菊薫る

2002年11月19日 みじかいお話
菊人形展は、毎年10月の初めから、一ヶ月の間開かれる。
もう30年、いや、40年近く続いている催しである。小さな頃は、遠足みたいに、学校単位で観に行った。
その年のNHK大河ドラマをテーマにして、毎年違った人形が作られる訳だけれども、物語の流れに沿うようにして場面ごとに人形が飾られている「見流館」と呼ばれる建物のつくりも、遊園地よろしくあちこちに展開している観覧車や、メリーゴーランドも、本当に、驚くほど毎年ほとんど変わらない。
「見流館」は、雰囲気つくりのためだろう、中を暗くし、場面に合った音楽や効果音を流し、照明で人形を照らす仕掛けである。
幼い頃は、お化け屋敷みたいで、とても怖かった。家族と来て大泣きしたのは勿論、わたしだけが中に入らず出口で待っていたことさえある。
そのわたしも、大泣きする子供を抱いて、ここを訪れる年齢になった。
結婚して町を離れ、久しぶりの「菊人形展」である。もの珍しくは無いものの、懐かしくもあり、レーザー光線や、CGなど、目新しい演出が興味深くもあり、子供に手をかけられながらも、楽しい時間が流れていた。

そのときまでは。

「見流館」を出たときに、ふと、見覚えのある中年、いやもう老人といった年頃の女が目に入った。
忘れもしない。
弘樹の母親である。
弘樹とは婚約直前に別れた。母親が、どうしても、わたしを気に入らなかったからである。
いや、もう少しふんばれば結婚式には漕ぎ着けられたかもしれない。
だが結婚してその後、姑とトラブルが起きたとき、この弘樹という人は嫁であるわたしの味方をしてくれるだろうか。
そう考えたとき、答えはノーだった。
だから、別れた。
美術館巡りをしたり、毎週スキーに行ったり。
ふたりの濃密でたいせつなひとときも、結婚するという段になって、母親が登場してきた時点で、何やら薄汚れた思い出になってしまった。
その母親が、目の前にいる。

しかも、家族で来ているらしい。

一瞬、弘樹の姿を探してしまった。
会いたいからでは無い。むしろ、逃げるために。
相手にみつかる前に、こちらが消えたい。
普段着に近い服を思い、そろそろカットしなければならない髪に手をやった。
彼の姿は、無い。

その代わりだった。
くたびれかけた母親に、ふたりの幼児がまとわりつく。
そして、
「おばあちゃんの手をとつなぎなさいよ。」
という若い女の声。

「いやだよー!。」
とわざとに汚い大声で返事を返した五才くらいの男の子。
弘樹そっくりだ。

わたしの両手にも、しっかり抱えられて、小さな娘がいる。
パパそっくりね、と人に言われる。

弘樹にも家庭があるのだ。

人形の見やる虚空に菊薫る

別々の時間を紡ぎながら、人は生きて行き、いつかは死ぬ。
菊もまた、毎年同じようでありながら、一つとして同じ花は、無い。

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