「お前とは結婚できない。だって、お前は妻、ってガラじゃないもんな。」
 ものすごいショックだった。
 でも、わたし、お料理もキライじゃ無いし、アイロンがけだってスキだし、子供の世話も楽しんでできると思うけど、というようなことを言いかけたわたしだが、男は聞く耳を持っていなかった。
 なぜわたしじゃダメなの?。
 悲痛な想いで取り残された。
 遠い日の出来事。

 いったんは結婚をあきらめて、「郵便局の年金」に加入するなどしていたわたしだが、ふいに結婚してくれるひとが現れて、なんとか結婚することができた。「妻」になれて、やがて娘を授かって、首尾よく「母」にもなれた。
 この時点で、わたしはかつて「お前は妻失格」と言い放った男に言ってやりたかった。
 「あんたの言ったことは間違いだよ。」
 と。
 しかし。
 それからまた数年経って、もしかしたら、あのひとの言葉は、案外、真実を突いていたのかもしれない、と思うことがある。

 最も、現在、わたしは不倫の相手がいるわけじゃなし、育児ノイローゼにかかっているわけじゃなし、日々、ごく普通に家事、育児に追われている身である。
 しかし、しんどい、と思うことがある。

 一言で言えば、「重い」のである。
 安定した生活、と言えば聞こえはいいけれども、それに、そういうものを持っているということがある意味、「女の幸福」というものなんだろうけれども、重い。

 結婚相手という相手は、すべてしょいこまなければならない相手なのである。
 その相ひと、つまり、夫、だけではなく、彼に付随するすべてのもの、たとえばその育ってきた家や家族などなど全部を抱えこまなければならない。自分が生んだ子供たちではあるが、わたしの子は相手の子であり、相手の親の孫である。逃げようが無い。
 
 家事がすき、とか子供の世話に向いている、とか、そういったことは、結婚生活の一部分では大事であるけれども、実は、もっとも大切なことは、そんなもんでは無い。それは、
 
 ひとりの男をまる抱えして生きられるか。

 その覚悟があるかどうか、にかかっている。

 重ねて言えば、妻になるということは、好きな男の「私」の部分ばかりと対峙する生活になる、ということである。
 が、わたしは、「公」の男の方が本当はすきだ。
 もしも、容姿端麗で、しかもお酒に強かったなら、夜の仕事をして、男の「公」の部分に属する女になりたかった。

 だから、くやしいけれども、かつてわたしを「妻には向いていない」と判断して捨た男は、わたし自身が今頃気が付いたわたしの姿を見抜いていた、ということになる。
 彼はわたしのことが誰よりもわかっていたからこそ、夫にはならなかった。やがて、妻から捨てられる可能性がある、と判断したのである。

 
   慣れた腕ならいらないと寝待ち月

 「ピアノを買ってやるから愛人にならないか」と言った男もいた。
 冗談でしょ、と笑って終わったけれど。
 だけど、結婚してはじめて気がつく真実。もし、愛人として生きていれば、「まる抱え」の人生を渇望していたかもしれない。
 それは、わからない。

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