秋の風

2002年9月26日 みじかいお話
幼稚園に子供を送ったあと、海の見える丘に上がる。
すすきの群れがふっさりと豊かで、季節の深まりを感じさせる。
暑い、暑い、と騒いでいたのは、ほんの少し前では無かったか。今朝は、海風が北寄りで冷たくて、わたしは自分で自分の肩を抱くようにして歩く。黒いカットソーの綿の感触が寒々しい。男の腕に守られながら歩いていた頃が懐かしい。
港では、さかんに荷おろしが行われているようだ。
男たちの声や、クレーンの動く音、その他機械のブザー音みたいなものが、風に乗って切れ切れに耳に届く。そして、わたしは、はっとして、小さなバッグに神経を集中させる。
・・・違う。
着信音が聞こえた気がしたのだけれど。


空耳の着メロの乗る秋の風

分かっている。
今日もまた、こんなふうに過ごすのだと。
「彼」とメールを交わすようになってから、ここしばらくずっとこんな調子だもの。
携帯電話の着信音が聞こえた気がして、動きが止まり、全部が耳になり、そしてメールが届いていれば、そうじゃないかとときめき、違っていれば、小さく落胆する。
そう、小さく、落胆。
していればよかったのだが、日々、それが大きくなっているようで、こわい。
「彼」の存在の大きさが、メールの届かないときの淋しさと比例しているのだから。

恋、というのでも無いだろうに。
丘の上に木製のベンチをみつけ、ささくれを気にしながら座る。沈黙している手元をみつめて苦笑する。
会ったことも、無い。
実は、声すら聞いたことの無い、若い男。
いや、ほんとうは、若いかどうかもわからないのだ。相手の伝えてきたことを、そのまま信じれば、の話だ。液晶だけの付き合いだから、虚構があってもわからない。わたしにしても、「あなたよりお姉さん」としか相手に伝えていないもの。
小さなマンションの一室から夫と子供を送り出し、家事の合間に繰り出されるメールたち。
それは、ほとんど女友達との他愛無いもの。
その中に「彼」のものが混じりだしたのは二ヶ月ばかり前の、蝉が鳴き出した頃のことだった。
最初はただの「メル友のメル友」だった。今まで出会った男たちの持っていなかった、繊細な言葉遊びをするひとだ、というのが初期の印象だったが、わたしが恋愛していた頃には、まだ今ほどメールのやりとりがさかんでは無かったから、本当のところはわからない。もしかしたら、自分の想いを打ってかたちにすれば、案外、男たちはもっとデリケートだったのかもしれない。
ケイタイを取り出し、「彼」からのものを読み返す。
その表面に書かれているものの中から、感情を拾おうとする。
相手への気持ちがつよければつよいほど、必死で拾おうとする。
ワタシノコト、ドウオモッテイマスカ?。
まさか、恋でもないだろうに。

一日を報告している、といっただけの話に、何を求めているのだろう。
「風邪をひかないでください」
といった言葉から、気遣いを読み取る?
まさか。
そんなの、何でも無い相手へ、何ともなく言える言葉である。そこまでうぬぼれては、いない。
さっきから苦笑してばかりだ。
わたしは画面から目を上げて、彼方に視線を飛ばす。

空はミルク色で、そのまま海へと落ちている。
曇り。
こころも、おなじだ。

夕べも、夫の求めに応えなかった。

女の欲望は、恋と背中合わせである。
名前も知らない、顔も知らない相手。その男の方が、目の前にいる、子供たちの父親よりも、ずっとわたしを欲情させる。
もしも、ここで夫に抱かれて快楽を得たとしても、それは実は「彼」に抱かれるつもりになってはじめて包まれる快楽である。
そういうのは、裏切りとは言わないのかもしれないけれど。

分かりやすい愛の言葉など、どこからもみつからない小さな手紙の箱をバッグに仕舞い、わたしはたちあがって軽く背伸びをする。帰ったら、洗濯物を干さなければ。おでんが食べたいと言っていた夫のために、材料も仕入れて来なければ。

そうして、空耳の着メロは、今日も一日わたしを惑わす。

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