例の「六甲おろし」エンドレスのスーパーで、ランチタイムだけの「おべんとう」を買う。
 ひとつのおべんとうを、3才の娘とはんぶんこするのである。 
 今日は、
 くりごはん
 であった。
  
 が、うちで開けたら栗が2つしか入っていなかった。
 
 いや、あの、別にそんなに栗が好き、というわけでは無いのですが・・・。
 
 ただ、ひとつ前に並んでいた、筋骨たくましいオニイサンの分には、やたら栗を入れてあげていましたね、「おべんとう詰め係」のオネエサン・・・。

 その心を知りたい・・・。

 意地汚い話になるかと思うが、敢えて書かせていただくと、幼い子供を連れていると、こういう場合、トクをすることが、実は多い。
 ま、くりごはんの中に栗が多い、という程度のことであるし、その分、おべんとうの中のお米の割合は下がるわけだから、本当にそれがオトクなことなのかどうかはわからないのであるが、なんとなく「無視された」ような気になるのである。

 たとえば、母子が、ものすごい口喧嘩をして、子供の方が、部屋にこもってしまう。
 ほどなく夕食になり、
 「ごはんできたよ。」
 母の声はまだ怒りをたっぷり含んでいる。
 ザラついた気持ちで着こうとする夕食の席。
 今夜のごはんは、くりごはんである。
 そう言えば、さっき、喧嘩する直前、母親が栗をむいていたな、と子は思う。
 ぴったりと実にまとわりついた渋皮を器用に包丁でとりのぞく様子を、なんとなく「すごいな」なんて思って見ていた。
 そのあと、大喧嘩になり、穏やかな尊敬の気持ちはフッ飛んでしまったが。
 
 甘みを含んだ空気が鼻をかすめる。
 炊きたての、くりごはんの匂い。
 ふと匂いの方に目をやると、母親が、今まさに自分の茶碗を手に取って、ごはんをもりつけたところだ。
 こちらに差し出される茶碗を持った手が、まだ怒っているのかどうか、子は少し怖い。
 
 そして運命の茶碗は、いったんこちらに差し出されようとして、また引っ込められる。
 あれ、と思っていると、母親の手に持たれたしゃもじから、幾つかの栗が、子のごはんの上に追加してのせられる。

 「・・・・。」
 「はい。」
  手渡されたごはん茶碗、家族の誰よりもたくさん盛られた栗。
 母親の顔を見ると、いたずらっぽい目配せに、柔らかな微笑みがのっかっている。
 

  栗ふたつみっつ増やして仲直り

 
 
 ・・・という感じ。
 そう、くりごはんの栗の数は、愛情の密度に連動しているのである。
 とまあ、ただの「サービスランチべんとう」に、そこまで断言はしないが、あまりそういうことでお客さんの差別化をしないでいただきたい。少なくとも、
 「あ、なんか怒らせた?。」
 程度の不安感はもたらされる。

 仮に「くりごはん」を頼んで、栗がひとつも入っていなければ、と想像すれば、そこらへんの心もとなさは分かっていただけるであろう。

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