四才の娘と、「おやゆびひめ」のお話を読んでいた。

おんなのひとのところに咲いた花の中に座っていた、小さな女の子。
大切に育てられていたのが、ある日、ひきがえるにさらわれてしまう。
女の子は、ひきがえるの下から、魚によって助けられるのだが、
今度は、こがねむしにつかまってしまう。
何とか森の中で生き抜き、やがて、のねずみの家で厄介になっていたときに、
隣人のもぐら、がお嫁さんにしたいと言ってくる。
女の子は、もう少しで、もぐらのお嫁さんにされそうになったところを、
かつて、けがをして倒れていたところを助けたつばめ、に救われて「花の国」へ。
そこで、王子様と出会い、しあわせに暮らしました。

と、いうあの有名なお話。

読み終ったあとで、一言、娘が言った。

「おんなのひとは、どうなったの。」

そうなのだ。
おやゆびひめは最終的に「花の国」で、自分の生活をみつけて幸せになった。
でも、女の子を突然、ひきがえるに拉致されて失い、心を傷めて淋しくくらしているであろう、おんなのひと、のことは、お話の最後にも全く触れられていない。

「きっと会えたよ、王子様もいっしょに、おんなのひとのところへ行ったと思うよ。」

そう答えながら、それでも、おやゆびひめは、「花の国」からおんなのひとのところへ戻って生活することなど、できただろうかと考えた。

おやゆびひめには、「花の国」での暮らしがあり、
そこでの友人があり、子供だってできただろう。

たとえ不本意に、おんなのひとの家を出たのだとしても、
自分の力で掴んだ、自分の生活が、ある。

「おんなのひとも、花の国に行ったり、おやゆびひめも、帰ってきたり、お手紙書いたり、電話したりできれば淋しくないやん。」

と、いいことを思い付いた、とばかりに顔を輝かせる娘。

そうだね。

おやゆびひめと、おんなのひとと。
どちらも、それぞれの生活を大切にしながら、時々会ったり、話をしたり、自由にできればいいんだよ。



極みまで生きてこそもみじの赤し

生きていて、よかったね。
再会を喜び合って、それでも元にはもう戻れない。
誰が悪いわけでも無い、そういうことなのだ、時間が流れるということは。

たいせつにおもうことと、縛り付けておくこととは違う。
自由に、会いたいときに会えるように。
自由に、話したいときに話せるように。

そうなって、と、心から願う。

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