冬日

2002年11月12日 みじかいお話
湖に着いたのは、正午頃だった。
どこからか、サイレンの音が聞こえてきた。
正午を告げる音。

目の前に広がる水面が、一斉にさざなみ立っているのを、しばらく黙ってみつめている。

先にバイクを停めたのは、あたしだった。

エンジンの音が止み、メットを外す気配がして、足音が近付く。
彼の足音。
あたしの後ろでピタリと止んで、そして、ポケットから煙草を出す、くしゃくしゃっ、とした動作を感じる。見なくても、分かる。

ジッポの匂いがする。
こんな冬のひなたに似合う、懐かしくて穏やかな匂い。皮ジャンのどこにライターが入っているのかまで、知っている、あたしの男が真後ろに立っている。

でも、 もうすぐ、さよならを言われるのだ。

心が、軋む。

電話を通じなくされ、メールは送り返され、そしてついに、他の女と呑み屋にいた、という噂が耳に入った。
あたしにとって重要なことは、この男を失うということでは無い。
かわいそうね、と言われることが何よりも嫌いなあたしには、「棄てられた女」という評判が立つことが耐えられない。
できれば、「他の女と呑み屋にいた」時点で、あたしとはもう、何の関わりも無い男、ということにしておきたかった。
事実、気の毒そうに、そして、こっちの反応を窺い見る目に、一抹の期待感を隠せずにいる同僚には、こう言い放った。

もう、終わったのよ。知らなかった?。

だから、今日、ここにこうして呼び出したのは・・・そう、儀式のようなもの。

初めてこの湖に来たとき、あたしは、リョウという男のバイクに乗って来た。
リョウは幼なじみの男とのツーリングに、恋人のあたしを伴ったのだ。
リョウの幼なじみとあたしは、一瞬で恋に落ちた。
その日の夕暮れに、もう、リョウの目を盗んでキスをした。
帰り道では、タンデムシートが、彼のものであればどんなにいいかと気が狂いそうだった。


リョウは、あたしにバイクの免許を取らせなかった。
俺がお前を守るからいいだろ。
というのが理由だった。
もしも、あのときここに来なければ、あたしは今でも守ってもらえたのだろうか。
もう。分からない。あたしはリョウの胸から逃げ出して、今ここにいる男を愛した。
そして、リョウは、先月、誰かと結婚した。

空の色は青い。
でも、どうしてだろう、色が薄い。青を塗ってから、白く和紙をかぶせたみたいに、見える。
そして、はるか彼方の山並みをめがけて、一群れの鳥が飛んで行く。直線に飛んでいるように見えて実は旋回している。何かしら合図でもあるのだろうか、三角形に似たフォーメーションを崩さずに、大 きく、大きく。右に、左に。
あの鳥たちには、この湖は、どんなふうに見えるのだろう。



湖面には冬日のビーズ一面に


冬日が煌き、波頭に泊まって遊んでいる。

目を細めると、もっと輝く日の光たち。

涙が浮かべば、もっともっとキラキラして見えるのだろうけれど。
あたしは、泣かない。

振り向いて、男をみつめる。
さよなら、はあたしから、言うのだ。

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