もう一度、やり直さないか?。
という文字が目に入って来たときには、何言ってんだか、って感じだった。
やり直す、などという言葉を使えるほどの歴史を、あたしたち、持っていないじゃないの。
付き合った、のは確かだと思う。
でも、言葉にしつこくこだわるならば、この「付き合う」っていう言葉だって何?。何をしたら付き合った、ってことになるんだろう。ふたりきりで食事を三回以上したなら?あるいはベッドに行ったなら?。
つまり、「付き合う」の定義みたいなもの。それが今一つ分からない。
ま、メールには、一言だけ書いて返した。
とにかく、行くよ。
だから、今、あたしはTOMOの部屋にいる。
グレン・ミラーをかけてもらって。
なぜグレン・ミラーなのか?。
それは、あたしたちが「付き合っていた」時代のテーマみたいなものだから。
あ、別に気取った思い出なんかじゃないのよ。
あたしたちは同じ高校の吹奏楽部にいて、そこで一緒にやったの、グレン・ミラーを。今となってはすこし青臭い記憶たち。楽器の手入れをするときに使うオイルの匂いと唾液の匂いが混じっていたり、
メトロノームの退屈な音にTOMOの爆発的なトロンボーンの音がかぶさったり、というような。
彼女、いるって聞いてるんだけど。
誰から?
それって大切なことなの?
いや。
で、彼女、いるんでしょ。・・・年上の。
・・・うん。
じゃあ、いいじゃない?仲良くやってりゃ。
「ムーンライト・セレナーデ」が始まる。
二人が初めてキスしたときに流れていた曲。誰もいなくなった夕方の部室。やっぱり唾液の匂いがしていた。
・・・うまくいってないのね。
うん。
だからって元カノにちょっかいかけるってのもどうかと思うよ。
あたしは無意識に頭の中でクラリネットのパートを唄っている。今でも覚えているんだ。少し感激。
そういうんじゃなくて。やっぱりオレには君かなって気がしてんだけれど。
あたしたちは壁にもたれて並んでいる。
もしもTOMOがその気になれば、今すぐにでも押し倒せる位置。
でも、そんなこと・・・。
狭い部屋に、ミュートのついたトランペットの音が流れていく。金管がどうしても合わせられないところだった。今聞いてても緊張してしまう。
・・・オレのこと嫌いになった?
・・・そういうこと、聞く?普通。そっちがふったんでしょ?好きな女ができて。
しばらくジャズは一切聴けなかった。トロンボーンの音がすると、とりわけつらかった。そういうこと、何も分かってないだろうに。
・・・ごめん。
TOMOがそうつぶやくのと、曲が終わるのが同時だった。
沈黙。
どこかで、遠く雷の音がしている。
あれって?雷?。
みたいだね。
沈黙。二人が思い出したのは同じ事に違いない。あの日、部室で抱き合ったのは、夕立の中だった。あたしには彼氏がいた。その人は部長をしていて、二人にとって一つ上の先輩だった。
グランドピアノの上に置かれたカセットデッキから流れていた「ムーンライトセレナーデ」、ピアノの鍵盤側にいたあたし。後ろから近付いてきて、ふいに抱きすくめたTOMO。
好きだ、とも言わないで。
付き合って、も、無かったし、キスしていい?とたずねられもしないうちに。
でも、抵抗もしなかった十六才のあたし。
あのときと、同じ。夏の夕方。雷。
あのとき、一人、二人、と練習を終えた部員たちが帰っていくのを見送って、早くTOMOとふたりきりになりたかった。あたしの耳は遠雷をつかまえていた。そして、早く雨が、大雨がこの部室をつつみこんでしまえばいいのに、と心から願っていた。
肩越しに夕立を待つ彼の部屋
え?あたしは今も夕立を待っているのかしら?
TOMOは黙っている。
フローリングの床に置かれた手は動かなかった。でも、その手がゆっくりとあたしの方へ・・・。肩を抱き寄せる。息が荒い。
TOMO、だめだよ。
どうして?
あたし・・・彼氏がいるもの。
言い切って立ち上がる。
そしてそれきりTOMOの目は見ない。
ごめんね。でももう、だめだよ。こんなんじゃ、嫌なの。
部屋を出たわたしの耳に雷の音がかぶさる。
本当は、彼氏なんかいない。
TOMOのことが嫌いってわけでもない。
ただ、思い出をたどるようにまた始めるのが嫌なだけ。青臭い過去を愛撫しながら恋するなんて、まだそんな年じゃないつもりだから・・・。
あの夏、彼氏がいるのにキスを受け入れた唇が、今度はひとりぼっちなのに、きっぱりと拒絶した。
ちょっとばかげているかもしれない。
でも、まあ、いいじゃん。
いよいよ降り出した雨の中を、口笛でも吹きそうな足取りで歩く。
どしゃ降りの、ムーンライトセレナーデ。
という文字が目に入って来たときには、何言ってんだか、って感じだった。
やり直す、などという言葉を使えるほどの歴史を、あたしたち、持っていないじゃないの。
付き合った、のは確かだと思う。
でも、言葉にしつこくこだわるならば、この「付き合う」っていう言葉だって何?。何をしたら付き合った、ってことになるんだろう。ふたりきりで食事を三回以上したなら?あるいはベッドに行ったなら?。
つまり、「付き合う」の定義みたいなもの。それが今一つ分からない。
ま、メールには、一言だけ書いて返した。
とにかく、行くよ。
だから、今、あたしはTOMOの部屋にいる。
グレン・ミラーをかけてもらって。
なぜグレン・ミラーなのか?。
それは、あたしたちが「付き合っていた」時代のテーマみたいなものだから。
あ、別に気取った思い出なんかじゃないのよ。
あたしたちは同じ高校の吹奏楽部にいて、そこで一緒にやったの、グレン・ミラーを。今となってはすこし青臭い記憶たち。楽器の手入れをするときに使うオイルの匂いと唾液の匂いが混じっていたり、
メトロノームの退屈な音にTOMOの爆発的なトロンボーンの音がかぶさったり、というような。
彼女、いるって聞いてるんだけど。
誰から?
それって大切なことなの?
いや。
で、彼女、いるんでしょ。・・・年上の。
・・・うん。
じゃあ、いいじゃない?仲良くやってりゃ。
「ムーンライト・セレナーデ」が始まる。
二人が初めてキスしたときに流れていた曲。誰もいなくなった夕方の部室。やっぱり唾液の匂いがしていた。
・・・うまくいってないのね。
うん。
だからって元カノにちょっかいかけるってのもどうかと思うよ。
あたしは無意識に頭の中でクラリネットのパートを唄っている。今でも覚えているんだ。少し感激。
そういうんじゃなくて。やっぱりオレには君かなって気がしてんだけれど。
あたしたちは壁にもたれて並んでいる。
もしもTOMOがその気になれば、今すぐにでも押し倒せる位置。
でも、そんなこと・・・。
狭い部屋に、ミュートのついたトランペットの音が流れていく。金管がどうしても合わせられないところだった。今聞いてても緊張してしまう。
・・・オレのこと嫌いになった?
・・・そういうこと、聞く?普通。そっちがふったんでしょ?好きな女ができて。
しばらくジャズは一切聴けなかった。トロンボーンの音がすると、とりわけつらかった。そういうこと、何も分かってないだろうに。
・・・ごめん。
TOMOがそうつぶやくのと、曲が終わるのが同時だった。
沈黙。
どこかで、遠く雷の音がしている。
あれって?雷?。
みたいだね。
沈黙。二人が思い出したのは同じ事に違いない。あの日、部室で抱き合ったのは、夕立の中だった。あたしには彼氏がいた。その人は部長をしていて、二人にとって一つ上の先輩だった。
グランドピアノの上に置かれたカセットデッキから流れていた「ムーンライトセレナーデ」、ピアノの鍵盤側にいたあたし。後ろから近付いてきて、ふいに抱きすくめたTOMO。
好きだ、とも言わないで。
付き合って、も、無かったし、キスしていい?とたずねられもしないうちに。
でも、抵抗もしなかった十六才のあたし。
あのときと、同じ。夏の夕方。雷。
あのとき、一人、二人、と練習を終えた部員たちが帰っていくのを見送って、早くTOMOとふたりきりになりたかった。あたしの耳は遠雷をつかまえていた。そして、早く雨が、大雨がこの部室をつつみこんでしまえばいいのに、と心から願っていた。
肩越しに夕立を待つ彼の部屋
え?あたしは今も夕立を待っているのかしら?
TOMOは黙っている。
フローリングの床に置かれた手は動かなかった。でも、その手がゆっくりとあたしの方へ・・・。肩を抱き寄せる。息が荒い。
TOMO、だめだよ。
どうして?
あたし・・・彼氏がいるもの。
言い切って立ち上がる。
そしてそれきりTOMOの目は見ない。
ごめんね。でももう、だめだよ。こんなんじゃ、嫌なの。
部屋を出たわたしの耳に雷の音がかぶさる。
本当は、彼氏なんかいない。
TOMOのことが嫌いってわけでもない。
ただ、思い出をたどるようにまた始めるのが嫌なだけ。青臭い過去を愛撫しながら恋するなんて、まだそんな年じゃないつもりだから・・・。
あの夏、彼氏がいるのにキスを受け入れた唇が、今度はひとりぼっちなのに、きっぱりと拒絶した。
ちょっとばかげているかもしれない。
でも、まあ、いいじゃん。
いよいよ降り出した雨の中を、口笛でも吹きそうな足取りで歩く。
どしゃ降りの、ムーンライトセレナーデ。
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