シャボン玉って、春の季語なんだって。
季語には時々、一年中見かけるものでも、季節が決められている言葉がある。シャボン玉がなぜ春なのかは知らないが、春、だと言われると、そうやなあ・・・と妙に納得してしまうのはどうして。
シャボン玉さへとどかないあの部屋に
男には妻子がいる。
休日には会えない。
女は時間を持て余していて、何気なく男の住む家の近くまで来てみた。
偶然、子供たちと過ごす姿でも見てしまったら最悪。
でも、そういうのも悪くないか。
彼はどう出るか。素知らぬ顔を決め込むか。
こんにちは、なんて、しらっと言うか。
少し自虐的な気持ちになる。
公園でシャボン玉を売っている。
ひとつ買って、女は、片隅のベンチに座る。
丁度、男の住むマンションの見える位置。
高層階のそこに向け、ふうっ、と息を吐く。
春の穏やかな日差しの中、そよ風に乗って、シャボン玉は、きらきらと流れ、音も無く消える。
ゆっくり。
すばやく。
愛し合うときの呼吸のよう、想いを包み込んで虹色の玉がとぶ。
でも、そのひとつとして、その部屋にはとどかない。
あの中に、やすやすと入れる女のことが、胸をよぎる。
気持ちは、あたしの方が近くにいるもん、と思ってみる。
そう、それは間違いない。そう、彼も言ってくれる。
だけど。
次々に生まれては消えるというのは、あたしたちが一緒に過ごす時とよく似ている。
かつて、「愛人向き」だと言われたことがある。
それも複数の人から。
そのうちの一人は、そう言って去った。
「妻、母としては、どうかな。」専業主婦になりたかったので、つらかった。
今、夢が叶って・・・とあまりピンと来ないのがモンダイだけど・・・専業主婦になって、家事に追われていて、そんな言葉も遠くなった。
しかし、ときどき、たとえば、掃除がうまくいかなかったり、子供をドツいてしまったりしたとき、
このセリフが、ゾンビのごとくよみがえってきて、わたしを苦しめる。
愛人に向いている、というのと、
専業主婦には向かない、というのは、
必ずしも同じとは限らないわけだけれども。
この罪深い言葉を発した男が、夕べの夢に出てきた。
くだらん踊りなんかやらずに、そこのところ、聞いたったらよかった。
季語には時々、一年中見かけるものでも、季節が決められている言葉がある。シャボン玉がなぜ春なのかは知らないが、春、だと言われると、そうやなあ・・・と妙に納得してしまうのはどうして。
シャボン玉さへとどかないあの部屋に
男には妻子がいる。
休日には会えない。
女は時間を持て余していて、何気なく男の住む家の近くまで来てみた。
偶然、子供たちと過ごす姿でも見てしまったら最悪。
でも、そういうのも悪くないか。
彼はどう出るか。素知らぬ顔を決め込むか。
こんにちは、なんて、しらっと言うか。
少し自虐的な気持ちになる。
公園でシャボン玉を売っている。
ひとつ買って、女は、片隅のベンチに座る。
丁度、男の住むマンションの見える位置。
高層階のそこに向け、ふうっ、と息を吐く。
春の穏やかな日差しの中、そよ風に乗って、シャボン玉は、きらきらと流れ、音も無く消える。
ゆっくり。
すばやく。
愛し合うときの呼吸のよう、想いを包み込んで虹色の玉がとぶ。
でも、そのひとつとして、その部屋にはとどかない。
あの中に、やすやすと入れる女のことが、胸をよぎる。
気持ちは、あたしの方が近くにいるもん、と思ってみる。
そう、それは間違いない。そう、彼も言ってくれる。
だけど。
次々に生まれては消えるというのは、あたしたちが一緒に過ごす時とよく似ている。
かつて、「愛人向き」だと言われたことがある。
それも複数の人から。
そのうちの一人は、そう言って去った。
「妻、母としては、どうかな。」専業主婦になりたかったので、つらかった。
今、夢が叶って・・・とあまりピンと来ないのがモンダイだけど・・・専業主婦になって、家事に追われていて、そんな言葉も遠くなった。
しかし、ときどき、たとえば、掃除がうまくいかなかったり、子供をドツいてしまったりしたとき、
このセリフが、ゾンビのごとくよみがえってきて、わたしを苦しめる。
愛人に向いている、というのと、
専業主婦には向かない、というのは、
必ずしも同じとは限らないわけだけれども。
この罪深い言葉を発した男が、夕べの夢に出てきた。
くだらん踊りなんかやらずに、そこのところ、聞いたったらよかった。
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