結局、滝と逢えたのは、四人で呑んでから更に一週間後の夜になった。
誘いを入れて来たのは滝の方なのに、この日はどこか機嫌が悪かった。
わたしは、いつもと同じように、会社の誰彼の話をしてみたり、滝の仕事について聞いてみたりしてみた。
滝は、最近まで勤務していたわたしのいる支社の人間の近況を聞くのが好きそうだったから、わたしは、次々にいろいろな人物をとりあげては話をすすめた。
でも、沈黙がふたりの間を支配する時間が多くなりがちで・・・。
恋人同士の沈黙には二種類ある。
甘い沈黙。キスへつながる時間。お互い相手を求める気持ちが無口にさせて、紡ぎだされる沈黙。
そして、苦い沈黙。
話をしても長続きせず、気まずさだけが見えない堆積物となって、ふたりの間を埋めていく。
そして、今の二人の間の沈黙は・・・。
気まずいもの、なのだった。

なぜか、話をしなくとも、お互いの想いが分かる。
滝とわたしには、そういう部分があって、いいときには最高の組み合わせとなり得るけれど、悪いときには救いようが無い。
わたしは、実はもうそろそろかな、という予感を感じながらやって来たのだった。
ふたりの間の決定的瞬間。
プロポーズのとき。
誘いの声が、なんとなく硬かったのは、緊張のせいではないかと思っていたのだが、今夜に限っていえばそうではなさそうである。
「今夜は、帰るね。」
わたしはなるべく気軽に聞こえるようにそう言った。
「そう、するか。」
明らかにほっとした声だった。
その、くつろいだ声がわたしを苛立たせた。
離して、あげない。瞬間、そう決める。
「おやすみなさい。」
口先ではそう言ってのけ、唇を近付けた。
そして、そのまま彼の頭を抱え込むようにして、長い長いキスをつくった。
そして彼のかたい腕を静かに胸に引き寄せてゆく。薄い夏服の上から、次第に男の力が増していくのを感じたら・・・もう、離れられない。
わたしは、哀しくほくそえみながら、彼を受け入れてゆく。


多分彼の意に反して、激しいひとときになった。
同居している両親を起こさないようにして、自分の部屋に帰り、鏡をみるとずいぶんと口紅が乱れていた。
恐らく滝の体中に、わたしの紅が移っていることだろう。
首筋、胸、そして・・・もっと、下の部分。
体中が熱い。
わたしは、窓を開けた。
夜風が、くちなしの香を運んでくる。


梔子の白陶然と夜の中


その柔らかな甘い香をしばらく楽しんでから、窓を離れる。
と。
そのとき、ことん、と乾いた音がして、フローリング式の床に何かが転がった。
紅筆である。
さっき、滝のくるまの中で落としたのだろう。
彼に押し倒されたとき、ポーチがシートから落ちたから。で、服に引っ掛かったのだ。
でも。
その小さな筆を、コスメポーチに仕舞い込もうとして、わたしは思わず息を呑んだ。

違う。わたしのじゃ、無い。

筆を夢中でテイッシュにこすり付ける。
残っていた紅の色は、わたしのとは似ても似つかない、濃いピンク色をしていた。
誰の。
滝のくるまの中に、どうして他の女の唇を彩る道具があるのか。
夜の中。
梔子は、もう甘くない。

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