夜の秋

2002年8月30日 みじかいお話
彼女、のことはとても鮮明に覚えている。
それは、地方の小さな町の、普通の高校生活を送ったわたしにとって、余りにも強烈な思い出だ。
同窓会を通知するハガキを手にして、あら、という声が出てしまったのは、幹事名のところに、彼女の名前が記載されていたからだった。
「どうかした?。」
夫に聞かれて、
「いいえ、同窓会の通知にね、あまりそういうことをしそうじゃない子が幹事をする、って書いてあるから。」
「ふうん。」
と、夫は何気なくハガキを横からのぞきこみ、
「女の子かあ。セーカク変わったんじゃない?。」
一言だけ言ってからバスルームに消えた。
彼にしたら、わたしが反応したのが女性であることだけ確かめればよいのだ。
「悪いけど、これ、出席したいから、二、三日実家に帰るね。」
実家は特急で数時間のところだ。日帰りできないこともないのだが。
「・・・いいよ。」
シャンプーでもしているのだろう、お湯の音交じりのくぐもった声が返ってきた。


美術室のとなりには、「美術準備室」という部屋があった。生徒たちは縮めて「びじゅん」と呼んでいた。絵画や造形を制作するのに必要なもの、絵の具からイーゼルからトルソーからキャンバスまでありとあらゆるものが仕舞い込まれた小さな教室だったが、美術部員たちはなぜか正当な美術室をつかわず、この「びじゅん」でデッサンを描いたり、粘土 をこねまわしたりしていた。
そして、「びじゅん」は美術部顧問にしてわたしと彼女のクラス担任、K先生の部屋でもあった。
美術部員でもないのに、どうしてわたしがあんなにしょっちゅうあの小部屋に入り浸っていたのか。今これを書きながら、どうしても思い出せないのだが、美術室近辺の掃除はわたしたちのクラスの割り当てだったから、たぶんそこら辺の事情によるものだろう。
何よりもわたしは、あの「びじゅん」の匂いや雰囲気がすきだった。
K先生は高校教師であると同時に、日本画の日展作家だったから、和絵の具がたくさん置いてあり、わたしはその「浅葱」だの「萌黄」だのという色名がとても気に入って、毎日いとしそうに眺めていた。
「そんなにすきなら、描いてみたら。」
と言ったのが先生であれば、わたしは日本画を始めていたかもしれない。が、そう言ったのは、彼女だった。
彼女。美術部の部長にして、容姿端麗、成績優秀、おまけにスポーツ万能。
当時流行していた、後ろを大胆に刈り上げたショートヘアがよく似合う、のっぽの女の子。
美大をめざして毎日、デッサンに励んでいた。
「・・・わたしは見てる方がいい、その方が楽しいもん。」
デッサンにつかう鉛筆をけずりながら、わたしは答えた。

放課後。
「びじゅん」は二階にあり、見下ろせば正門、だった。
門の脇には銀杏並木。
彼女が思いがけないことをしたのは、その銀杏たちの緑の葉が夏の勢いを無くし始めた頃だった。
学校祭が近付き、浮ついた風が校内に吹いていた。
でも、彼女はそういうんじゃなかった。
まるで、生真面目に、わたしにあることを打ち明けてきた。
「あのさ、わたしが言うこと、変だと思ってもらってかまわないんだけど。」

なに?。

あのさ、もう、ここにあんまり来ないで欲しいんだよね。

やっぱり部員でもないのに入り浸るのはよくなかったか、とそう解釈した。部員の誰かが、そう言ったのだろう。
でも。
違ったのだ。


あのね、わたし、ここにいられると駄目になりそうなんだ。

それは・・・邪魔してた、ってことなんだよね。
ごめん。

違うよ。・・・あのさ、好き、なんだ、だから意識しちゃって。

え?

これまでそういうことを言われたことが無かったというわけでは無い。
ただ、大きく違っていることがある。
今まで好きだ、と言ってくれたのは、全員が全員、男の子だった。

当惑するわたしの肩に柔らかな手が降りてきて・・・
ふいに唇が、奪われた。


トルソーの青白き影夜の秋



自然、わたしは「びじゅん」に出入りしなくなった。
彼女は皆の前ではごく普通に振る舞い、わたしも、底抜けに明るい彼女の笑顔を見ていると、あの放課後のことは夢だったのかな、とさえ思うようになっていった。
そして、彼女は見事に第一志望の美大に合格し、わたしは短大に難なく合格し、それぞれの十年余りが過ぎた。

同窓会の会場は駅前のホテル。駅前、にも関わらず、とんぼが何匹も飛んでいるところが、懐かしいふるさとである。
幹事は、受け付けのすぐ脇に立っていた。
「お帰り。よく来てくれたね。」
確かに、彼女、の声であった。
でも、まぶしい位白いシャツに、きちんとプレスされた黒いスラックスのその人は、どう見ても女では無かった。
求められるままに握手をすれば、そこにはかつての柔らかさは微塵もなく・・・。

わたしは、自分でもあきれる位、その奇麗な「彼」に見とれてしまっている。

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