十三夜

2002年10月22日 みじかいお話
ふいに、
「乗れよ。」
と言われてまたがったタンデムシート。エンジンがかけられると、振動が下腹に響いて、わたしは思わず右手をお腹にあてた。

命が、ここにある。

きゅう、っと胸が傷んだ。

もう、泣かないって決めたのに、また涙が出て来た。
彼は、そんなわたしの様子を気にしているのか、静かに、静かにバイクを発進させた。

下鴨本通りを北へ向けて走り、やがて北山通りにぶつかった。京都の市街地を抜けて、250のバイクは山へ向かっていた。
振り向けば、きっと町の灯が見えただろう。
でも、わたしは唇を引きむすんで、ただ彼の背中の体温を感じていた。この背中に、ずっと付いていきたいのだ。だから、このひとの夢を邪魔することはしてはいけないのだ。
何一つ。
後ろに乗ったのは、初めてだった。でも、kawasaki KR250は、黙々と山道を滑っていた。やがてカーブし、きつね坂を超え、宝が池の辺りに出た。きつね坂のカーブは、かなりきつそうだった。こんな夜で無かったら、怖かったかも、しれない。
怖いことなんて、もう無い。
明日の手術だけが、怖い。
あるいは、手術を受けずに逃げ出してしまうかもしれない自分が、怖い。
あるいは、平然と命をひとつ壊してしまえる自分が、怖い。
ほんとうのことを言えば、今ここで、わたし自身の命がふっ飛んでしまうことの方が平気だ。

バイクは、岩倉から大原に続く道を走り出した。
やがて、すれ違う車もほとんど無くなり、夜の山道に、ひとつのエンジン音だけが、うなりをあげていた。
両脇には、北山杉の林。漆黒の闇に溶け込み、黒々とせり出している。

生みたかった。

いや、まだ今なら間に合うのだ。

わたしの意識は、お腹の中の小さな生きものに集中している。こうして、絶えずこのいのちに対して心配りを欠かさないなら、もうそれは、母というものではないだろうか。
そして、母という生きものの心境には、彼といえども踏み込めない。

このまま、山の一部になって。
そうして、静かに命をつないでいくことができるなら、どんなにいいだろう。
へたに、人間なんかに生まれてこなければよかった。

わたしの目に、また涙があふれる。

そのとき、突然視界が明るくなった。

月だ。

大きな、大きなお月様。

山が一瞬途切れたところへ、大きな月がのぼっていたのだった。月に見られているのだった。
かといって、停まる気配も無い。
どちらかというと、速度は増している。
まるで、逃げるみたいだね。



泣き虫になつてしまつた十三夜


こんなに大きな月は見たことが無い。
こんなに大きな罪は犯したことが無い。

月に、飛び込んでしまいたい位よ。

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