アルバイトでやっている家庭教師の生徒、マキの様子がおかしいらしい。
マキのおかあさんが、わざわざ電話をしてきた。
「なんといいますのでしょ?あの、部屋から煙草の匂いまでするようになって・・・。でも、何か話し掛けようとすると、ぷいっ、と機嫌が悪くなるものですから。」
要は「お姉ちゃんみたいに慕っている」わたしに、それとなくマキの様子を探って欲しい、とまあそういうわけなのである。
で、今日、マキはわたしの家にいる。
人工島のマンションにあるわたしの家にマキがやってきたのは夕方だった。
花火大会の日で、わたしの家族は見物に行っていて留守である。狭いマンションでもこれならゆっくり話ができるというものだ。
「さあ、勉強よ。」
「え?今日はしないって言ったじゃん。」
「するする、家庭科。」
わたしは笑ってマキを買い物に誘う。
「カレーでもつくろうよ。」
自宅マンション前にあるスーパーで材料を買って帰る。信号待ちで見上げれば、白い月がかかっている。月を横切って飛行機が飛び、チョークで描いたような一本の雲が流れる。
「ここ、飛行機いっぱい飛んでるね。」
十四才にしては幼い言い方でマキが言う。
「ちょうど真上が航路みたいよ。」
「へえ。」
わたしたちは、きゃあきゃあ騒ぎながら料理をこしらえた。
まるで本当の調理実習だ。
二人して余り料理上手ではないことが判明したが、それなりにおいしかった。
で、いったいこの子のどこかおかしいのだろうか?
一応、観察してみたけれど、さっぱり分からない。
二年前、中学受験から見てきたから多少は変化している。少女とも、おとなとも言えない、危うさをたたえ始める年頃ではある。母親が不安なのは、そういう微妙なところだろうか。
服装だって今どきの普通の子だし、髪を染めたり化粧をしたりしていないだけ、余程マトモ、って感じである。教育学部の学生として見てきている街のいろいろな子たちよりは、ずっと、スレていない。
あ、でも、煙草かあ・・・。
それは、気になるなあ。
「って言うか、先生、なんで花火行かないの?。」
「あ、花火?。」
一瞬だけ考えて、本当のことを言った。
「家族には、人ごみを避けたいモードなんだって言ってあるんだけど、ホントは違うんだ。」
「なに?。」
「・・・彼氏が、アメリカ行っちゃってるから。去年、一緒に見たの。ひとりで見たら、なんか、淋しい気持ちになっちゃいそうで、さ。」
「ふうん。先生の彼氏、アメリカなんだ。
アメリカって北米?。」
北米、という言い方に少し引っ掛かりながら、「そうだよ。カリフオルニア。」と答える。
すると、
「あたしは、南米だよ。」
という答えが返ってきた。
「え?。」
マキは笑った。笑うと、全くの子供だ、砂場でお城がうまくできて、ママ見て、と言っているような笑顔だ。
でも。
「あたしの彼氏。南米行っちゃった。」
彼氏。
それも、南米に行った。
思わず、ヤバイ世界の男を思い浮かべてしまった。
が、そういうことは少しいたずらっぽいマキの計算ずくのことであったらしい。
マキの通う中学に教育実習生としてやってきた大学生。
ギターが上手なその学生に、マキだけではなく、たくさんのフアンができた。でも、思うところあって、その学生はエクアドルに旅立ってしまった。
「青年海外協力隊なの。だからまた、帰ってきてはくれるんだけど、もうあたしのことなんか忘れて、なんてこともあり、かなあなんて。」
「そう。」
マキの中学は女子校である。クラスに男の子がいない中、ふと現れた大学生は実物以上に眩しかったのだろう。自分も大学生なので、素直じゃない考え方をしてしまう。
「でもね、すき、は、すき、なの。こんなんでも。恋のうち。」
マキはまた笑う、でもこの笑顔はさっきのとは違う。おとなの女の笑い。すきにならない方が幸せ、って頭ではわかっているのよ、でも、仕方ないでしょ、とでも言い出しそうな、そういうふてぶてしい笑顔。
ふいにわたしは、マキに聞きたくなった。
と言うよりも、確認したくなった。この子、わたしと同じことをしているんじゃないのかな。
「マキちゃん、あのさ、もしかして、そのひとって煙草、吸う?。」
「うん、吸うよ?。」
「・・・マキちゃん、彼がいなくなってから、時々煙草、買ってない?。」
煙草を買うのは自分が吸うためじゃない。
箱から一本抜き取り、そっと火をつけて。
そして、そのまま煙にしてしまう。
それは、お香を立てるのに似ている。
香のそばにいたいだけ、その香の中に身を置きたいだけのこと。
あの人の香。
懐かしい香に包まれていたくて、わたしは一人で煙草に火を点け、目を閉じる。
吸わない煙草。
香らせるために灰になる煙草。
マキもわたしと同じだった。
「気持ちわかるからさ、時々、ここにおいでよ。ここで、煙草のお香、したらいいよ。」
「先生のママはうるさくないの。」
「はたち過ぎてるのに、そうつべこべ言わせないわよ。」
顔を見合わせて微笑むわたしたちは、ふたりとも、恋する女だ。
「あっ、先生、見えたよ。」
湾岸の向こうから、花火が見える。立ち並んだマンションの影になり、殆ど、かけらではあるが、狭い夜空を染める蛍光色は華やかできらめいている。
「ほんとだね。」
わたしたちは背伸びをするようにして、対岸の花火に、しばし、見入った。
「先生、飛行機から花火を見ると、どんなふうなんだろうね。」
ふいに、マキがそう言った。
この子も、海の向こうの恋するひとのことをいつでも想っているのだ。片時も、忘れずに。
ビル街の花火つぎつぎ咲き急ぐ
マキのおかあさんが、わざわざ電話をしてきた。
「なんといいますのでしょ?あの、部屋から煙草の匂いまでするようになって・・・。でも、何か話し掛けようとすると、ぷいっ、と機嫌が悪くなるものですから。」
要は「お姉ちゃんみたいに慕っている」わたしに、それとなくマキの様子を探って欲しい、とまあそういうわけなのである。
で、今日、マキはわたしの家にいる。
人工島のマンションにあるわたしの家にマキがやってきたのは夕方だった。
花火大会の日で、わたしの家族は見物に行っていて留守である。狭いマンションでもこれならゆっくり話ができるというものだ。
「さあ、勉強よ。」
「え?今日はしないって言ったじゃん。」
「するする、家庭科。」
わたしは笑ってマキを買い物に誘う。
「カレーでもつくろうよ。」
自宅マンション前にあるスーパーで材料を買って帰る。信号待ちで見上げれば、白い月がかかっている。月を横切って飛行機が飛び、チョークで描いたような一本の雲が流れる。
「ここ、飛行機いっぱい飛んでるね。」
十四才にしては幼い言い方でマキが言う。
「ちょうど真上が航路みたいよ。」
「へえ。」
わたしたちは、きゃあきゃあ騒ぎながら料理をこしらえた。
まるで本当の調理実習だ。
二人して余り料理上手ではないことが判明したが、それなりにおいしかった。
で、いったいこの子のどこかおかしいのだろうか?
一応、観察してみたけれど、さっぱり分からない。
二年前、中学受験から見てきたから多少は変化している。少女とも、おとなとも言えない、危うさをたたえ始める年頃ではある。母親が不安なのは、そういう微妙なところだろうか。
服装だって今どきの普通の子だし、髪を染めたり化粧をしたりしていないだけ、余程マトモ、って感じである。教育学部の学生として見てきている街のいろいろな子たちよりは、ずっと、スレていない。
あ、でも、煙草かあ・・・。
それは、気になるなあ。
「って言うか、先生、なんで花火行かないの?。」
「あ、花火?。」
一瞬だけ考えて、本当のことを言った。
「家族には、人ごみを避けたいモードなんだって言ってあるんだけど、ホントは違うんだ。」
「なに?。」
「・・・彼氏が、アメリカ行っちゃってるから。去年、一緒に見たの。ひとりで見たら、なんか、淋しい気持ちになっちゃいそうで、さ。」
「ふうん。先生の彼氏、アメリカなんだ。
アメリカって北米?。」
北米、という言い方に少し引っ掛かりながら、「そうだよ。カリフオルニア。」と答える。
すると、
「あたしは、南米だよ。」
という答えが返ってきた。
「え?。」
マキは笑った。笑うと、全くの子供だ、砂場でお城がうまくできて、ママ見て、と言っているような笑顔だ。
でも。
「あたしの彼氏。南米行っちゃった。」
彼氏。
それも、南米に行った。
思わず、ヤバイ世界の男を思い浮かべてしまった。
が、そういうことは少しいたずらっぽいマキの計算ずくのことであったらしい。
マキの通う中学に教育実習生としてやってきた大学生。
ギターが上手なその学生に、マキだけではなく、たくさんのフアンができた。でも、思うところあって、その学生はエクアドルに旅立ってしまった。
「青年海外協力隊なの。だからまた、帰ってきてはくれるんだけど、もうあたしのことなんか忘れて、なんてこともあり、かなあなんて。」
「そう。」
マキの中学は女子校である。クラスに男の子がいない中、ふと現れた大学生は実物以上に眩しかったのだろう。自分も大学生なので、素直じゃない考え方をしてしまう。
「でもね、すき、は、すき、なの。こんなんでも。恋のうち。」
マキはまた笑う、でもこの笑顔はさっきのとは違う。おとなの女の笑い。すきにならない方が幸せ、って頭ではわかっているのよ、でも、仕方ないでしょ、とでも言い出しそうな、そういうふてぶてしい笑顔。
ふいにわたしは、マキに聞きたくなった。
と言うよりも、確認したくなった。この子、わたしと同じことをしているんじゃないのかな。
「マキちゃん、あのさ、もしかして、そのひとって煙草、吸う?。」
「うん、吸うよ?。」
「・・・マキちゃん、彼がいなくなってから、時々煙草、買ってない?。」
煙草を買うのは自分が吸うためじゃない。
箱から一本抜き取り、そっと火をつけて。
そして、そのまま煙にしてしまう。
それは、お香を立てるのに似ている。
香のそばにいたいだけ、その香の中に身を置きたいだけのこと。
あの人の香。
懐かしい香に包まれていたくて、わたしは一人で煙草に火を点け、目を閉じる。
吸わない煙草。
香らせるために灰になる煙草。
マキもわたしと同じだった。
「気持ちわかるからさ、時々、ここにおいでよ。ここで、煙草のお香、したらいいよ。」
「先生のママはうるさくないの。」
「はたち過ぎてるのに、そうつべこべ言わせないわよ。」
顔を見合わせて微笑むわたしたちは、ふたりとも、恋する女だ。
「あっ、先生、見えたよ。」
湾岸の向こうから、花火が見える。立ち並んだマンションの影になり、殆ど、かけらではあるが、狭い夜空を染める蛍光色は華やかできらめいている。
「ほんとだね。」
わたしたちは背伸びをするようにして、対岸の花火に、しばし、見入った。
「先生、飛行機から花火を見ると、どんなふうなんだろうね。」
ふいに、マキがそう言った。
この子も、海の向こうの恋するひとのことをいつでも想っているのだ。片時も、忘れずに。
ビル街の花火つぎつぎ咲き急ぐ
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