うす暗くなり始めた頃から、急速に天候は悪化してきた。
どうど、どうど、と北風が吹く。空の色が灰色に染まる。午後四時を回ったばかりだというのに、もう街灯が灯り、それが全く不自然では無い。
部屋のカーテンを閉めようと、窓際に立ったとき、男の車が入って来るのが見えた。わざとにマンションの駐車場には入れないで、路上に駐車する。そういうところ、本当に抜かりが無い、と思う。憎らしいくらい。
「タイヤ、換えたんだ。だから、少し遅くなった。」
部屋に着くなり、そう言って、静かにコートを脱ぐ。車からこの部屋までのわずかな距離を歩いただけなのに、長いコートからは、ひんやりと冷気がこぼれ落ちる。
タイヤなんか、換えなくてもよかったのに。
口には出さずにそう思う。
今夜辺りから、雪になるだろう。普通タイヤでは走れなくなるだろう。
だから、男は、雪道でも走れるように、スタッドレスタイヤに履き替えた、と言う。
わたしは、雪で車が走れなくなった方が、いい。
あなたを、「奥様」の元には帰したくないから。
でも、わたしは何も言わずに、黙って寄せ鍋の用意をする。
今夜は彼が泊まれる夜。
何も、あんな女のことを言い出して、楽しみを台無しにすることは、無い。
夜が更けて行く。
テレビの音が、流れている。
男は、仕事の話をしている。
でも、巧妙にリモコンを操作して、バラエテイ番組をハシゴする。ホームドラマを避け、不倫を扱かった恋愛ドラマを避け。
そういうところ、実に、抜かりが無い。
そして、テレビが消え、鍋の火が消え、ベッドの明かりも消えた時間・・・。
どんなにあたしの身体で夢中に遊んでも最期は、抜かりが無い。あたしの中に、自分の残骸を残すことは、無い。そして、その「残骸」を、自分で始末することも、忘れない。
男が、トイレに消えると、あたしはいつでも、少し、呆ける。
あの、最高潮の時間では無く、男が果ててから、呆けられるのでなければ、妻子持ちは、愛せない。
そして、ぼんやりしたまま、眠れるのでなければ。
せめて、汗くらいはとどめておきたいから、あのあとで、シャワーは浴びない。あたしは、男が朝、去って行っても、しばらく男の残り香で遊ぶ。時々、そのままで一日過ごすことも、ある。「奥様」と一緒に働く職場で、そのまま一緒にランチをすることも、ある。
男は、そんなこと、夢にも思わないだろう。
万事、抜かり無く過ごしていても、女の心までは、管理できない。あたしを愛人向きの女だと言った男は、誰だったっけ・・・。
いや、深く考えるのはいけない。
眠るのだ、夢に落ちよう。
やがてどこかで、遠く雷の音がして、わたしは、唸るように目覚めた。
夜明け前である。
低い、遠雷を感じる。
ここから数十キロ離れた海の、逆巻く波を、あたしは感じる。
どこか野犬の唸り声に似た、不吉で、だけど、ドラマテイックな、低い音。それが、次第に高くなると。
やがて、光がやって来る。
部屋に、一筋、一瞬の閃光。
一瞬の後、今度は大きく、部屋を揺るがすどおん、という音。
冬の嵐。
男が、ううん、と言って、寝返りを打つ。無意識なのか、計算して、なのか、あたしをぐうっと引き寄せる。
鰤起こし暴れたる夜の腕枕
この雷が去って行く頃、ここは、一面、雪になるだろう。
男と、雷と、どちらが先にここを去るのだろう。
雪と、哀しみと、どちらが先にここに訪れるのだろう。
どうど、どうど、と北風が吹く。空の色が灰色に染まる。午後四時を回ったばかりだというのに、もう街灯が灯り、それが全く不自然では無い。
部屋のカーテンを閉めようと、窓際に立ったとき、男の車が入って来るのが見えた。わざとにマンションの駐車場には入れないで、路上に駐車する。そういうところ、本当に抜かりが無い、と思う。憎らしいくらい。
「タイヤ、換えたんだ。だから、少し遅くなった。」
部屋に着くなり、そう言って、静かにコートを脱ぐ。車からこの部屋までのわずかな距離を歩いただけなのに、長いコートからは、ひんやりと冷気がこぼれ落ちる。
タイヤなんか、換えなくてもよかったのに。
口には出さずにそう思う。
今夜辺りから、雪になるだろう。普通タイヤでは走れなくなるだろう。
だから、男は、雪道でも走れるように、スタッドレスタイヤに履き替えた、と言う。
わたしは、雪で車が走れなくなった方が、いい。
あなたを、「奥様」の元には帰したくないから。
でも、わたしは何も言わずに、黙って寄せ鍋の用意をする。
今夜は彼が泊まれる夜。
何も、あんな女のことを言い出して、楽しみを台無しにすることは、無い。
夜が更けて行く。
テレビの音が、流れている。
男は、仕事の話をしている。
でも、巧妙にリモコンを操作して、バラエテイ番組をハシゴする。ホームドラマを避け、不倫を扱かった恋愛ドラマを避け。
そういうところ、実に、抜かりが無い。
そして、テレビが消え、鍋の火が消え、ベッドの明かりも消えた時間・・・。
どんなにあたしの身体で夢中に遊んでも最期は、抜かりが無い。あたしの中に、自分の残骸を残すことは、無い。そして、その「残骸」を、自分で始末することも、忘れない。
男が、トイレに消えると、あたしはいつでも、少し、呆ける。
あの、最高潮の時間では無く、男が果ててから、呆けられるのでなければ、妻子持ちは、愛せない。
そして、ぼんやりしたまま、眠れるのでなければ。
せめて、汗くらいはとどめておきたいから、あのあとで、シャワーは浴びない。あたしは、男が朝、去って行っても、しばらく男の残り香で遊ぶ。時々、そのままで一日過ごすことも、ある。「奥様」と一緒に働く職場で、そのまま一緒にランチをすることも、ある。
男は、そんなこと、夢にも思わないだろう。
万事、抜かり無く過ごしていても、女の心までは、管理できない。あたしを愛人向きの女だと言った男は、誰だったっけ・・・。
いや、深く考えるのはいけない。
眠るのだ、夢に落ちよう。
やがてどこかで、遠く雷の音がして、わたしは、唸るように目覚めた。
夜明け前である。
低い、遠雷を感じる。
ここから数十キロ離れた海の、逆巻く波を、あたしは感じる。
どこか野犬の唸り声に似た、不吉で、だけど、ドラマテイックな、低い音。それが、次第に高くなると。
やがて、光がやって来る。
部屋に、一筋、一瞬の閃光。
一瞬の後、今度は大きく、部屋を揺るがすどおん、という音。
冬の嵐。
男が、ううん、と言って、寝返りを打つ。無意識なのか、計算して、なのか、あたしをぐうっと引き寄せる。
鰤起こし暴れたる夜の腕枕
この雷が去って行く頃、ここは、一面、雪になるだろう。
男と、雷と、どちらが先にここを去るのだろう。
雪と、哀しみと、どちらが先にここに訪れるのだろう。
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