ミューズ@ベビーオイル嬢よりバトンをいただき、光栄です。。なので、早速。

  1.あなたは何フェチ?
     男性  指
     女性  声
    「指」については、さんざん書いてきたような(笑)
    「声」は、なんとなくキライだなと思うひとって、  
    大体、声がキライだったりして、余りにも勝手だと      わかっているけど、やっぱりダメなものはダメ。
  
  2.異性のどこをみる?
     ことば。
     もちろん、指は見るけど(笑)。
     どんなに生真面目でも、破天荒でもいい。
     「このひとらしいな」という、彼だけのことばを
     持っているかどうか。

  3.最近、プッシュできる部位は?
     気になるとこばっかりなので、逃げます(笑)。
     「舌」。
     わたしの舌は、相手を天国へ連れて行ったり、
     地獄へ叩き落したりする、らしい。
 
  4.異性の好きな部位を5つ。
    これ「好きな異性の部位」でないところが悩ましい。
    
    指。目。肩。肩から腰にかけての平たいライン。
     二の腕。
    
  5.フェチを感じる衣装。
     「白衣」
      これは、男女を問わない。
      なんでなんやろーと考えてみたのだけど、
      恐らく、
      「あくなき”理系への憧れ”」
      に、よるものであろうかと思う。

 電車なんか乗ったときには、ほとんど、女性を見ている。
 服装や、視線の行き先や、ちょっとした仕草など。
 彼女たちの裏側にあるドラマを想像すると、ドキドキする。
 とりわけ、発情の瞬間など思い描いてみたりするのが楽しい。 
         
 
  先日、「愛ルケ」のことを書いた。

  で、結局、

 「あれは爺さんたちのメルヘンなんだから、ヒロインの冬香さんにリアリテイを求めても仕方がない。」

 と思うようになった。冬サイドから物語を書く、いわゆる「裏愛ルケ」を書くのも楽しそうだが。冬香は夫と菊治を殺し、刑務所に服役中に看守と真実の恋に落ちるのだ!!

  ・・・あほらしい。

 30代、それも後半、しかも専業主婦、というのは、爺さんたちの夢の中では、「相手役」にちょうどいいということらしい。
 となると、冬香さんは「アイドル」なわけだから、主婦とはいえ、あまり生活感があってはイケナイ。間違っても、菊治さんとの情事を終えてから、明日、コドモの弁当のおかずに今日の晩御飯のブロッコリーにチーズを乗せて焼いたのを入れて一品増やしたらいいやろか、などと知恵をしぼったりしてはダメ。そういうことらしい。

 なるほどね、と思いつつ、
「ワタシってまだ買い手がつくのか!」
 ということに気が付いた。
 でも、そんな考えがパッと頭をよぎった直後に、冬香姫の
 「色白、長身」
 というお姿に思い当たったのである。あ、無理だ、これは(笑)。

  でも、30代後半からの女性に妄想を抱く人々が存在するのならば、いっそ「高齢者向けGORO」みたいな雑誌を作ったらいいんじゃないのかな。
  もちろん、グラビアを飾るのは「30代以上」の女性。
  写真のコメントには「年上の男性にまだまだ可愛がられたいの」とか「キモチもカラダも大人になった今だからこそ、思い切りオモチャにして」とか付けたらいいんでは?
  
  マスコミのおじさまたちが連日おっしゃる通り、ほんとうに今の日本に元気が無いのならば、こんなふうに男性高齢者を元気付けて差し上げるのも、なかなか素敵かもよ。

 
 
  わたしは、どんなにナイスバデイだったとしてもぜーったいに遠慮させていただくけどね。
  
 
      天高し 天に届けと 加速する

  この夏、初めて子供二人を連れて、車を駆って実家まで帰った。

  3時間ばかりの距離だから、そう大したことは無い。愛車の調子は良く、加速は、気持ちがいいほどこちらの望み通り。北陸道で先が見えないほどの集中豪雨に見舞われたくらいが計算外の出来事だった、というそれだけのことだ。
  だから、夫から「これで運転に自信がついたやろ」というメールが来たときには、首をかしげた。
  田舎出身だから、生活にクルマは欠かせなくて、通勤で毎日ハンドルを握っていたわたしに、今更「自信がついた」とか言われても・・・。

  男はどうして、女に対し、自分が「上」であると思い込むのだろう。
  運転も、仕事も、そしてセックスも。
  「男が女を開発していく」という図式になるのは、なぜ?

  ここで、いきなり話が飛ぶのだけど、「愛の流刑地」という新聞小説がある。
  「失楽園」のワタナベ先生のお書きになっているもので、日経新聞の文化欄で連載中の「話題作」である。
  ヒロインは37歳、専業主婦、北陸出身、子持ち。
  この経歴がほぼわたしと同じなので、興味深く読み始めた。ものの、あまりのリアリテイの無さについていけなくなってしまった。
  イマドキ、こんな37歳女はいないであろう。
  と、思いつつ、それでも、不倫中で夫が横暴、というところなど、ほかにも共通項があることから、なるべく好意的に読んできたつもり、なんだけど・・
  やはり、どうしても理解できなかった。
  「こんな身体にされちゃって・・」
  などという言葉が、わからない。
  男は知らないけど、女の性的快感は、気持ちの部分が大きいように思う。言うまでもなく、「愛している」という大きな心のうねりがあってこその「快感」ではないのか。
  だから、「オレがあいつを開発してやったんだ」というようなことを思っている男の方は、そうではなくて「彼女はオレを愛してくれたからこそ、あんなに燃えたんだ」と、せめてそういうように解釈して欲しい。あるいは、彼女は単に動物のメスとしてオスを求めていただけなのかもしれないけど。
  ポイントは、快感のツボは女自身が握っているのだ、ということ。
  「こんな身体になっちゃって・・。」
  であったならば、少しは理解できるんだけどな。
  それでも、「なんでこのおっさんなん?」という疑問はずっと胸にわだかまっていた。かつての憧れのひとだから?ものすごくお金をつかって逢瀬をアレンジしてくれたから?まあ、恋愛とはそういう「なんやらわからんけど、このひとでないとあかんねん」というものだから、冬香サンもそうだとしよう。
  でも、ある一言で、わたしは「これは、わからん」と思い、好意的にとらえることを放棄した。それが、

  「愛で死なずに、なんで死ぬの?・・・」
 
   だった。

  あの一言は、正直キレた。
  なぜなら、ちょうどわたしが瀬戸際でふんばっていたからである。ここですべてをあきらめて、人形みたいに、心を殺してしまおうかな、と。
  子持ちの女は、愛に溺れてしまうというわけにはいかないのである。母親が存在している意味は、子を育てることにあるのだ。わたしがいなくなれば、明日のお弁当はだれがこしらえるのだ?体操服の名札がとれたのは誰が縫うのだ?幼稚園の送迎やら学校行事のサポートやら、そういうことが一気に滞ってしまう。わたしの人生は、弁当であり、泥だらけの体操服なのだ。夜中に何をされようと、朝には起きて、台所に立たねばならない。バス停で、お迎えの先生に笑いかけなくてはならない。
だから、無理やりにでも生きなくては、自分の命をつながなくては、いけない。

 「愛で、生きずに、なんで生きるの?」
  
  愛するひとがいるのなら、その心意気でなきゃやってられない。大体、冬香サンの末子は、わが娘チョーコと同じだったと思う。だったら、菊治サンのマンションを一歩出たら、そこで、子供の翌日の弁当のおかずのことが頭をよぎらないわけがない。夫から「子は置いて出て行け」と言われて泣き崩れているほど、大切にわが子を育てている女なら。

  男女の愛なんて、破滅に向かうほうが楽なんじゃないか。

  まして、不倫関係ならば。
  わたしも、このままこのひとに殺されたらしあわせだな、と思うこともある。そういう儚さがまったく似合わない自分であり、彼であるにも関わらず。

  それを、生きることに向けることの、なんとややこしいこと。なんとエネルギーを必要とすること。不毛の土地に作物を植えようとするみたいな辛抱強さと、その愛への信頼がなくては、とても不倫の恋はつらぬけない。中途半端で終わらせる気なら、最初からしないほうがいい。本気になればなるほど、破滅に近付く。そして、火遊びなら、それは恋ではない。

  
   で、結局、冬香サンは「愛で死ぬ」ことになった。
   と、いうか、「死なせられた」。
   この意味は、菊治サンによって、という意味もあるけれど、作者によって、そうして、「男」によって、そうなってしまった、と思う。

   男の大きな胸に包まれるのは、嬉しい。
   男の分厚い手のひらに、両手を預けるのも。
   男の力にかなわないのも、その力に護られる自分を感じれば、それは限りない幸福に包まれることだ。
  
   女は、男が好き。

   だから、そこに確実に愛があるならば、多少小バカにされようが、ないがしろにされようが、構わない。ただ、女にも今日まで生きてきた時間があって、それはミルフィーユのように丹念に積み重ねられた大切な月日である、ということを、男のひとには忘れないでほしい。
 
   あなたの上に流れた時間たちは、わたしの上にも流れたのよ。

   

 
      秋の風 もつれた糸も 赤い色

  
  誰かを傷つけて生きるのは嫌だ。
  誰かに傷つけられて生きるのも嫌だ。
  
  折り合いがつかない。
  どうすればいいのだろう。
  
  
  
  
     向日葵の もたれず伸びて 日に 殉ず

  それは台風の夜のことだった。
  車で暴風雨の中を帰宅する途中、住宅地のはずれに立つ白い人影を見た。
  ワイパーが役に立たないくらいの豪雨の中、すっくと立ち尽くす一人の女。
  目にしたとたん、ぞっとした。
  そこが、廃車置場で、その人の立っているのが事故車の上だと気が付いたから。

  由真は向日葵のような少女だった。
  生まれつき巻き毛の髪が、朗らかな丸顔を飾っていた。背が高く、中学三年にして豊満な胸はセーラー服のリボンを思い切りせり上げてはちきれそうだった。
  バドミントン部の副主将で、スポーツは何でも得意。特にハードル走や走り幅跳びは陸上部並に成績が良かった。立派な太ももを高々と上げ、次々とハードルを飛び越えて行くときの迫力に満ちた美しさは、今でもはっきりと目に浮かぶ。
  わたしは、彼女にあこがれていた。
  当時のわたしときたら、チビで貧相な体格、しかも度の強いめがねを時々かけなくてはならず、いじめにも遭って自信をなくし放題というありさま。教室のどこにいても聞こえてくる朗らかな由真の笑い声を耳にするたび、由真みたいになれたらな、とため息をついていた。
  
  由真の住む家とわたしの家とは同じ住宅地にあった。中二のときに引越しをしたわたしは長くそのことに気が付かず、だから一緒に登下校するようなことも無かったのだけれど、なんとなく途中で会ったときなどは、そのままためらわずに行動を共にしていた。ものすごく仲良しというわけではないが気が合わないわけでもなく、どちらかというと、タイプの全く違う相手に対し、それぞれが一目置いていたように思う。
  進学の話をしたこともある。
  「わたしは普通科に行きたいの。T校は無理でも、S校には行きたいな。体育の先生になりたいから。」
  彼女らしい、すっきりと将来を見通したクリアな話しぶりがまぶしかった。
  「音子はT校志望なんでしょ。テツガクと一緒に行きたいもんね。」
  「テツガク」というのが当時のわたしのBFのあだ名だった。成績のいい、理屈っぽい田舎の男の子だった。わたしは曖昧にうなずきながら、将来の職業まで考えて高校を選ぶ由真に比べて、自分はたかが付き合っている男のそばにいたいがために難関に挑もうとしているのか、と劣等感でつぶされそうだった。
  「うん、一応、行きたいとは思っているよ。でも、数学がめちゃめちゃダメだからなあ。」わたしが自信なさそうに言うと、
  「ああ、そんなん大丈夫。音子は国語ができるじゃん。それでカバーできるよ。わたしはどうも国語って苦手でさ、なんか小難しいこと考えることがキライだもん。」
  由真の声は初秋の夕方の空気を震わせて高かった。
  高くて、澄んでいた。

  そして、一点の曇りもない秋の青空みたいに明るかった。

  
  そう、由真は明朗で、小難しいことをあれこれ考えるのがキライで、そして自信にあふれて、輝いていた。はずだ。

  そして、20年以上が過ぎた。

  この夏、実家の母に
 「コバヤシさんが、亡くなったんだよ。」
 と、聞かされたときには、誰のことかわからなかった。「コバヤシ ユマ」という名前を思い出したときには、
 「え?ユマのお父さん?お母さんの方かな?。」
 と口にした。それが、
 「違うよ。由真ちゃんだよ。」そして、母は声を不謹慎でない程度に声をひそめて続けた。
 「由真ちゃん、自殺したんだよ。」

  由真は30半ばで死んだ。
  去年の年末のことだという。講師という立場で子供たちに体育を教えていたものの、教師として本採用はされず、結婚もしていなかった。北陸の旧い常識に縛られた由真の親族たちがその生き方を責めた挙句の自死だった。
 「去年の年末・・・。」
  それは、ちょうどわたしもふらふらと死の誘惑に見舞われていた頃だ。
  「結婚してたって、子供がいたって、しあわせとは限らないのにね。」
  頭の中は、由真の笑顔でいっぱいだった。色白で、両方の頬にえくぼができたんだった。かっこよくて可愛い人だった。由真。いつもクラスじゅうの友達に笑いかけているような人だった。どうしても、どうしても、あの笑顔が自殺という行動に結びつかない。小難しいことは考えない主義じゃなかったの?人生について何か言われたところで、突っぱねていけばよかったのに。あなたの笑顔は天下無敵だったよ。
  無口になったわたしに、母が静かに言った。
  「結婚しろって、とやかく周りであせらせても、いいことはないんやね。」

  

  「離婚しても仕方がない」という雰囲気が実家から感じられるようになったのは、それからだ。父は相変わらず、なんとか我慢をしろというが、以前のような高圧的な感じではなくなった。同じ住宅地の中で、娘と同い年の女が「親族から生き方を責め立てられて自殺」したことが、わたしの両親の態度を変えた。
  わたしを、由真が護ってくれたかたちになった。
  はからずも。

  わたしは今も、その死が間違いのような気がしてならない。
  少なくとも自殺とは思えない。交通事故か何かか、あるいはー。

  わたしが見た、あちらの世界の人が、何かの間違いで由真を連れて行ってしまったのだ。その白い人がぼおっと立ち尽くしていたのが、彼女の父親が経営する工場の敷地内だったから、そんなふうにしか思えない。

  
   ・・・と、思いませんか(笑)

 「ミュージックバトン」ありがとうございます。
 作者サンの「横顔」を見ることができて、楽しんで読んでいたら、バトンを回していただきました。ここ半年ばかり、わたしの音楽生活がいかに変わったか、をあらためて思いました。

 で、
 1.PCに入っている曲。
   「彼」が運んでくれた音楽は、ほとんど(時々ミスしてとりそこなった)入れています。トータルで13時間くらい。      つまり、それだけで半日楽しめるということ。仕事中は流しっぱなしだったりします。
   アルバムが二枚以上入っているものだけ書くと、
   U2
   Led Zeppelin
   あとは洋楽ばかり、いろいろ。わたしが自分で入れたのは
   GREEN DAY
   のみです。わたしは好きですが「彼」はキライらしい。

  2.今、聴いてる曲
    今聴いているアルバムは
    ”Achtung Baby” U2
  

  3.最後に買ったCD
    ”Paper Tigers” Caesars

  4.思い入れのある曲
     
    ”SIR DUKE” STEVIE WONDER
     
   クラリネット担当のわたしは、トランペット担当の先輩に密かな憧れを抱いていたが、二人の一生がからんだのは、この曲のソロの部分何小節か、だけだった。
   
    ”クレイジー フォー ユー” マドンナ
 
   恋人の部屋に朝までいたのに、二人でイケナイことは何ひとつせず、ひたすら市販のバンドスコアをブラスバンドスコアに作り替える作業に熱中していた。そのとき使ったキーボードは今でも持っているが、すっかり娘たちのおもちゃになっている。

    ”ハートをロック” 松田聖子
 
    「この曲の女の子って、音子さんに似てるんだ。」
わざわざ部室にラジカセを持って来て聴かせてくれた。そのせいかどうか、バンドで唯一、ボーカルをちゃんととれたのがこれ。

    ”My Foolish Heart” BILLE EVANS    
    
   まだ「彼」と知り合ったころ、一番好きな曲を聞かれて答えた曲。恋をするたびにピアノで弾いてた。今もここにピアノがあれば弾きたい、かも。。
 
   そして、わたしにロックを教えた「彼」に、わたしはこの歌の真実を教えてしまうことになった、かもしれない。
    
  "Love ?s Blindness" U2     

・・・こんなところでしょうか。
   音楽的ルーツは、佐野元春さんです。彼の音楽なしに、わたしは青春を語ることはできません。
   それから、直接思いを歌詞にぶつけるのではなく、風や空や季節の移り変わりで思いを語る素晴らしさを教えてくれたのは、ユーミンです。
   
   「彼」と話していても、よく思うのですが、わたしは吹奏楽部とピアノという二本柱で音楽と関わってきたのだけど、これはどちらも、
  「向こうから来る音楽」
なんですよね。指導者が選んだ曲を自分のものにしようとするという。
   自分でバンド組むなり、CD買うなりして自発的に動いてきた人たちには、良い音楽を求める貪欲さがあって、それって、与えられたものを楽しんできた人間にはない強烈な光があるみたい。

   さて、次に回す方ですが・・・ここは、なんだかんだ言っても大好きなピアノつながりでいこうかな。
   村松健さんを通して、ピアノの素晴らしさを再認識させてくださった「みゆ」さん、
   ビートルズの弾き語り体験を話してくださった「つとむ」 さん、よろしければお願いします。 
 
 「かわれて、みませんか。私に。あなたとなら、息の合った関係がつくれそうだ。」

  電話の向こうから聞こえてきたのは、あくまでも冷静な声。
  わたしは、「かわれる」を頭の中で漢字に変換しようとして、おろかにも沈黙してしまっていた。つまり「買われる」のか、「飼われる」のか。
 
  「もちろん、あなたを監禁しようなんて、思っていませんよ。こういうのは信頼関係あってこそなんだ。お互いに、まずはことばから、相手を信じて初めて成り立つ関係なんだ。」

  男は、30才だと言った。職業をたずねると、医者だと答えた。唐突にかかってきた電話。新手の「イタ電」だった。受話器を取ったとたんに、耳元にこぼれてきたのは、
  「今から言うことを繰り返してください。」
  という、少し高めのトーン。冷静な口調で、静かに、
  「ご主人様。これから、わたしを思いのままにしてください。それが、わたしのよろこびです。」とゆっくり言って、
  「さあ、繰り返してください。」
  と、続けた。それは、「パートナー探し」をしている「S」の男性からの「イタ電」だった。よりによって、三十過ぎの、子持ちの女に引っかかったわけだ。わたしは、とっさに受話器をフックにかけようとしたのだが、怒りにかられた弾みで口走ってしまった。
  「一方的に暴力をふるって快楽を得ることは、どんなタイプの趣味であれ、興味がありません。」
   

   
   「SMを、勘違いしてますね。あれは、バカがやるとただの暴力になるんだ。そうじゃない。身体にも、もちろん、心にも、いっさい傷はつけない。まずは、信頼関係。ことばの積み重ねこそ、たいせつなんですよ。」
  いつしか、男の話き聞き入っていた。
  ことばの積み重ねによる信頼関係の構築、だって、それは、わたしが結婚生活で最も渇望していたものだったから。わたしは、パートナーからなんらことばをもらえないまま、夜毎にいたぶられてきたのだった。おそらく、「緊縛」という、その趣味があれば相当の快楽をもたらす方法で。
  「でも、いためつけられて快感を得ることは、わたしには無いと思います。」
  どんなに愛している相手でも、暴力的な目つきをされただけで怯えてしまう、それをわたしは身を以って知っている。でも、もちろん、そんなことは電話の向こうの男は知らない。
  「それは、興奮の相乗効果を知らないからです。
   あなたが興奮すると、私は興奮する。そして、双方が高まっていく。
   そういうものなんですよ。」
   わたしは、ため息をついた。
  「興奮することで、お互いを刺激しあうことは、知っています。だけど、それは、ごく普通の恋愛でも起こりえること。あなたのいうような、主従関係とは違う気がします。」
  「主従関係とも違うんです。」

  結局、「S」なその男とは、20分近く話した。最後にメルアドを聞かれて、答えなかったときに言われたのが、私にかわれてみませんか、だったのだ。
  「あなたは、私もを理解してくれようとしている気がする。そして、私も、そんなあなたに惹かれるものがあります。もしもあなたが金銭的に困っているなら、私はあなたをかってもいい。」
   このひとさびしいのだな、と感じた。孤独な心は、無意識に孤独な心と共鳴するのだろうか。
  「わたしはDVに遭いました。だから、あなたの言うことに興味を示してしまいました。でも、今、傷ついています。」

  男は、メルアドを告げた。そして、電話は切られたのだが、その直前にもう一度、
  「SMは、暴力とはまったく別なものです。それは高度に知的な遊びと思ってもらっていい。それを理解して、私のパートナーになってください。」
  と、繰り返すのを忘れなかった。

  電話を切ったあと、無性にむなしくなって、それから怖くなった。どこからか届けられた男の声に簡単に傷つけられる自分の心を嫌悪した。
  蒸し暑い夜風が、薄汚れたカーテンを押し倒すようにして部屋に入り込んできていた。

  
 俳句ができません。
 どうしてもだめです。しばらく、俳句なしで書いていくことにします。自分では、俳句なしなら、この日記を付けている意味が無いように思えてなりません。
 でも、だめです。
   

    居場所なきままに逝く春 またいくつ

  
  実家の母親に、離婚したいと話したところ、子供のために耐えろの一点張りの答えであった。
  「この年になって、どうしてそんな面倒を押し付けられなくてはいけないのか」
  そういうことだ。
  子持ちの出戻り娘は「面倒」なのだ。ま、実に正直でよろしい。早く孫の顔を見せろというので結婚して、その孫を里帰り出産したところ「どうしてこんなに大変な苦労をかけるのか」となじったひとである。そういうことだ。
  
  
  「いい年をして相手のいない娘を抱えていることが、どんなに恥か、考えたことある?」
  
  ・・・思い出した。あのときの居場所の無さを。何かにつけて、結婚しろ結婚しろしない女は恥だ、と言われ続けていた日々。誕生日やお正月はもちろん、芸能人の婚約のニュースや友人の出産や飼い猫の病気や近所の老人の死にいたるまで、過剰反応気味に「結婚しなさい」に結び付けられていた日々。

  そっか。
  そもそも、わたしはあの場所に居場所は無かったんだな。

  そうして、離婚を考えている今、あえて結婚の利益を考える。多少、自虐的に。
  
  どう考えても、一つしか浮かばない。
  「社会的な居場所を確保した」ことである。
  わたしは、会社名を言えば、ああ、あそこねーという返事をもらえる会社の会社員の妻であり、二児の母親である。一人は小学生。一人は幼稚園児。どちらもまだ幼いから、仕事を持っていなくても、とりあえずは認知してもらえる、誰に?社会的に。
  結婚しているので、「早く結婚しろ」と脅迫されることは無くなった。子供を平均値よりも若干多く生んだので「お子さんは?」攻撃も無い。なんてありがたい人生。そんな感じ。
  そう、たとえ家の中で何が起こっていようとも、世間様から見れば、あそこは安心して放っておいていい、そういう家庭に、わたしは生きている。

  そして、結婚していることの不幸、いや、短所とは?

  幸福は似通っているけれども、不幸はひとつひとつ違う、そんな感じ、そういう答えしかできない。結婚した方が孤独になったーなんてありえないと思うひとも多いだろうから。

  これから結婚するひとには、ひとつだけ書いておきたい。これは、失敗した人間だから言うのである。だから、そう重く受け止めないで欲しいのだけれど、

  「ひとを選ぶべき」
  
  ということ。年齢でも条件でも圧力でもない、「このひとだ」と思える相手が現れなかったら、するな!と言いたい。
  わたしは母親に「あんたには赤い糸は無い」と断言されていた。赤い糸があれば、もうその年まで独り者でいるはずがないと。27だった。わたしはいろいろな理由で地元を出たくてたまらず、都会の男性との結婚を望んだ。父親に「お前がその気でも、都会の男が田舎育ちのお前など相手にしないかもしれない」と笑ったから、見事に引っかかった男を放さなかった。それが、今の夫。思えば彼にも気の毒なことをした。
  わたしは、運命のひとがいない自分が、「世間並みに」結婚はできたのだから良しとしようと考えた。まさか、自分の小指にも赤い糸が、しかもほかの男のひとと結ばれていることに結婚してから気が付くとは。

  世間なんか、どうでもよかったんだ。
  わたしの人生なんだから自己責任をとる、と、どうして強く言い切れなかったのだろう。何も恥ずかしいことはしていなかったはずなのに、どうして恥をかかせるなと言われて、本当に自分を恥だと思いこんでしまったのだろう。

  誰にも、赤い糸はあるのだ。
  運命のひとは存在するのだ。
  とにかく、自分は何が好きで、自分に必要なものは何で、不必要なものは何なのか、自分をとことん知ることが先。何も自信を持つ必要は無い。自分に欠けているものが何かを追求してもいい。そして、それは欠けていてもいいのか、それでは嫌なのか考えてみて。
  結婚を意識するような恋をするなら、それからの方がほんとうはいい。なかなかそうはいかないけれども。お見合いだろうが、紹介だろうが出会い方はどうだっていい。ただ、出会うときに「自分」を持っている方が間違えないように思う。

  失敗した者があれこれ説教じみたことを書くのもどうかと思うけれど、わたしは30才を過ぎて、ようやく、自分の好きなものや必要なものを選別できるようになった。迷いがあるのなら、30才になってから考えてもいいのじゃないかなと思う。30代半ばを過ぎてリセットしようとする方が、つらいからね。

  
  

 
      背徳は紅のいろして桜蘂

  葉桜の季節。
  桜の花びらが降りしきる駅のホームで電車を待つ。
  風の手触りが優しくなった。
  若葉の季節が近い。

  木々の枝から柔らかな葉が萌え出すころ、なぜか毎年、不安になる。
  さかんに伸びて、日々濃くなる緑に生きる力を吸い取られていくような。
  春の始まりには穏やかに感じた花々の香さえ、この季節には濃厚で息苦しくなる。

  桜は花びらを地面いっぱいに散り敷いてのちに、今度は桜蘂をふりまいて、わたしの心を波立たせる。確実に時は流れ、花も実もいつしか無になる。
  わたしが、無になるのは、いつだろう。

  背徳と呼ばれる行為でも、貫き通せば果実になるはず。
  果実になる前に腐らなければの話だ。この調子では、実る前にわたしが消えてしまうかもしれない。
  
  花の終わった枝先に、無数の紅色の尖端。
  今日は、桜が恐ろしい。

  


  
      白蝶の追いつ追われつ大空へ

  二匹の白い蝶々が、ふざけるように、じゃれるように、空へ空へと舞いながら飛んで行く。
  
  後には、淡い青一色の空。

 
 
  80年代のロックを聴くと、なぜだか空を思い出す。
  あの頃のわたしは、音楽を聴きながら、やたらと空ばかり眺めて生きていたらしい。

  あの頃になりたかった30代でいるだろうか。
  いくつかのことはクリアした。でも、まだまだ青いんだよね。
  わたしって、死んでも、いい女、にはなれないタイプみたいだ。
  そんなことを考えた今日も、空をうち眺めていたわたしである。
     ときに手をさしのべられて桜かな

  花の季節に生まれてしまったので、花の季節に年をとらなければならない。
  若い頃は、頬にふれる風が柔らかくなり、桜の幹が甘く発情し始めると、ああ、またひとつ年をとるんだな、という憂鬱だけを感じた。
  でも、いつの頃からだろう、この「年をとる」という感覚に加えて、もうひとつの想いが加わった。
  
  あと何回、この花を迎えられるのだろう。
 
  そんな想い。

 「誕生日プレゼントは何も買わなくていい。だから、一日、完全なお休みをください。」
  そうして得た「誕生日特別休日」に、桜を見に行った。
  山の桜は、静かに咲いていた。
  晴天に恵まれた週末の真昼、山道は人々の笑い声と、屋台の呼び込みの声であふれていたけれど、花は、ただ、咲いていた。やるべきことを、文字通り自然にこなしている生きものの自信を感じた。
  この一年、激しい雨に打たれることも、根こそぎ倒されようかという強風に煽られたこともあっただろうに。
  重い雪に枝をおしつぶされそうにもなったかもしれない。凍てつく夜には枝も幹も凍りついていただろう。
  それでも、受けたダメージを微塵にも出さずに、今はただ、花を枝先からこぼれんばかりに咲かせている。ある木は薄紅色に、またある木は鮮やかな桃色に。雪のように白い花を付けている木もある。それぞれが、それぞれに、それぞれの想いをあふれさせるように、周りの空気を自分の色で染め上げながら、小さな花々を枝いっぱいに揺らしている。
  激しくも、淡々と。

  だが止まることの無い時の流れの中で、間も無く、桜は散る。
  そして、わたしもいつしか死んでいく。生きものとして悩みながら喜びながら、なすべきことは何かをつかんだりつかみそこねたりして、それを繰り返しながら、いつかは散る。
  わたしは、命が消える年まで毎春、桜に出会い、桜にあこがれて生きるのだろう。山にあふれる桜を求めて訪れた多くの人々と同じように。そして、わたしやここにいる人のすべてが花を見送らなくなっても、繰り返し、繰り返して桜の木々は花々をあふれさせるのだ。

  それが自然というものなのだろう。
  
  ならば、年をとることを、怖がらないで生きたい。時という悠長な流れの中の、ちいさな生きものの一つとして、しなやかに生きて、死にたい。

  それでも。
  わたしは、肩に置かれている手のひらの温かさに願をかける。愛という感情を抱いて生きる生きものとして、この時間だけは永遠であってくれたら、と。
 
      風花や 逢ふと別れは同じ数

  年末に北野で聴いたライブで、村松健さんが話していたこと。
  「逢えてよかった」だったか「出逢いと別れ」だったか、どちらかの曲のときだった。

  「考えてみれば、出逢いと別れとは、必ず同じ数なんですよね。たとえ、あるひとと、一生そばにいようと思っても、必ず最期には、死という別れがある。」

  晩秋から冬にかけて、なぜか心がものすごく不安定だった。
  仕事が立て込み、慢性的に睡眠不足が続いていたこともあるだろう、しかも、不慣れな仕事だから、力の抜きどころが分からず、気持ちの休まる暇が無かった。もちろん、実力不足だから負担になるわけだけれど、会社がまるでこちらを試すみたいに、違う種類の仕事をくれ続けたことも、緊張の原因だったと思う。

  そんな中で、大切に思っていたひととも音信不通になってしまった。

  
  出逢いと別れとは、同じ数。

  だけど、悔いの残る別れとそうでない別れというのはあるだろう。
  ほんとうは離れたくなかったのに、まるで見えない力で引き裂かれるように、あるいは、大事なものを無理やり取り上げられるように、いきなり別れの時が訪れることもある。

  だけど、あえてこう考えたい。

  出逢いにはすべて、何かしら意味があるのだ。
  意味の無い出逢いなど、ひとつも無いのだ。
  
  しかし、自分がその出逢いから得られるダイヤモンドの鉱脈は、出逢った相手そのひとの中には存在しないかもしれない。

  宝物は、そのひとではない。
  出逢ったこと自体の中に大切なものはある。

  もしかしたら、別れてからずっと後になって、輝石はみつかるのかもしれない。
  そのひとの、はるか向こう側に静かに埋もれているのかもしれない。

  そう、宝物は、あなたでは無かった。

  今なら、わたしはそう言い切ることが、できる。
  さよなら。

  そうして、あなたに逢えたから得られるはずの宝石を、わたしはもう捜し始めているのです。
      初夢で誰かに捧ぐセレナーデ

  去年は、虎に食われるという初夢で、それも相当インパクトがあったのだが、今年も後を引く内容のものだった。

  夢の中でわたしは、ピアノを弾いていた。
  曲は「ムーンライト セレナーデ」。そう、グレン・ミラーの名曲である。
  坂の上に、ピアノのある家はあった。
  すぐ近くに、わたしの好きなひとの勤務先か学校か、何しろ夢だから判然としないのだが、とにかく彼の居場所がある。
  しかし、会えない。
  ふられたからだ。

  彼は、かつて話していた。
  村上春樹の小説で一番のお気に入りは「風の歌を聴け」だと。
  自分の生まれ育った土地のことが書かれているから、思い入れがあるのだと。

  その話を交わしたときには知らなかったのだが、村上氏は、この小説の背景には「ムーンライト セレナーデ」が流れていると書いている。(これは本当に読んだから、夢では無くて実話)
  わたしは、そのことを音楽好きの彼に伝えたいのだけど、音信不通にされてしまったので伝えられない。
  だから、彼に聞こえるように、想いをこめてピアノを弾く。

  まだ、あなたが好き。
  もっともっと、あなたのことを知りたかったのに。

  そういう、夢。

  目覚めてから、なんとも切なくなる夢だった。
  まるで本当に失恋したみたいな哀しみが胸にわだかまっていた。

  お正月休みで実家に帰ったとき、楽譜を引っ張り出して、実際に「ムーンライト セレナーデ」を弾いてみた。
  雪混じりの風が窓にたたきつける、火の気の無い部屋にピアノは置かれている。かじかむ両手をこすって椅子に座っていると、かつて、毎日わずかでも時間をみつけて鍵盤に向かうようにしていたことを思い出す。
  ずいぶんとブランクはあるけれど、左手はベーストーンを追いかけるだけ、右手でコードを押さえながらメロデイをつなげていくという簡単なアレンジだから、なんとか、弾くことができた。穏やかな曲だ。でも、どこかに寂しさをたたえているように思う。足りないものはいくつかあるけれど、それでも幸せなんだ、というような。

  初夢から話は変わるけれど、ある時期、何かにとりつかれたように、ある一曲につきまとわれることがある。
  それが、なぜか今年は「ムーンライト セレナーデ」みたいだ。
  クリスマス料理やおせち作りやレンジ周りの大掃除などでキッチンにこもることの多かった年末、なんとなくハードロックとビッグバンドジャズをかわるがわる聴いていた。この組み合わせは、たとえれば、シュークリームとお茶漬けとを交替で食べるみたいで、なんとなく飽きなくて心地よいのだった。だから、そのときに自然に何度もこのナンバーを聴くことになった。
  それから、この日記の整理をしていたときに、見事に忘れていた「みじかいお話」の中でこの曲を採り上げているものを発見(自分で言わないか)、「土砂降りの、ムーンライト セレナーデ」という表現に、バカかお前は、月の光ってタイトルのナンバーに雨を絡めるなよ、などと自分で突っ込んでも、いたっけ。
  なんてことを考えていたら、昨日、FMで、シカゴが歌詞付きで演奏していた。重厚なブラスアレンジに朗々たるボーカル、というアレンジは、聴かせてはくれたけれど、あまり好みではなかった。わたしはクラリネット吹きだったから、あの楽器の枯れた感じが抜けていることに戸惑いを感じたのかもしれない。

  吹奏楽部員時代に何度も演奏したけれど、そのときには気持ちを揺さぶられるようなものは、特に無い曲だったように思う。最初のメロデイのハーモニーを、クラリネット4パートで合わせるのが苦労したとか、途中の三連符で必ずバンドのどこかで合わない者がいた、とかそういう練習の上でのあれこれしか浮かんでこない。
  だけど、名曲は、聴く人の人生に何度も立ち現れては何かを与えてくれるものらしい。とりわけ、ジャズは聴く人間といっしょに成長していく音楽みたいな気がする。あるいは、どこか高みにあって、聴く者を引き上げてくれる、みたいな。
  あ、この曲はそういうことだったんだ、と聴くたびに何かを感じていけるのなら、名曲といっしょに年をとるのも、そうわるいことではない。
      抱くのは 花火と汽笛と街の灯と

    

  わたしが恋をしているとすれば、その相手は、神戸だ。

  そういうことだったんだ。実感した。




  日付けが変わった瞬間、一斉に船が汽笛を鳴らし、隣りの島では花火が上がった。
  そして、街の灯は、穏やかに、だけど華やかに、きりりと引き締まった冬の夜にひとつずつきらめきを放っていた。


  新年、明けましておめでとうございます。
  今年も、皆様にとって素晴らしい出来事が、日々に散りばめられた一年になりますように。

  4年目の「詩瞬記」、どうぞよろしくお願いいたします。
 
     もみの木に星を降らせて空回る

  真夜中に泣いているよりは、流星群を探して夜空に視線を泳がせた方がいいのでしょうね。

  かなり、立ち直りつつあります。そう言えば、「めまい」を起こしてぶっ倒れたのも12月だったなあ。ヤバイ季節なのかしら。

  ところで、どうしても気になることがあり、できれば、お読みくださっている大人な方々に、お答えいただければなあ、って思い、書いております。
  
  先日の「聖夜」の話です。ヒロインの「ハナ」が、ドラマーの「ジュン」に、強く心を惹かれながらも、「絶対に寝ない」と決めている、というあれです。で、ハナが、なんで「寝ない」と決めたかというと、ジュンが、
「本当に愛しているかどうか、は、寝た後に初めてわかる。」
 と言ったから、なんですね。
  実は、このセリフは、先日、ある男の人が実際に口にした言葉です。例によって、言葉だけを頂戴して、そこから話をでっちあげていったわけですが、それはともかく、この言葉、わたしには相当にショックだったんです。

  「じゃ、愛していなくても寝られるってことじゃないですか。」
  おもわず、そう親しくもないのに、正面切ってたずねてしまいましたよ。すると、
  「いや、好きだからこそ、そういうことをしようと思うんだけど、真に愛しているかどうか、はその後ではっきり分かるんだ。」
  と、いう、分かったような分からないような答えでした。
  
  わたしの場合、寝ようとした時点で、もう「愛している」ので、ことが終わったあと、「やはりこれは愛じゃなかった」と認識したことはありません。もちろん、その後歳月が経ち、何かの要因で愛が冷めることはありますが、そうなるとこれは、寝た、寝ない、ってことと直結した話では無いのです。
  ただ、「相当本気で口説いたように見えたけど、やっぱり遊ばれたかな」と思ったり、逆に「これって、遊びだって言ったくせに、かなり本気入ってるじゃん」ということは、ありました。どうにもならない理由で、どうしようもなく別れなければならない相手から、「もうこれで終わり。俺はお前の身体が好きだっただけだ」というようなことを言われていたくせに、なぜか「愛」が伝わる。切ないけれど、そういうことがあります。

  ある女性の日記作家さんが、こういう雰囲気のことを書いておられました。
  彼女は、不倫しています。相手は同じ職場ということもあり、きわめて直接的に身体を求められます。彼からは「あなたに求めるものは、こういうことだけだ」と言われ、彼女も納得しようとするのですが、「本気」が伝わってきて、うまく断ち切れない、そういうことです。
  推測するに、この二人の場合は、男の方が「寝て愛を認識した」のではないか、と思います。寝る前には、自分の気持ちが分からなかった、あるいは、単純に「いい女だな」程度のものだったのが、寝てみて初めて、「本気だった」と思う。

  しかも、ある男性の日記作家さんが、「寝る前に好きになる、寝た後で好きになる、どちらかというと、後者が多かった」と書いておられるのです。

  ということは、男のひとが、「寝たい」と思う場合、そこに「愛はないのか!」と言いたくなってしまいます。
  ちなみにレインは、人妻フィーネと寝た直後に「好きなひととしか、こういうことはしない」と言っていますが、彼は女であるわたしがこしらえた男なので、例外ですわね。
  だからといって、レインみたいな男が理想かっていうと、そうでもないんだけど。それになぜか、彼は読者さんの中で、妙に「ハンサム化」しているみたいなんですが、わたしの頭の中ではそうでもないんですよね・・・。まあ、これは話が逸れました。

  どなたか、教えてください。特に、男性の方。
 「寝たい、と思うときのエネルギー。それは、愛ではないのか」

 

  
     島ひとつワインに沈め暮れてゆく

  神戸に来て思うのだが、どうして冬になると街の灯は、こんなに鋭く瞬くのだろう。煌きに心を奪われて、涙が出てくる。

  フィクションが、二つ続いた。

  だから、ってわけじゃないけれど、今日は本音を書いてみようかなと思う。

  先日、「過喚気症候群」の発作に見舞われた。実に15年ぶりの発作である。
  こいつは深呼吸のしすぎみたいなもので、おさまってしまえば実にあっけないものなのだが、発作が起きているうちはとても苦しい。
  何しろ呼吸ができないのだから。見た目も死にそうに見えるらしく、気の早いひとは救急車なんか呼びかねない。実際に、この前のときは職場だったから、救急車に乗せられた。話もできないくらいになるので、本人もだけど、周りの人間もあわててしまうのだ。
  幸い今回わたしが倒れたのは自宅にいるときで、子供たちも寝たあとだったから、誰もあわてさせることなく、紙袋を口にあてて静かにしているうちに落ち着いたのではあるが、これが屋外だったら、しかも子連れのときだったらどうしよう、と不安になる。
  いや、でもここで不安になることが、また発作を起こしかねないんだなあ、これが。

  ここまで読まれて、あれ、って思われた方もおられるだろう。
  夫の存在である。
  彼は不在ではなかった。しかも、わたしが発作を起こしかけたのは見ている。けれども、何もしなかった。あわてることもなかった。ヘタに救急車を呼ばれるよりはマシじゃん、と思いつつも、不自然だと思った。
  なんとも、思わないんだな。

  結婚する前には、結婚すれば、孤独から解放されるのだろうと思っていた。
  けれど、結婚してみて、これが余計に孤独を煽ることもあると知った。
  が、いい年をして、甘えているわけにもいかない。自分で孤独を飼いならしてやらなければ、救われない。

  書こう、と思った。

  立て続けに入っていた仕事もメドがついた。書く行為で、自分の不安感を鎮めてやろうと思った。わたしに思いついたことは、そういうことだった。だから、書いた。
  「フィーネとレイン」を書いたときには、まだ不安定だった心が、翌日「ハナとジュン」を書き終わって、かなり落ち着いてきたことに気が付いた。

  わたしには、物語が必要なのだ、と心から思う。
  よろしければ、今後もお付き合いください。
  

      衣食足りてこその青空 文化の日

  リーコ、小学校に上がって初めての音楽会。
  幼稚園が、おっそろしく行事に力を入れる主義だったこともあり、今回は、本人も親も、なんだか脱力気味。
  
  ところで、友達が、最近、腕に数珠を巻いて出歩いている。
  パッと見たところ、薄紫の玉が連なるそれは、綺麗なビーズのブレスレットである。しかし、よく見れば確かに、紫水晶の数珠である。
  「地震のニュースでね、少しパニック障害気味なのよ。」
   彼女は、わたしと同い年。あの阪神大震災の体験者である。今回の新潟の地震のニュース映像を観ただけで、呼吸が苦しくなると言う。
  「だからね、外に出たときには、必ず、これを巻いてね、少しは落ち着けるようにしてるの。」

  わたしは、さきの震災では被災しなかった。そのことが、今、神戸に住んでいると、たまらなく負い目に思えてくる。このことは、何度か、ここにも書いてきた。
  しかし、それでも、テレビなどから「被災地」という言葉を耳にすると、神戸のことかな、と一瞬、思う。もうやがて十年の時が経過するのだが、この街の土にも、空気にも、震災の記憶はしっかりと織り込まれていている。
  友達のように、今回の新潟の地震によって、被災体験を頭の中で追体験してしまい、傷ついている人もいる。
  だからといって、わたしに何ができるというわけもなく、ただ、黙って見守るしかないのだが。
  そして、「公園で寝泊りした」ことや、「線路伝いに、夜通し歩きとおした」ことなど、何度も同じ話を黙って聴く。
  

  聴くこと。
  それしか無い。
  神戸に住みながら、被災体験の無いものにできることは、語られることを、丁寧に受け止めることしか、無い。

  ところが、タチの悪いひとがいる。
  反発を覚える方もあろうが、ここは、「一部の」人間のこととして解釈していただけるとありがたい。「中途半端に被災したものが、一番どうしようもない」のである。
  わたしの経験では、大阪など、「揺れはしたものの、自分の生活に大きな不幸は無かった」という地域の人間には、苛立ちを覚えることが多い。
  「公園で、寒空の下、満足な毛布も無く、震えながら何日か過ごした」
  と、話すひとの前で、
  「通勤しようにも、電車が止まっていたから、アベノ近鉄でお買い物して、会社は欠勤した」
  と、笑って言える態度。
  「大きな揺れで、何が何やらわからないうちに、気が付いたら、ひっくりかえった机の脚を握って見上げたところに天井は無く、むき出しの空が見えた」
  という話の後で、
  「大きなシャンデリアが揺れに揺れて、もうあかん、落ちるわ、と覚悟を決めたけれど、なんとか落ちずに済んだ」
  という話が続けられる神経。
  こっちは、まったく被災していないのだから、何も言わない。言えない、のだが、自分の「被災レベル」がどのくらいで、相手はどのくらいなのか、もう少し細かい神経をつかった会話をするべきではないのだろうか。本当に、ひやひやする。
  
  さて、音楽会は、学年ごとに発表が行われる。
  そして、震災の翌年に生まれた子供たちの学年だけ、少しばかり人数が少ない。
  子供たちの合唱も、合奏も、食べるものがあり、着るものがあり、住む場所があってはじめて気持ちを傾けることができるもの。
  「文化の日」。
  文化ごときに心を向けられることを、心から感謝する一日なのかもしれなかった。

  
  
  
      青白き十一月を受け入れぬ

 
  毎年なら今頃、この人工島にも、紅葉の季節が訪れている。
  まっすぐに伸びた通りは、銀杏の落とす金色の葉でいっぱいに埋もれ、スポーツ・ジムの窓は、燃え立つようなフウの木の赤い色を映している。
  
  それが、当たり前だと思っていた。

  今年は塩害のせいか、銀杏は細々と青葉を伸ばして、頼りない日の光を蓄えようとし、フウの木は可愛らしいトゲトゲの実を実らせることもなく、薄い葉を縮らせている。

  当たり前のことなんて、本当は、どこにも無いと知る。

  
     秋麗や 海の航跡 空にもまた

 
  真昼の穏やかな波が、しなやかに踊っている。
  フラ・ダンスのダンサーの、左右に揺れる両腕を思い出させる動き。洗濯物を干す手を止めて、しばらく海に心を泳がせる。
  クレーンがひっきりなしにコンテナを吊り上げ、せわしそうな陸の動きとは対照的に、沖を通るタンカーはどれも静かに、その巨体をゆっくりと沖へ向かってすべらせて行く。

  秋の午前中。
  こうして、海を眺めていると、つい時間を忘れてしまう。
  いけない。掃除もしなきゃいけないのに。
  洗って糊付けしたシーツを広げて、丁寧に物干し竿にかけていく。
  つい最近までの、痛いほどの日差しを浴びせかけられていたことが嘘のよう。優しい光の降り注ぐ東向きのベランダからは、かっきりと澄んだ空を悠々と渡る雲の群れも見える。
  そして、どこへ向かった飛行機なのだろうか、白い飛行機雲が、一直線に山の方から海の方へ走っているのも、見える。

  あの雲をつくった飛行機の中には、たくさんのひとがいて、みんな、それぞれがそれぞれの想いを抱えて、いっしょに空を飛んで行ったのだなあ、と思うと、なんだか不思議。

  そして、飛行機が、人たちと心たちを乗せてはるか遠くに飛び去ってしまった後には、白くくっきりとそのしるしが残され、やがて跡形も無く消えていく。

  それは、こうしてPCの前で綴っている行為に似ている。

  確かに、わたしは、此処にいる。
  だけど、それは、いつしか消えるもの。跡形もなく。
  

  「不倫日記」は、今やそれだけで一ジャンルを作っているほどのにぎわいである。
  そもそも、不倫、という行為は、表向きは何も変えずに、全くの水面下で行われる行為であろう。
  なので、第三者が目を通す媒体を使い、そのことをあからさまに公表するのは、本当はNGなのである。
  しかし、そこは「匿名」の良さ、誰が書いているのか分からないから誰も傷つけない、ということで、「秘密の恋の隠しておけない胸のうち」をネットに曝す、ということになる。
  そこまでは、わたしも破廉恥な内容のものを平気で書いている身(ただし、事実ではない)であるから、否定は、しない。
  だけど、ひとつだけ言いたいことがある。

  「不倫日記」の作者たちよ、恋愛がうまくいっている間だけノロケまくって、縛られただの、あそこをどうされた、だの、書くなよ。
  その恋愛が破綻していくとき、その過程についても、そのセックスシーンと同じくらい、リアルに書けよな。
  第三者に、自分を曝すのだから、そのくらいの覚悟して臨めよ、でなきゃはじめから書くな。

  雲は、いつかは消えるもの。
  だけど、ある日見たひとつの雲のひとひらが、心に刻み込まれてずっと消えないこともある。
  目に「入る」とは、そういうことだ。

  

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