七・五・三
2003年11月9日 ニチジョウのアレコレ 我が家の七・五・三は、カトリック教会で行われた。
通常も日曜日に行われるミサの中に、毎年組み込まれてあるのだ。
だから、「七・五・三」に該当する子供たちとその家族だけでは無く、いつも通り信者たちも列席する。
大昔のことになってしまったわたし自身の「七・五・三」のことは、よく覚えていない。
近所の神社に行ったら、仲良しの子に会い、いつも通りに駆け出して二人で、境内にあるブランコに乗って、母親から叱られた。
晴着を着ていることなんか、忘れていたのだ。
その程度のレベルだったことを思うと、リーコとチョーコがどの程度まで分かっているのか、はなはだ疑問であるが、神父さまは、子供たちの未来を心から祈ってくださり、そして、お御堂に会した百人近くのひとたちが、見ず知らずの子供たちのためにお祈りをしてくださった。その、あたたかな空気だけでも、記憶のどこかにとどめておいて欲しい。
誰かが、自分以外のひとのことを、お祈りする。
そういうパワーの存在は、信じたい。
七・五・三 お御堂包む祈り雨
話は変わるが、友達から電話があり、とても悲しいことがあったと打ち明けられた。
でも、なんて言っていいのか、本当に分からなかった。
なんて言っても、彼女の悲しみには追いつかないような気がした。
何か、力付けてあげようともがけばもがくほど逆効果になる気がして、無口になってしまった。
「こんなこと、聞きたくなかったね。」
という彼女の言葉を、否定はしたけれども、そんなふうに思われてしまったのかと思うと、とてもつらい。
彼女のためにお祈りしようと思う。
ただ、そういう、力の存在を信じよう。
通常も日曜日に行われるミサの中に、毎年組み込まれてあるのだ。
だから、「七・五・三」に該当する子供たちとその家族だけでは無く、いつも通り信者たちも列席する。
大昔のことになってしまったわたし自身の「七・五・三」のことは、よく覚えていない。
近所の神社に行ったら、仲良しの子に会い、いつも通りに駆け出して二人で、境内にあるブランコに乗って、母親から叱られた。
晴着を着ていることなんか、忘れていたのだ。
その程度のレベルだったことを思うと、リーコとチョーコがどの程度まで分かっているのか、はなはだ疑問であるが、神父さまは、子供たちの未来を心から祈ってくださり、そして、お御堂に会した百人近くのひとたちが、見ず知らずの子供たちのためにお祈りをしてくださった。その、あたたかな空気だけでも、記憶のどこかにとどめておいて欲しい。
誰かが、自分以外のひとのことを、お祈りする。
そういうパワーの存在は、信じたい。
七・五・三 お御堂包む祈り雨
話は変わるが、友達から電話があり、とても悲しいことがあったと打ち明けられた。
でも、なんて言っていいのか、本当に分からなかった。
なんて言っても、彼女の悲しみには追いつかないような気がした。
何か、力付けてあげようともがけばもがくほど逆効果になる気がして、無口になってしまった。
「こんなこと、聞きたくなかったね。」
という彼女の言葉を、否定はしたけれども、そんなふうに思われてしまったのかと思うと、とてもつらい。
彼女のためにお祈りしようと思う。
ただ、そういう、力の存在を信じよう。
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