花芯より きみの放てり 秋の蝶

  
「あなたと愛し合うようになって、初めてわかったの。
女のエクスタシーは、蝶のように進化するものなんだわ。
  きっと、女はすべて、快楽の卵を身体の奥深くに抱えているものなんだわ。
  そして、男と出会い、愛し合うことで、その卵は孵化し、少しずつ成長するのよ。
  わたしの中で眠っていた卵をかえらせ、あなたは優しく育てくれた。
  快楽の蝶が、さっき、あなたの腕の中で、サナギから蝶に進化したのよ。
  身体の奥で、真っ白い蝶が、大きく羽ばたいて飛ぶのを見た。こんなことは、本当に、初めて。」

  ・・・などという言葉を言わせるとしたら、20代から50代くらいまでの、どの年代の女がいいかしらーなどと考えていたときに、この本と出逢った。

  そして、読み終わったときに突き当たったのは、

  「男は進化する生きものなんだな。」

  と、いう真実。

  女は、生まれたときから女で、年月を重ねても、その本質が変化することは、無い。

  だけど、男は違うみたい。
  幼虫から蝶になっていくように、めざましく変化していくのだ。少年が大人の男になっていく過程は、成長という言葉が弱く響くほど、激しいものらしい。

  これは、サナギを脱皮して蝶になった一人の少年の、ひと夏の物語である。
  彼は、多くの女性の腕の中で、彼女たちの快楽の蝶を思う存分に羽ばたかせ、自らが雄雄しい蝶に変っていった。

 少し本から離れるけれど。
 わたしには息子がいないから、男の子を持つ母親の姿を客観視することができる。
 そのタイプは二通りある。
 一つは、幼虫からサナギへ、そして一人前の蝶へ移り変わっていくわが子を、あたたかく見守ってやれるタイプの母親である。
 もう一つは、息子の変化に驚き、どこかで幼虫のまま生長を止めてしまおうと、ひたすらわが子の抱え込みに向かう母親である。 
 前者のタイプの母に育てられれば、息子はきちんと大人の男になれる。
 しかし、後者ならば、それは、姿だけは大人であっても、中身は気色悪くうごめくだけの幼虫なのである。

  これから結婚にふみきろうという女の子は、彼の母親が、このどちらのタイプなのか、よく見極めてから決めることだ。たとえば、あなたと彼と彼のママが同席しているとき、彼が汗をふこうとして自分のハンカチがみつからなかったとする。あなたが自分のハンカチを先に渡し、彼がそれを受け取って汗をぬぐうのを、黙ってみているママならば、まあ、前者かもしれない。しかし、彼がもうあなたのハンカチで間に合っているのに、わざわざ自分のハンカチを出して手渡すようならば、それは後者であろう。
 後悔、先に立たず。


  

東京DOLL

2005年9月23日 読書
 読もうと思ったのは、彼が、ところどころでわたしを思い出す、と言ったからだ。
 その理由が知りたいと思った。
 
 いろんな読み方ができる本である。
 とりわけ「お金」に軸足をおいて筋を追うかどうかで、評価はずいぶんと変わるだろう。
 わたしは、この物語を、作者が東京に捧げたファンタジーだと思いながら読み進んだ。
 
 ヒロインは、ゲームの進行役をつとめる妖精のモデルとして登場する。「人形」ということばは、そこから引き出されている面も大きい。
 物語の中で、彼女は東京のあちこちに置かれ、自分自身と街とを最大限に彩る。
 隅々まで人間の手が入った空間では、人の手が入っている故に生命のリアリテイが感じられなくなるものだ。わたしは人工島に住んでいるので、その無機質な落ち着きの無さを実感として知っている。だから、誰かの演出が確実に施されている空間で躍動する彼女の姿はまぶしく、また痛快に感じられた。
 人工島のあちらこちらに現代彫刻が置かれているのだが、わたしはそのひとつひとつに、物語を捧げようと試みたことがある。そんなことを思い出した。彼女は、リアルな生き物の世界と、洗練という名で生を拒否した世界とをつなぐ、巫女のような存在なのだ。設定自体が「境界人」なのに、その上、彼女にはある特殊な能力があるときている。

 わたしは物語の中で、彼女がふたつの世界ーそれは、「リアル」と「バーチャル」という表現も可能なのだけどーを行き来するのを見守りながら、最終的に、このどちら側に身を寄せるのか、そればかり考えていた。
 そして、もしかしたら作者も、そのあたりで少し、物語の収束を揺れ動いたのではないか、などと想像したりもする。

 もちろん、普通のラブストーリーとしても楽しめる。本来はそうやって向き合うたぐいの物語かもしれない。
 わたしもある部分で胸がいっぱいになり、彼にそこを抜書きしたメールを送った。すると、相手が同じところで引っかかっていた。そして二人は納得し、その部分こそが本の隠れたキーワードだと指摘しあった。
 でも、そこが結末とはリンクしていないのである。リンクしていない部分なのに、そこは熱い真実を含んで重い。これほどの作者が平熱ではない文章を、結末とかみ合わない表現で組み入れる理由がわからない。あるいは、わたしが何か見落としているのだろうか。

 落ち着かない気持ちにさせられる本である。
 だけど、この曖昧さがわたしは割と気に入っている。

 彼は「ヨリ」の中にわたしを見たという。
 「入れ物」は違うが、「入っているもの」は酷似していると、それはわたしも認める。
 それは、すなわち、わたしがずっと追いかけてきた「現実」と「非現実」の境目についての物語なのだから。

 

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