涼風
2003年5月23日 リーコとチョーコのお話 幼稚園の参観日があった。
年長ともなると、子供たちも先生に集中し、「授業」という感じになって来る。これが「年少」だと、園児同士で「メンチ」の切り合いするやつがいたり、皆が前を向いているのに、一人だけあさっての方向を向いているのがいたり、教室を脱走するのがいたりして、見ていてなかなかエキサイテイングなのだが、年長ではもうそういうことは無い。子供たちは、先生の言われるままに、歌い、踊り、スネアドラムのバチを振り回す。
よくここまで飼いならされたもんだなあ。
我が子を見ているだけでは退屈なので、お母さま方観察をしたり、壁に貼られた世界地図を見たりしている。新しい国をふたつみっつ覚えた。
さて、モンダイは「保育参観」をつつがなく終え、「お弁当参観」に入ったときに起こった。
「お弁当参観」は、文字どおり、子供たちのランチタイム風景を参観するというものである。母親同士が自分たちの「力作」お弁当にさりげなく(と言うか、あからさまに)チェックを入れ合う時間でもある。
机を並べ、お茶のカップが配られ、当日の「お当番さん」が前に出て、「いただきます」の「お歌とごあいさつ」の音頭を取り、いよいよお弁当タイム・・・。
・・・の筈なのだが。
「お当番さん」は男女ひとくみのペアである。
が、教室一番前の定位置には、男の子が一人立っているだけで、相方の女の子、みおちゃんの姿は無い。
「どこ行ったん?。」
「どうしたん?。」
園児たちのみならず、母親たちからもざわめきが起こり、姿を探すと、教室を出た戸口付近でうずくまっている。
担任の先生が何やらさかんに話し掛けている。当然、みおちゃんのお母さんは何とか我が子を「定位置」まで行かせようと必死である。が、彼女はさかんに首を横に振り、動こうとしない。
「お当番のお仕事を、先生が盗っちゃったから、なんだってさ。」
どこからともなく、そんな理由が聞こえてくる。
「いつもなら、お茶のカップを配ったり、お盆を並べたりするのは、お当番さんのお仕事なんだってさ。でも、今日は参観日で時間が余り無いから、先生がさっさとやっちゃったでしょ。だから、みおちゃん、怒っちゃったんだって。」
「お当番」は、子供たちにとって、かなり晴れがましいものらしい。うちのリーコも先日水疱瘡で登園できないのが分かったとき、一番に口にしたのが、
「えーっ、あさってはお当番なのに。」
だった。さほど世話好きでも、マメでも無いリーコでさえそうなのだ。しっかり者で世話好きで、リーコの妹のチョーコともよく遊んでくれるみおちゃんなら尚のこと、今日は朝から張り切って、「お当番さんとしての使命」に燃えていたのに違い無い。
みおちゃんのお母さんは、怒り口調が哀願になって来た。アメリカ人の園児を「お前」呼ばわりしたことさえあるという担任も、今日は並み居る母集団の前で威勢良く子供を叱り飛ばす訳にはいかないのだろう、ひたすら、静かに言葉での説得に終始している。
よく躾られているらしく、子供たちは、自分の席から動かない。もちろん、お箸を叩くやつ、カップを頭に被るやつ、それぞれ騒いではいるのだが。
しかし。
みおちゃんがぐずり出し、五分以上が過ぎ、子供たちのお行儀も目に見えて悪くなり始めると、母親の間から、不安の声が上がり始めた。何しろ、子供たちは、お弁当を前にしているのに、一口も食べられないのである。常日頃、暴力的は食欲と接しているので、エサを前にしたやつらが暴動でも起こさないか、心配になってきたのだ・・・。
「どうにかならへんかなあ、食べられへんやんか。」
と、ついにどっかの母が言った。
そして、ふざけて席を立つやつやら、踊り出すのやら、子供たちも動き出し、母たちは緊張し始めた、そのとき。
「みおちゃん、頑張れ!。」
どこからともなく、声が上がった。
「みおちゃん、頑張れ!頑張れ!、みおちゃん。」
声はいくつも上がり、それは、男子お当番さんのヒロくんの音頭で、教室中に広がった。
母たちは顔を見合わせた。
お弁当が食べられないのは、みおちゃんのせいだ。
早くしてくれ、いい加減にしてくれ。
そういう声が上がるのかと思った。
けど、実際には、そういう声は母たちにあった。
子供たちは。
子供たちは、責めるどころか、原因をつくっているみおちゃんを「応援」したのである。
涼風の歓声を乗せ沖へ沖へ
みおちゃんは、結局、子供たちの応援に押されるかたちで前に立った。ふてくされた顔は、なかなか元に戻らなかったけれど、何とか「ごあいさつ」までやり遂げ、子供たちは何事も無かったかのように、それぞれのお弁当をものすごい勢いで食べ始めた。
年長ともなると、子供たちも先生に集中し、「授業」という感じになって来る。これが「年少」だと、園児同士で「メンチ」の切り合いするやつがいたり、皆が前を向いているのに、一人だけあさっての方向を向いているのがいたり、教室を脱走するのがいたりして、見ていてなかなかエキサイテイングなのだが、年長ではもうそういうことは無い。子供たちは、先生の言われるままに、歌い、踊り、スネアドラムのバチを振り回す。
よくここまで飼いならされたもんだなあ。
我が子を見ているだけでは退屈なので、お母さま方観察をしたり、壁に貼られた世界地図を見たりしている。新しい国をふたつみっつ覚えた。
さて、モンダイは「保育参観」をつつがなく終え、「お弁当参観」に入ったときに起こった。
「お弁当参観」は、文字どおり、子供たちのランチタイム風景を参観するというものである。母親同士が自分たちの「力作」お弁当にさりげなく(と言うか、あからさまに)チェックを入れ合う時間でもある。
机を並べ、お茶のカップが配られ、当日の「お当番さん」が前に出て、「いただきます」の「お歌とごあいさつ」の音頭を取り、いよいよお弁当タイム・・・。
・・・の筈なのだが。
「お当番さん」は男女ひとくみのペアである。
が、教室一番前の定位置には、男の子が一人立っているだけで、相方の女の子、みおちゃんの姿は無い。
「どこ行ったん?。」
「どうしたん?。」
園児たちのみならず、母親たちからもざわめきが起こり、姿を探すと、教室を出た戸口付近でうずくまっている。
担任の先生が何やらさかんに話し掛けている。当然、みおちゃんのお母さんは何とか我が子を「定位置」まで行かせようと必死である。が、彼女はさかんに首を横に振り、動こうとしない。
「お当番のお仕事を、先生が盗っちゃったから、なんだってさ。」
どこからともなく、そんな理由が聞こえてくる。
「いつもなら、お茶のカップを配ったり、お盆を並べたりするのは、お当番さんのお仕事なんだってさ。でも、今日は参観日で時間が余り無いから、先生がさっさとやっちゃったでしょ。だから、みおちゃん、怒っちゃったんだって。」
「お当番」は、子供たちにとって、かなり晴れがましいものらしい。うちのリーコも先日水疱瘡で登園できないのが分かったとき、一番に口にしたのが、
「えーっ、あさってはお当番なのに。」
だった。さほど世話好きでも、マメでも無いリーコでさえそうなのだ。しっかり者で世話好きで、リーコの妹のチョーコともよく遊んでくれるみおちゃんなら尚のこと、今日は朝から張り切って、「お当番さんとしての使命」に燃えていたのに違い無い。
みおちゃんのお母さんは、怒り口調が哀願になって来た。アメリカ人の園児を「お前」呼ばわりしたことさえあるという担任も、今日は並み居る母集団の前で威勢良く子供を叱り飛ばす訳にはいかないのだろう、ひたすら、静かに言葉での説得に終始している。
よく躾られているらしく、子供たちは、自分の席から動かない。もちろん、お箸を叩くやつ、カップを頭に被るやつ、それぞれ騒いではいるのだが。
しかし。
みおちゃんがぐずり出し、五分以上が過ぎ、子供たちのお行儀も目に見えて悪くなり始めると、母親の間から、不安の声が上がり始めた。何しろ、子供たちは、お弁当を前にしているのに、一口も食べられないのである。常日頃、暴力的は食欲と接しているので、エサを前にしたやつらが暴動でも起こさないか、心配になってきたのだ・・・。
「どうにかならへんかなあ、食べられへんやんか。」
と、ついにどっかの母が言った。
そして、ふざけて席を立つやつやら、踊り出すのやら、子供たちも動き出し、母たちは緊張し始めた、そのとき。
「みおちゃん、頑張れ!。」
どこからともなく、声が上がった。
「みおちゃん、頑張れ!頑張れ!、みおちゃん。」
声はいくつも上がり、それは、男子お当番さんのヒロくんの音頭で、教室中に広がった。
母たちは顔を見合わせた。
お弁当が食べられないのは、みおちゃんのせいだ。
早くしてくれ、いい加減にしてくれ。
そういう声が上がるのかと思った。
けど、実際には、そういう声は母たちにあった。
子供たちは。
子供たちは、責めるどころか、原因をつくっているみおちゃんを「応援」したのである。
涼風の歓声を乗せ沖へ沖へ
みおちゃんは、結局、子供たちの応援に押されるかたちで前に立った。ふてくされた顔は、なかなか元に戻らなかったけれど、何とか「ごあいさつ」までやり遂げ、子供たちは何事も無かったかのように、それぞれのお弁当をものすごい勢いで食べ始めた。
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