春疾風洗ひし街の緑色

春の嵐が桜の花たちを大勢引き連れて、この島を駆け抜けた。
一夜明けたら、緑の季節が幕開け、である。
街路樹の真新しい葉のういういしいこと。
いつのまにか花壇を席巻してしまった「雑草」たちの背の高さが、ぐん、と伸び、常緑樹たちでさえ、雨に洗われたあとの艶めきで輝いている。

植物たちって、強いなあ。

昨日は、強風と豪雨にただ打ち据えられ、叩かれ、枝も花もひたすら揺さぶられるままになっていたのに、新しい朝日を浴びればもう、すっくとしなやかに佇んでいる。
強いな。
うらやましい。

植物が強いのは、感情が無いからだと思う。
ひとも、感情さえ無ければ、もっと強くなれるのだろうに。
何があっても、笑顔でいられるのだろうに。



今日、喧嘩を売られた。
でも、買えなかった。
「彼女」に対しては、このところ「我慢がならない」ことが多い。こっちがそんな風に感じているということは向こうもそうだろうなとは思っていたけれども、やはりそのようであった。
「彼女」が挑発的言動をするのは、何も今始まったことでは無い。もともと、そういう性格だよ、と言う人もあるかもしれない。だから今までは、適当に放って置いた。
が、本日、晴れて「宣戦布告」というわけである。

が、カナシイかな、女の、それも、子連れの主婦の「宣戦布告」というのは、皆に声高らかに、とはいかない。二人きりのときを狙い、しかも相手からは目を逸らし、しかし、確実に悪意だけはぶつける、というやつである、まあ、女性で少しでも集団生活を体験すれば、様子は分かっていただけると思う。
ここで、悪意をぶつけられたわたしが、何がしか言い返すことは、できた。
さっきも書いたが、「我慢ならない言動」はわたしの中に蓄積されている。その中のどれかを抽出することは容易い。あるいは、それを雪崩のごとくに一気に噴出させる・・・。

しかし、知らん顔を通した。

もともと競争には不向きである。
スポーツが苦手なのは、「勝つ」ということに、喜びを感じないからである。相手を打ち負かすことが、何故嬉しいのか皆目分からない。だから、子供の洋服から夫の昇進まである、数限りない競争にも関わり無く生活している。
負けず嫌いの女性の中には、こうゆう態度そのものが既に気に入らないというのがいる。
卒業して何年も経った同窓会で、「あの頃あたしはあんたをライバルだと思っていた」と言われて驚いたことが、何度かある。
わたしは勝っても楽しくないから、はじめから競争には加わらないのだ、そう思い続けていたのに。

だけど、今日、そうなのか、分からなくなってきた。

喧嘩を買わなかった理由。

その一、面倒くさい。
その二、時間が無い。
その三、勝っても嬉しく無い。
その四、相手になったら、彼女と同じレベルに落ちる。


数字が大きくなるほど、気持ちのウェイトが大きい。


つまり、あんな女と同じところまで落ちてたまるか!・・・ということで喧嘩は回避されたのである。一言の反撃もしなかったのは、子供たちの為でも無く、通行人の為でも無く、同行していた他の人たちの為でも無く、たった一つ、

プライド。

・・・なんか、ほんとうにアホくさい。
自分がなんぼのもんなのだろう。

「我慢ならない言動」があるのなら、チャンスだったかもしれない。
喧嘩して、それぞれ言い分をばら撒いた方が、透明な関係を築けたのかもしれない。大嵐の後、街が洗われるように。
でも、それができなかった。
そうゆう自分が嫌いだな。だから今日は、落ち込んでいる。

コメント

最新の日記 一覧

<<  2025年5月  >>
27282930123
45678910
11121314151617
18192021222324
25262728293031

お気に入り日記の更新

最新のコメント

この日記について

日記内を検索