彼女が恋をした。
 相手は、娘の主治医。
 生まれつきのアレルギー体質が「ぜんそく」という形で現れた彼女の小さな娘は、生まれてすぐからしょっちゅう小児科の世話になった。症状が現れたときのみならず、定期的なケアをしていくことになり、その間に、担当医に恋をしてしまった。

 「あのね、ご近所での評判は必ずしもよくないのよ。割と大きい病院だし、何人かドクターがいる中で、どうしてあのせんせいが、って、担当が決まったときには思った。」
 噂は、「全然親身になってくれない」「アレルギーには疎そう」といったおよそ小児科医としては不適切ものだった。が、会って話すと、とてもそんな噂をたてられる医者とは思えなかった。
 「ぜんそくって言っても、そう心配することはないですよ。
 見守りながら、一緒に治していきましょう。」
 あたたかい言葉と微笑があった。咳をして苦しんでいる娘を前に、
 「ぜんそくの体質っていうのは、貴女に似たんだわ。うちは誰もそういう血じゃないから。
 かわいそうにね。」
と、冷たく言い放つ姑の前で黙ってうなずいている夫を思い出した。そして、自分にもこれでようやく「味方」ができた、という気持ちになり、心から安堵した。

 外来に通ううちに、何度か顔を合わせるうちに、感謝の気持ちが恋になった。
 ドクターの評判は、相変わらず良くなかったが、それはまるで、自分と娘だけには特別な優しさをもらえていることの証明のようにさえ感じられた。
 幼い娘をひざに乗せて、胸の音を聴いてもらう。
 そのときに、男の指なのに節くれの無い、きれいで細長い指が近付いてくると、思わずそっと触れたくなってしまう。
 ほんの十分あるかないかのひととき、できるだけ顔を見ていたいと思うのだけれど、意識してしまい、それすらできない。

 片想い。

 「こっちにしたら、ひとりきりのせんせいなわけよ。
 でも、向こうにしたら、一日に何十組も会う親子のうちの、何十分の一、でしかない。おそらく、顔と名前も一致していないと思う。それはわかってるのよ。
 だけど、自分でもバカだなあ、って思うんだけど、ときめくのよ。久しぶりなんだ、こんな気持ちは。」

 相手が小児科医だから、娘の容態が悪くなると、会う機会ができるということになる。
 もちろん、咳をして苦しむ娘であって欲しいわけが無い。
 しかし、発作が現れて、ああ、明日はお医者さんに行かなきゃね、とつぶやきながらふと鏡を見ると、そこには、看病で疲れて寝不足のはずなのに、表情が輝いている女がいるのだという。
 
 「ばかだよね。それに、娘の体力がついて、よくなってきたり、せんせいが担当医でなくなったりしたら、もうそれっきりになる恋なのに、毎日、囚われて過ごしているなんて、三十すぎた女の恋にしては情けなさすぎるよ。」

 そうかな。
 人妻だから暴走しない、できない、でも、恋をする、ときめく。
 素敵だよ、じゅうぶん。

 「そう言ってくれると嬉しいよ。確かに、ひとをすきになると、どこか華やいでくる気はする。
 これって、恋愛体質かな。」

 恋愛体質。
 誰かをすきになる、それは、花に水を与えるように、心に水を与えるようなもの。
 生きていくのに、恋を必要とする体質を、恋愛体質と呼ぶ。
・・・らしい。

 
  ポインセチア恋愛体質ありとみて

 
 片想いでも、かまわない。
 

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