結婚話の「旬」というものがあるらしい。
いわゆる「お嫁に欲しい」というようなことを、あちらこちらから言われる。
整形したとか、大金を得たとか、べつに自分の環境に変化が生じていないにも関わらず、お見合い写真は家にいくつも届くし、付き合っている彼氏もしっかりいるし、っていう時期。

今思えば、あれ、あの時期だなあ。

はたちそこそこだった。
家を離れてはじめての一人暮らし。
何も無くてもときめきあふれる、人生がいきなり花開いたかのように感じられる時期である。
「 恋多き女」。
それほど、ふしだらだったとも思わない。
一人暮らし、とは言え、女子大の寮である。門限をやぶったことも無い。ふたまたかけたことも無い。
それでも、そういう評判が立った。

そして彼とは、そういう季節に出会った。

オレさ、一番でなくていいよ。
おまえの何番でもいいよ。
決してモテない方では無いのに、彼はそんな風に言った。
でさ、もしも、おまえが三十スギても一人だったら、もらってやる。だから、そうなったら、オレのところへ来いよ。絶対、来い。

三十は、スギた。
そして、一人である。
時々思い出す話として、彼の言葉は胸にあった。
今日までは。

さっきの電話の話を聞くまでは。
学生時代の友達からであった。

「彼、離婚したって、そんで、あんたに会いたがってるらしいよ。」

何をいまさら。
そう言ってやった。
「わたしはもう、東京を離れて長いし、今、急に会って何を話すの。」
それに大体、何も無かったんだから、わたしたち。

そう。
いわゆる「男と女」というのでは無かったのだ。
幾たびか、アブナイ雰囲気が、二人の間に流れたこともあった。けれども、そこが、「旬」だったわたしには、絶えず誰か特別の男がいて、その人以外の男と、そういう関係になることは無かったのである。
でも。
三重スギて一人だったら来い。
と、かつて言った男が、今、一人になった。
そして、会いたがって、いる。

やはり、胸がさわぐのである。

ただ。
こんなふうに胸騒ぎを覚えることを、わたしは実は後ろめたく感じている。
わたしは独り者である、しかし、おととい、五つも年下の男から、
結婚を前提に、付き合ってください。
と、言われてしまっているのである。

そして、返事は、まだ、していない。

この年になると、ただでさえ臆病になるのに。
なぜか、すこし腹立たしい。
だけど、どこかで、ときめいている。
そういう自分というのにも、少しイラつく。
それでも、鏡を見ると、なぜか少し頬がピンクがかっていたりする。


意識下の湖は紫陽花のいろ

これから、どうしよう。

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