
と、思わず叫んだとたん、皆が倒れ込む。大変!
 しかし。
 駆け寄ろうとして、止めた。
 笑っているのだ。
 みんな、笑っている。
「・・・あと、もう少しやんか。」
「もっと、思い切って行かんと。」
 男の子も、女の子もいる。みんな息を弾ませて笑っている。
「もういっぺん、やってみよ。絶対、乗れるようになるからな。」

 リーコの友達が、自転車の練習を手伝ってくれているのだ・・・。

 さらに、家に帰る時刻になったとき、小さな自転車の前かごに、白つめ草の花束があるのをみつけた。
 「みんなが、よう頑張ったな、って、くれてん。」

 
  
   チューリップ 園児の列は揃はずに

 ・・チョーコの入園である。

 末子が幼稚園の制服を着ている姿が、これほど感動するものだとは思わなかった。
 これで、子供たちは、とりあえず、母親べったりでは無い生活に入るのである。これまでとは違い、母親の知らない世界、もしかしたら知らない顔、を持つかもしれないが、そうやって手元を少しだけど、離れるのだ。
 これが、どうしても寂しい、というひともいる。
 「寂しいでしょう」
 とも、よく聞かれた。
 しかし、これは、もうまったく寂しくは無い。
 それぞれの世界で、楽しく生きたほうがいい、その方が絶対にいい関係を持てる、と思うタイプの母親なのだ。
 
 先月まで、長女のリーコが通っていた園であるから、大体、要領はわかっている。
 はじめてのお子さんの入園で、ドキドキしているお母さんの、何と初々しいことよ。
 とても若い。
 いや、実は仲良くしているひとから聞くと、意地悪にも本当のトシを教えてくれたりして、それがほとんどわたしと同じか少し上ってこともあるのだが・・・若々しい。
 やはり、初めて、というのは大切なんやなあ、と入園式受付の列で背筋を伸ばしたり、してみる。

 この園は、少子化社会の中にあって、冗談みたいに園児が増えている。
 入園式は、ものすごい数の新入園児たちでいっぱい。
 あちこちで泣いている子がいる、座っていられなくて、保護者席まで彷徨し始める子もいる。椅子から落ちる子、椅子ごと倒れそうになる子、ものすごい騒ぎだ。
 
 動物園のゴハンの時間を思わせる騒ぎで式が終わると、今度は外に出て、園庭で記念撮影。
 またこれが、おそろしく時間がかかる。

 この前の卒園式のことを思い出す。
 きちんと椅子に座り、背筋を伸ばし、両手をそろえて微動だにしなかった卒園児たち。
 入園の、この、阿鼻叫喚の群れが、三年もすると、あれほどの集中力を身に付けるものなのだろうか。
 
 子供というのは、成長する生きものなんやなあ。心から思う。

 でも、今はまだこれでいいんだよな。
 何せ最初の一歩である。
 そっと、羽根の下から出してやって、また羽根の下で眠らせて。
 その繰り返しでいいのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 先日の「桜蘂降る」は、手元の歳時記では、
「桜の花が散ったあとで、ガクに残ったシベが散って落ちること。散ったシベで地面が赤くなっているのを見かけることもある。」
 と、あります。
 桜の花は儚く散ってしまいますが、そのあと、しっかりサクランボの実を付ける様子を見ていると、桜のしたたかさに感動したりして。
 
 ちなみに、張り切って書いた割には、どうってことなかったですね(笑)。恐らく、「そのものずばり」の言葉を使えないからだろうとは思いますが・・・。
 あるいは体験不足か(笑)。
  

 
    入学式リボン揺るるは孵化のごと

 入学式。
 先日まで、幼稚園の「年長」だった子供たち、そこでは、「いちばんのおにいさん、おねえさん」として、それなりに厳しくしつけられ、毅然と行動することを言い渡されていたのだが、それが嘘のよう。
 小学校では、何という幼さ。

 それでも、椅子にかけてピンと伸びた背筋に、彼らの集団生活が、ここから始まるのではないことを、かろうじて感じ取る。
 新しい、スタート。
 
 六年生に手を引かれての入場。二年生の歓迎の合唱。
 その落ち着きと、まとまりに向けて、今から新しい生活に入る。

 少女たちは、おしなべてリボン。
 髪や、服の上で、揺れる。
 式が終わって駆け出した校庭のあちこち、花吹雪の中で、くるくると回る姿。そのどこかで、ヒラヒラと揺れる。
 
 生まれたばかりの蝶のように。

 

 卵のあなたをあたためて育てた。
 やさしく揺り動かし、あたためて慈しんで。
 時に、放り出したくなっても、そういう自分を責めながら世話を繰り返した日々。
 まだ、羽根は乾ききっていないけれど、もう、ひとりで飛べるんだよ。
 あなたの、蜜を探して行きなさい。
 あなたの、仲間をみつけなさい。
 あなたの、行きたい場所を考えて。
 そうしていつか、
 あなただけの王国にたどりつきなさい。

 生まれたばかりの、蝶に向かって、春の風はやさしい。

 
   
  
     原石をひとつずつ抱き卒園す

  リーコ、卒園。

  そもそも赤ちゃんの頃から、保健所で厳しくチェックされるような子供だった。発育が遅い、言葉が出ない・・・。三年保育にしても、大丈夫かな、とぎりぎりまで悩んだ末の入園だった。
  入園式では、年中組のお遊戯の、恐竜のコスチュームがこわい、と言って大泣きしていた。
  小食で、給食が多いと泣いていた。お弁当も少なめにしないと食べ切れなかった。
  言葉も相変わらず遅かった。
  「こいのぼり」の唄は、「おとうさん」のところしか唄っていなかった。
  
  それが三年経って、みちがえるほどにたくましくなった。
  鼓笛で、物干し竿なみのガードを振り回して歩けるほどに、発表会で、全曲を一人でも歌って踊れるほどに。給食をクラスで二番目に食べきれるほどに。

  わたしは、何もしなかった気がする。
  
  ただ、立ち会っていただけ。

  日々、そのときにやらなきゃいけないことに追われていただけ。ただ、それをこなすことに必死だっただけ。
  見えない手が、たぶん助けてくれていたのだろう。
  丈夫で、三年を通して、欠席したのは五日ほど。
  幼稚園が、大好きだった。
  先生に、思い切り甘えられる子で、お迎えに行くと、必ずと言っていいほど、誰かの先生に抱っこされているような子供だった。しあわせだったね、三年間ずっと。

 
  卒園式で、いつもはやんちゃばかりしている男の子たちが、しきりに涙をぬぐっているのが、胸に響いた。
  
  人生は、さよならの繰り返しなんだよ。

  でもね、さよならしたくない、と思えることに出会えることは、とても大きな喜びなんだよ。

  自分にも、言い聞かせて。

  春風が、いっぱいに園庭に吹き渡っている。
  卒園の子たちの胸につけられた花が、微かに海風に揺れていた。
  あなたたちは、ダイヤモンドの原石。
  胸にひとつずつ、備わっているのが見える気がする。
  これからも、たいせつに守っていきたい。そんな、殊勝な母親になったひとときだった。 
     「親業」からは逃れられずや冴返る

 熱く、スリリングな一夜が、過ぎた。

  ・・・とかなんとか書くと、またどなたかが、ここにアクセスしてこられるのかなあ。
  でも、これは本当よ。

 チョーコが熱を出し、未明から繰り返し、吐いた。
 お子様をお持ちの方ならお分かりかと思うんだけど・・・就寝中に、子供に嘔吐される、というのは、なかなかスリリングなのである。大人のように「そこらへんを汚さないようにしよう」などとは思わない(と言うか、そういう余裕が無いみたいだ)から。どこに繰り広げられるか分からない、となったら、もうこいつは絶対に眠れないよ。

 一応、3才児ともなると、会話も成立できるのではあるが、それでもまだまだ素っ頓狂である。
 汚れ物を下洗いしているときに、また苦しげな声が寝室から聞こえる。
 あわてて飛んで行ったら、枕元の洗面器を仰向けの姿勢のまま顔にかぶっていた・・・。
 一応、主人は添い寝しているのであるが・・・役に立たない。どーして、洗面器を顔にかぶせて大泣きしているわが子を隣に、その苦しさを取り除いてやろうという気にならないのか、分からない。

 と、今日もまた、主人へのグチみたいになってきたので、今回はこのへんで。
 でも、いやー、可愛くないことはないんだと思うんだよね。子供が好きだし、娘たちにも構いたがるし。
 しかし、なんかピントが外れているような気がして、あきれることが多い。 

 それにしても「アクセス元」。案外、セクシー系の日記の日には、来られてなくて、今日のみたいな、日常ネタばっかりだな。
 検索されている言葉は、「セクシーな妻」とか「ミニスカート」とか何か思うところあって、という感じなんですけど。
 それから、これは、案外わたしって陳腐な言葉をつかうんだなあ、という反省にもなる。
 なんなんだよ、「別れの言葉」って。みたいに。
   
     桃生ける少女の口も半開き

  このところ、艶っぽい話で来ましたが(そうでもないか)、久々の日常話です。
  ついでに、ほんとうにあった話なので、できればお子さんのおられる方は、ご意見を頂戴いたしたく・・・。

  と、いうほどのことでも無い気がしてきたんだが、わたしの中で整理つけたいので、書きます。

  先日、年長児リーコが、やたらと落ち込んで帰宅した。
  またどこかで頭をぶつけたか、それともクラスで何か失敗したか、と彼女が何か言い出すのを待っていると、ベソを書きながら、カバンの中から何かを取り出した。
  学級便り、である。
  近頃では先生がカラーコピー機を駆使、デジカメを多様のフルカラー、とてもきれいである。月一度の発行で、発行元はクラス担任。子供たちは、自分の姿をこの紙面でみつけることを本当に楽しみにしていて、自分の写真をみつけると、
 「ねー、これ、わたしやでー。」
 と、帰りの通園バスのバス停に降り立つと同時にまわりに見せる。
 そういう感じのものである。
 
 で、その一月号を手にして、リーコは泣きそうになっている。
 「どうしたん?。」
 と、差し出されたものをのぞきこむと、そこには、リーコとあと、二人の子の写真。
 「リーちゃん、載ってるやん・・・。」言いかけて、ふと、変なことに気が付いた。
 「これって・・・。」
 「ね、お名前、違うやろ。」
 なんと、リーコの顔写真の下に、大きく、違う子の名前が書かれてある。
 つまり、担任の先生が、自分のクラスのほかの子と、リーコとを取り違えて名前を書いた、ということなのだ。

 「これ、先生に言わなかったの?。」
 とたずねると、そんな時間は無かった、と言う。大体、自分の感情を大爆発させるのが、やや苦手なタイプなのだ。おとなであれば、こういう性格は生きやすいのだが、幼稚園児くらいの年だと、割と不利である。
 不具合を主張しなかったから、何も感じていないのか、と言うと、そんなことは無くて、便りをみつめる目からは涙がこぼれ落ちた・・・。

  さて、どうするか。

  ここで、まず電話して怒鳴り込む、という手もあろう。
  しかし、相手を一方的に攻め立てて、その結果、相手は申し訳ないと思うだろうか。
  会社勤務時代、山ほどの苦情処理を電話で受けてきた体験が、それは違う、と言う。
  感情を爆発させて、謝罪の言葉を引き出しても、決して好印象は残さない。むしろ、
  「あそこまで言わなくたって・・・。」
  と、反論したくなる気を起こさせる、というものだ。
  なので、ここはひとつ、じっくり反省させてやることにした。
  クラス便りの問題写真のところに大きく矢印を書き、
  「?」
  と書いてやった。
  あとは、謝罪待ちだ。
  リーコには、きちんとママが先生に言って直してもらうから、ということで慰めた。

  しかし、もうそろそろ卒園、というこの時期になって、クラスの子供の顔写真を取り違えるか?。

  そう、これが四月、五月ならまだ許せるけど・・・。
  子供は、せっかく自分の写真が載った、と喜んだとたん、その下に違う子の名前をみつけて、ものすごく落ち込む。 
  せんせい、わたしのこと、おぼえてくれてないのかなあ。
  ええ、もちろん、ひらがな、カタカナは全部読めますとも。

  さて、この件についての憤慨は、ここで終わらない。

  なんと、帰宅した夫が、まったく怒らないのである。
 「先生も、忙しいんやなあ。」
  と、ひとこと。
  
  リーコのクラスメイトのパパは、この紙面を見て大いに憤り、
 「オレの娘やったら、園に怒鳴りこんだる!。」
 と、息巻いたらしい。
 「先生が子供の名前を間違えるって、それがプロか?。しかも、校正もろくにしないで・・・。こんなん、刷り直しやで。当然。」
 
  実は、わたしは、そういう反応をしていただきたかったのだよ、夫に。

  ポイントは、二つ。
  外で仕事をしている男らしく、仕事というものの厳しさを主張して欲しかったのだよ。
  娘が期待していることはどんなことか・・・たとえばクラス便りに載る、ということをどんなに心待ちにしているのか・・・を、日頃から理解していて欲しいのだよ。父親として。

  しかし、なーんにも思わないらしい。

   結局、先週の個人懇談の際、担任の先生は平身低頭、ものすごい謝罪ぶりでありました。
  机が無ければ、土下座していたかもしれない。
  こちらも、先生とは言え、ハタチそこそこのうら若い女の子をいじめるのが目的では無いので、それに父親が怒っていないのに、母親だけカッカしても・・・とか何とか、調子が狂って、リーコがものすごく落ち込んでいた、ということだけはしっかり伝えて、もうその話はおしまい。
  
  でも、ね・・・。
  どう思われます?。
  こんなとき、やはり夫には怒っていただきたい・・・と思うのは、わたしだけ?。
  よそのお父様の反応を聞いただけに、余計に悔しいんだけど。
  こんなことで不信感を募らせても仕方が無いのだが、別に浮気していなくても、こんな男とは寝たくない。

  (冒頭の句は、個人懇談のあと、廊下に生けてあった桃を見て詠んだものです。
  明日にでも、ほんとうに娘たちと生けようと思っています。)
 

     チョコ渡すはにかみ笑ひ白き梅
  
 幼稚園の門の前には、大きな立て看板。「発表会」とある。
 それを見て、リーコは一言。
 「わー、どきどき。カンチョーする。」
 ・・・カンチョー?。
 キンチョー?。緊張、やろ。
 と思ったが、訂正しない。園児のあほな冗談にいちいち付き合ってはいられない。この手の冗談は、本当によくあることなのだ。
 発表会。
 園長先生いわく、「表現、ということの、一年間の集大成」だそうである。
 じゃ年長組にとっては「園生活の集大成」ということなのか?。
 そりゃ、緊張するよな。

 リーコの通う幼稚園は、この手の「発表行事」に、えらく力を入れる。(運動会の鼓笛のときにも書きましたっけ。)
 とりわけ年長は、担任がものすごいエネルギーを注ぎ込む。うまくできなくて、子供たちをののしり、泣かせ、激励する。そして子供たちはひたむきに練習し、やがて芸の完成を見たとき、子供たちは先生に駆け寄り、先生は子供たちを抱きしめ、時に涙ぐむ。
 ・・・いやー、青春やなあ。
 と、思うのである。

 で、発表会は具体的に何をするかを書き忘れた。

 年少は、いわゆる、お遊戯、で、テープの音声に合わせて踊る。
 年中になると、音劇、というもので、これは、音楽つきの短い劇がテープで流れて、それに合わせて踊ったり、セリフを言ったり、演技したりする。
 で、年長になると、これは、ミュージカル、ということになる。
 先生が生のピアノを弾く。
 それに合わせて、子供たちは歌と劇を披露する。歌もセリフも踊りもすべて頭に入っていなければならない。もちろん配役もある。
 リーコのクラスは「ジャックと豆の木」。
 背たけのみならず、目鼻すべてがミニサイズの彼女が主役を張れるはずも無く、いわゆる「その他大勢」。しかし、たったひとつだけセリフがあり、そいつがたまらなく不安らしかった。
 で、緊張する、というわけやね。

 自分のだけじゃなく、他の役のもセリフから歌から踊りから全部暗記していて、「ひとりジャックと豆の木」ができるようになっていたリーコであれば(もちろん他の子もそうだろう)当然なのだが、本番はつつがなく終了。

 しかし、この日はもうひとつ「緊張イベント」がある。
 ヴァレンタインデイだったのだ!。
 
 彼女は、今年は明らかに本命がいる。
 ゴローくんである。三年間同じクラスで、先生も認める仲なんだとか。美少女では無いのに、本命とは両想い。まったく要領のいい女だ。
 
 こちらも、クラス中公認、であれば、トラブルが起きるわけも無く、無事に手渡し終了。
 よかったね。

 ところで、その夜。
 
 「あのね、ママ。今日ね、本番の前に、カンチョーする、って言ったらみんなに笑われちゃった。本当はね、キンチョー、って言うんだって。」
 あらら。
 ふざけているのかと思っていたら、マジで間違っていたのか・・・。

 
   
    乙女らの含み笑いや紅き梅

 近所の梅林まで、梅の花を見に行ってきた。
  
 今年は寒いのか、まだ時期が早いのか、桜流に言えば「四、五分咲き」といったところ。娘たちは、梅の花の香りがする、と言ったが、わたしには感じられなかった。
 そう、娘たちと行ったのであるが、この子たちがまったく落ち着かない。梅の林の、ゆるやかな勾配を駆け上がり、駆け下り、道の無い坂を走り下りる。つい先年、この子らを連れて行ったときには、まだベビーカーに乗せたまま花を指差してたり、よいしょ、と抱っこでそよ風に揺れる小さな花を見せてやったりしたのだが。懐かしい。あの、穏やかで落ち着いた時間よ!

 もう、戻らない。
 身体を動かしているだけではなく、さかんに口も動かすので、相手をしてやらなくてはならず、俳句を考えるどころでは無い。犬の散歩をしているひとも多かったが、黙っているだけ犬の方がましである。よほど、
「犬と娘と取り替えましょうか、十分ばかり。」
と申し出ようかと思った。
 しかし、母親としては、毎日何かと大騒ぎしている間に、ひとりでそこらを走り回れるくらいに大きくなっているのであるから、ここはやはり感謝すべきところではあるのだろうね。ふう。
 紅色の梅が、少女たちの笑う様子に見えたのは、小さいのを二人ばかり連れていたせいであろうか。
 何がおかしいのか、とにかく四六時中笑いがこみあげてくるのが、少女たちである。静かにしていなければならない場所だと自分たちも分かっているのに、ついつい気が付くと笑い出している。それが乙女たちというものなのである、だから・・・。
 

  どうか、世界中の女の子たちが、そんなふうでいられますように。いつもいつも。

  
  
   三才児 抱負述べたる初笑ひ

 チョーコは「ぜんそく」があるので、近所の病院に定期的に通っている。
 診察をしてもらい、簡単にカウンセリングをして、毎日、朝夕飲む薬を処方される。
 もう半年ばかりそういう「特殊外来ライフ」が続き、すっかり病院慣れしているチョーコである。
 今回も、聴診器を身体に当てられる度、くすぐったいのかバカ笑いをし、余りにもその声が大きいので、看護士サンが様子を見に診察室に入って来た。余りにも泣くから、と入って来ることはあっても、余りにも笑うから、と入って来ることは余り無いのではないかと思う。
 幸い、容態は良好で(ま、具合が悪ければ大笑いなんぞしないよな)無事に診察は終了、となったのであるが・・・。

 彼女の毎日のんでいる薬、こいつをのむと、「ハイになる」
 と、近所のママ友が言ったことが、どーしても気になっていたわたし。
 なので、思い切って先生にたずねてみた。

 「あの、○オドールって、常用すると、興奮作用がある、って聞いたんですが・・・。」
 興奮作用、などという言葉があるのか知らないが、さすがに「ハイになる」とは言いにくい。
 
 なんと、答えは、
「そういうこともあります。」
 であった。
 
 結論としては、様子を見ながら薬を続けていく、ということになったのだが、毎日二回、である。やはりどことなく不安がよぎる。これまでは、チョーコが自分でこしらえたヘンテコな歌を場所もわきまえずに放吟していたり、寝付く前に妙に興奮して布団の上で踊りまくっていたりしても、
「いやー誰に似たのか、変なコやわ。」
 で、片付けていたのだが、それ以来、
「も、もしかして副作用?。」
 などと考え込むことが多くなった。一体、どうすればいいのやら・・・。

 症状が落ち着いているときには、いっそのませない、ということもできるのだろうか。しかし、咳の発作というのは、本当に夜中突然勃発することが多い。そのとき、薬をのませなかった自分を、わたしはひどく後悔するだろう。

「先生、正直、母親たちの間であまり評判がかんばしく無い貴方ではありますが、わたしは、副作用についてもハッキリ言って下さるような、そういうところを信じます。だから、どうか、こりゃクスリのせいでおかしいのかな、と思われたら、正直におっしゃって、それなりの治療を施してください。
 先月の診察で、いきなりタメ口をきいたり、聞かれもしないのにお昼ご飯のメニューを大声で言い出したりした、ああいうことも、ん?と思われたらチェックしてください。
 どうか・・・お願いします。」
 娘に、殺された。
 
 三才児チョーコが、とことことキッチンにやってきて、寄せ鍋の準備に追われるわたしに向かって、一言、
「あのね、チョーちゃんのママ、死んじゃったの。」
 この娘、この年の割によくしゃべる方ではないか、と思うのだが(現在五才のリーコよりもうるさい)そこは生まれて三年しか経っていない女である、言っていることはむちゃくちゃ。
 しかし、妙な祭りに参加した話を始めたり、キリンに廊下で会ったことになったり、「プロ野球選手ふりかけ」ならぬ「大相撲ふりかけ」を弁当に持って行ったということになったり、となかなか面白いので、一応、話に乗ることにしている。この前は、
「お大根に乗ったら、ロケットみたいにビョーンって飛べたんだよ。」
 と、繰り広げ、こいつはなかなか聞き応えがあった。
 で、冒頭の「母殺し」。

 「チョーちゃんのママがね、自転車で走っていたらね、後ろからクルマが当たってね、死んじゃったんだよ。」
 「そ、それで?。」
 「それでね、救急車が入って来るところでパパにね、大丈夫だよ、って言われた。」
 そして、チョーコの姿はキッチンから消えた。
 
 うーむ。
 何ていうのか、リアルだ。
 少なくとも、大根が空を飛ぶ話よりは、かなりきちんと筋が通っている。
 おかしいのは、それを話しているのが「死んだはずの母」というところだけである。

 とにかく、気を付けて自転車に乗ろう、と思った。案外、予知かもしれないから。
 しかし、後ろから来られたんじゃ、ひとたまりも無いか。

 「前世の記憶じゃない?。」
 というひともいる。
 なるほど。三才位じゃ、そういうこともあるかな。
 友達の子供でやはり同じくらいの子が、体験したことの無いはずの、先の震災の話を実にリアルに語って、周りを驚かせたということも聞いたし。しかし、この場合は、母親が、自宅半壊、というかなり強いダメージを受けたから、妊娠中に何らかのメッセージを受けた、とも考えられる(と、素人が寄り集まって判断を下した)。
 
 三才と言えば、わたし自身も架空の友達と遊んでいたらしい。
 この時期の幼児は、何か、混沌とした世界を抱え、現実と折り合いをつけながら暮らしているのだろう。人間未満、妖精以上。

 十二月がやって来る。
 チョーコお気に入りの芝生も枯れて、冷たい海風が通り過ぎていく。
 だけど、芝生で遊ぶ幼児も犬も小鳥も虫も、なぜだろう、みんな跳ねて、いきいきと呼吸しているのだ。

 がんばらなくちゃ。

 枯れ芝で跳ねるものみな輝きて
       きみとぼくとの季節はじまる

 
   
 雨で一週間流れた、リーコの園の運動会が行われた。
 今回は、何も言うことの無いほど晴れ上がって、暑いくらいであった。
 らしい。
 らしい、いうのは、高熱を出して、やたら悪寒がしたからである。
 半そで姿が目立つ中、ひとりだけ厚着。
 ヘンな人だったろうと、少し体調が回復してきた今は思う。
 鼻がまったく機能しない中、おべんとう作り。
 子供を生む前、母親というのは、自分がたとえしんどくても、子への愛情に支えられておべんとう作りをするのだろうな、と漠然と思っていたのだが。
 違った。
 それはもう、ほとんど、惰性である。
 ぼーっとしたまま、そう、たとえれば、歩く際にいちいち「さて、次は右か、左か」などと考えないのと同じこと。
 手が動くまま、ふにゃふにゃとこしらえた。
 空腹とはありがたいもので、そんなふうにしてつくった食事でも、きれいに食べてもらえたのではあるが・・・。

 しかし、肝心の娘リーコだけは、母が「慣性の法則」でこしらえたおべんとうに食が進まない。
 緊張しているのである。
 昼食後、午後一番のプログラムの「年長の鼓笛」に出場するのだが、この「鼓笛」、なぜか、運動会の一プログラムにしか過ぎないものであるのに、熱い。
 なにせ、七月から(もっと前だったかもしれない)毎日、練習、練習。
 ふだんは優しい先生も、この指導のときには厳しい。
 「出て行きなさい!」
 とまで言われることもあるとか。
 それから、この演目の楽器選びについては、本人たちよりも一部の(あくまで一部の)母たちが、怒って園に電話で怒鳴り込む、位にヒートアップした。
 重ねて言うが、これは運動会という一行事の「鼓笛」という一プログラムの話である。
 なんでそこまでチカラ入るかなーという気がしなくもないが、毎年、この演目を見て感動の余り、わが子が出てもいないのに、涙ぐんできたこともまた事実なんである。
 園児たちが、と言えばまだ生まれて5,6年しか経っていないやつらが、自分自分の持ち場に必死で最大限、取り組んでいるのである。それが、全員が、である。いい加減に、適当に、という顔はひとつも無い。
 あまりにも家とは違う真剣な顔をしているので、どれが自分の子供か分からなくなる、という人もいるほどなんである。

 母親としては、自分の体調管理よりも、子の体調管理。しかも延期になったその週の水曜日に風邪を引きやがった、リーコなんである。本番に送り出すだけで、おそろしくストレスがかかった。

 が、無事に終わった。
 担任の先生は涙ぐんでおられる。
 が、わたしは、ものすごい脱力感で、言葉も無い。
 よそのお子様の出ていた昨年までの涙は、今年は無かった。
 あー終わった、それだけ・・・。

 
   笛の音の飛び交ふ空の高きこと
 

 幼稚園のご近所の方は毎日、練習のやかましい音の中で暮らしておられたんだな。
 感謝してます。
 ・・・というのが、なぜだか、一番の気持ちであった。 
 
 雨が降り続いている。
 傘を差しても風に乗って吹き込んで来る雨に顔をうつむけて歩いていたら、真っ赤に染め上がった葉っぱを見つけた。
 路上に濡れて張り付いた落ち葉。いつのまにか秋になっていた。

 先日、ぶどう狩りに行った。
 山の林では、まだ、ツクツクホウシが騒がしかった。
 3歳のチョーコが、ふいに、
 「蝉サンが英語でお話している。」
 と、言った。
 「英語?。」
 「うん。wish,wish,って聞こえるでしょ。」

 チョーコの耳には、「おーし、つくつく」の「おーし」の部分が、そう聞こえたのだ。
 
  wish,wish,wish.wish,wish,wish.

 ぶどうが実る山にあの蝉の声が響いたのは、もしかしたらあの日が最後だったのかもしれない。

  今きっと、蝉のつぶやきが消えたぶどうの森にも、静かな雨は降りそそいでいるだろう。

 
  秋つ雨胸まで濡れてみるもよし

 
 
 あと何回、夏を送るのだろう。
 あと何回、秋の雨に打たれるのだろう。
 もうそろそろ、季節のひとつひとつを、心に刻み付けながら過ごす方がいい、この年になれば。そんなことを思う。
 三才になったばかりのチョーコの手を引いて横断歩道を渡っていたら、チョーコが地面を指差し、
「あーっ、虫が、虫が!。」
と叫んだ。
 早くしないと信号が変わっちゃうよー、と言いつつ見ると、そこには一匹の、カナブン。
 が、ぱっと見ただけでは何か分からなかった。白いストライプの上にいるそれは、何かの拍子でバランスを崩したのだろうか、仰向けにひっくり返った状態で、足をばたつかせている。
 信号は変わりかけている。でも、このまま放っておいたら、青になるのを待ち構えている直進車の下敷きになってしまうだろう。
「えい。」
 しゃがみこむ時間は無かったので、乱暴だが、持っていた鞄の底に虫の足を引っかけてすくいあげるようにして体勢を立て直した。
 羽根を細かに震わせ、カナブンが飛び立つのと、信号が変わるのとはほぼ同時だった。チョーコをほとんど横抱きにひっ抱えて、無事に横断歩道を渡った。
 
 そのまま、買い物に行き、近所のショッピングセンターで行われている「ブロックフェア」なる催しに行って、娘そっちのけでブロック遊びに熱中し、マンションに戻ったのは小一時間後であった。
 雨模様だが、傘をさすほどでも無く、娘は自分の赤い傘を閉じたまま、軽く振るようにして歩いていた。人に当たったら危ないからやめなさい、と言おうとしたそのとき。
 ブーン。
 と、音が聞こえるほどに近く、一匹のカナブンがこちらに飛んできた。一直線に娘の顔スレスレに近寄り、急に向きを変えて飛び去った。
「いやーん、虫が・・・。」
 突然のことで、娘は泣き出し、わたしも戸惑い、そのときはただ唖然として、その見事な飛行を見送るだけだった。
 エレベーターに乗り込みながら、今日はよくカナブンに遭ったなあ、と思いつつ、ひとつの考えが浮かんだ。
 まさか、同じカナブンってことは無いよね。
「虫が、虫が。」 
よほど驚いたのか、繰り返すチョーコに、
「そんなにこわがらなくてもいいよ。もしかしたら、さっき、横断歩道で助けてあげた虫サンが、ありがとう、って言いに来たのかもよ。」
 と、言いながら、思わずその考えに笑ってしまったけれど。

   軒下の雨粒さへも若葉色

 日常の中の、メルヘン。たまには嘘を信じるのも良い。
  幼稚園の参観日があった。
  年長ともなると、子供たちも先生に集中し、「授業」という感じになって来る。これが「年少」だと、園児同士で「メンチ」の切り合いするやつがいたり、皆が前を向いているのに、一人だけあさっての方向を向いているのがいたり、教室を脱走するのがいたりして、見ていてなかなかエキサイテイングなのだが、年長ではもうそういうことは無い。子供たちは、先生の言われるままに、歌い、踊り、スネアドラムのバチを振り回す。
  よくここまで飼いならされたもんだなあ。
  我が子を見ているだけでは退屈なので、お母さま方観察をしたり、壁に貼られた世界地図を見たりしている。新しい国をふたつみっつ覚えた。
  さて、モンダイは「保育参観」をつつがなく終え、「お弁当参観」に入ったときに起こった。

  「お弁当参観」は、文字どおり、子供たちのランチタイム風景を参観するというものである。母親同士が自分たちの「力作」お弁当にさりげなく(と言うか、あからさまに)チェックを入れ合う時間でもある。
  机を並べ、お茶のカップが配られ、当日の「お当番さん」が前に出て、「いただきます」の「お歌とごあいさつ」の音頭を取り、いよいよお弁当タイム・・・。
   ・・・の筈なのだが。

  「お当番さん」は男女ひとくみのペアである。
  が、教室一番前の定位置には、男の子が一人立っているだけで、相方の女の子、みおちゃんの姿は無い。
  「どこ行ったん?。」
  「どうしたん?。」
  園児たちのみならず、母親たちからもざわめきが起こり、姿を探すと、教室を出た戸口付近でうずくまっている。
  担任の先生が何やらさかんに話し掛けている。当然、みおちゃんのお母さんは何とか我が子を「定位置」まで行かせようと必死である。が、彼女はさかんに首を横に振り、動こうとしない。
  「お当番のお仕事を、先生が盗っちゃったから、なんだってさ。」
  どこからともなく、そんな理由が聞こえてくる。
  「いつもなら、お茶のカップを配ったり、お盆を並べたりするのは、お当番さんのお仕事なんだってさ。でも、今日は参観日で時間が余り無いから、先生がさっさとやっちゃったでしょ。だから、みおちゃん、怒っちゃったんだって。」
  「お当番」は、子供たちにとって、かなり晴れがましいものらしい。うちのリーコも先日水疱瘡で登園できないのが分かったとき、一番に口にしたのが、
  「えーっ、あさってはお当番なのに。」
  だった。さほど世話好きでも、マメでも無いリーコでさえそうなのだ。しっかり者で世話好きで、リーコの妹のチョーコともよく遊んでくれるみおちゃんなら尚のこと、今日は朝から張り切って、「お当番さんとしての使命」に燃えていたのに違い無い。
  みおちゃんのお母さんは、怒り口調が哀願になって来た。アメリカ人の園児を「お前」呼ばわりしたことさえあるという担任も、今日は並み居る母集団の前で威勢良く子供を叱り飛ばす訳にはいかないのだろう、ひたすら、静かに言葉での説得に終始している。
  よく躾られているらしく、子供たちは、自分の席から動かない。もちろん、お箸を叩くやつ、カップを頭に被るやつ、それぞれ騒いではいるのだが。
  
  しかし。
  みおちゃんがぐずり出し、五分以上が過ぎ、子供たちのお行儀も目に見えて悪くなり始めると、母親の間から、不安の声が上がり始めた。何しろ、子供たちは、お弁当を前にしているのに、一口も食べられないのである。常日頃、暴力的は食欲と接しているので、エサを前にしたやつらが暴動でも起こさないか、心配になってきたのだ・・・。
  「どうにかならへんかなあ、食べられへんやんか。」
  と、ついにどっかの母が言った。
  そして、ふざけて席を立つやつやら、踊り出すのやら、子供たちも動き出し、母たちは緊張し始めた、そのとき。

  「みおちゃん、頑張れ!。」

  どこからともなく、声が上がった。

  「みおちゃん、頑張れ!頑張れ!、みおちゃん。」
  声はいくつも上がり、それは、男子お当番さんのヒロくんの音頭で、教室中に広がった。
  母たちは顔を見合わせた。
  お弁当が食べられないのは、みおちゃんのせいだ。
  早くしてくれ、いい加減にしてくれ。
  そういう声が上がるのかと思った。
  けど、実際には、そういう声は母たちにあった。
  子供たちは。
  子供たちは、責めるどころか、原因をつくっているみおちゃんを「応援」したのである。

    

    涼風の歓声を乗せ沖へ沖へ

  

  みおちゃんは、結局、子供たちの応援に押されるかたちで前に立った。ふてくされた顔は、なかなか元に戻らなかったけれど、何とか「ごあいさつ」までやり遂げ、子供たちは何事も無かったかのように、それぞれのお弁当をものすごい勢いで食べ始めた。

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