髪洗ふ

2002年5月23日 みじかいお話
シャワーを浴びようとして手を止めたのは、ふっと、煙草の香がしたからだ。
彼は煙草を吸う。
新幹線に乗り込む前に吸った最後の一本が、髪に香りだけ残したのかもしれない。
彼は、行ってしまったのに。

遠距離恋愛になることは分かっていた。
それでも、彼からの申し込みにうなずいたのはなぜなんだろう。
正直言うと、それほど熱い恋にはならないような気がした、少なくともこっちは。
年令を考えれば、もう、そろそろゴールの見える恋をしたかった。ゴール、そう、結婚というゴールの見える、恋。
大恋愛をして結ばれたい、というわけでもないけれど、遠距離を乗り越えるだけのパワーは必要な気がした。

もうずっと離れたくない。
もう離したくない。

そして、あついキス。

はっきり言えば、そういう、めくるめくシーンが幾度となく繰り返されなければ「遠恋」なんて無理。無理。

だと、思っていた。

でも、彼とは、実に自然なのだ。
一緒にいれば楽しい。
時間も、早く過ぎる。
でも、新幹線のホームで、熱い抱擁を幾度と無く繰り返すようなテンションの高さは無い。
まあ、まわりで余りにもそういうことをバンバンされると、ひいちゃう、ってのもあるんだけどね。

目をつむると、そういう熱々の恋人たちに混じって、幾分ぎこちなく笑っていた彼の顔が浮かぶ。
ホームに残されるのは、なぜかほとんどが女の方で、しかも、そのほとんどが泣いていた。

わたしも、泣いた方がいいのかな。
そういうのも、相手を喜ばせるのかも。
でも、計算で出せるほど器用じゃない。
そんなことが出来るなら、今頃は女優かも。

シャワーをひねる。

煙草の香が、一瞬濃くなる。
シャンプーをつければ、一瞬で消えてしまうけど。

つむった目の裏に浮かぶ、きのうと今日、二日だけの彼。
今度はいつ会えるのか、まだよくわからない。
二週間先か、一ヶ月先か。
その間、二人はそれぞれ、お互いがまったく交わらない時間たちを生きる。

残り香を惜しみ惜しみて髪洗ふ


彼は、そのうち、迎えに来るよと笑っていた。
腕の中にすっぽり包まれて、わたしは微笑んでいた。
決して小柄な方では無いのに、彼といると自分がとてつもなく華奢なつくりになったみたいな気がする、そして、そういう時の自分がすき。

彼のことが、すき。


そして、髪を洗い終える頃、彼のいる街で彼といる、ゴールがふいにうっすら見えた。

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