我が家の七・五・三は、カトリック教会で行われた。
 通常も日曜日に行われるミサの中に、毎年組み込まれてあるのだ。
 だから、「七・五・三」に該当する子供たちとその家族だけでは無く、いつも通り信者たちも列席する。
 
 大昔のことになってしまったわたし自身の「七・五・三」のことは、よく覚えていない。
 近所の神社に行ったら、仲良しの子に会い、いつも通りに駆け出して二人で、境内にあるブランコに乗って、母親から叱られた。
 晴着を着ていることなんか、忘れていたのだ。
 
 その程度のレベルだったことを思うと、リーコとチョーコがどの程度まで分かっているのか、はなはだ疑問であるが、神父さまは、子供たちの未来を心から祈ってくださり、そして、お御堂に会した百人近くのひとたちが、見ず知らずの子供たちのためにお祈りをしてくださった。その、あたたかな空気だけでも、記憶のどこかにとどめておいて欲しい。

 誰かが、自分以外のひとのことを、お祈りする。
 そういうパワーの存在は、信じたい。

 
   七・五・三 お御堂包む祈り雨

 話は変わるが、友達から電話があり、とても悲しいことがあったと打ち明けられた。
 でも、なんて言っていいのか、本当に分からなかった。
 なんて言っても、彼女の悲しみには追いつかないような気がした。
 何か、力付けてあげようともがけばもがくほど逆効果になる気がして、無口になってしまった。
 「こんなこと、聞きたくなかったね。」
 という彼女の言葉を、否定はしたけれども、そんなふうに思われてしまったのかと思うと、とてもつらい。
 彼女のためにお祈りしようと思う。
 ただ、そういう、力の存在を信じよう。 
 

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