娘に、殺された。
 
 三才児チョーコが、とことことキッチンにやってきて、寄せ鍋の準備に追われるわたしに向かって、一言、
「あのね、チョーちゃんのママ、死んじゃったの。」
 この娘、この年の割によくしゃべる方ではないか、と思うのだが(現在五才のリーコよりもうるさい)そこは生まれて三年しか経っていない女である、言っていることはむちゃくちゃ。
 しかし、妙な祭りに参加した話を始めたり、キリンに廊下で会ったことになったり、「プロ野球選手ふりかけ」ならぬ「大相撲ふりかけ」を弁当に持って行ったということになったり、となかなか面白いので、一応、話に乗ることにしている。この前は、
「お大根に乗ったら、ロケットみたいにビョーンって飛べたんだよ。」
 と、繰り広げ、こいつはなかなか聞き応えがあった。
 で、冒頭の「母殺し」。

 「チョーちゃんのママがね、自転車で走っていたらね、後ろからクルマが当たってね、死んじゃったんだよ。」
 「そ、それで?。」
 「それでね、救急車が入って来るところでパパにね、大丈夫だよ、って言われた。」
 そして、チョーコの姿はキッチンから消えた。
 
 うーむ。
 何ていうのか、リアルだ。
 少なくとも、大根が空を飛ぶ話よりは、かなりきちんと筋が通っている。
 おかしいのは、それを話しているのが「死んだはずの母」というところだけである。

 とにかく、気を付けて自転車に乗ろう、と思った。案外、予知かもしれないから。
 しかし、後ろから来られたんじゃ、ひとたまりも無いか。

 「前世の記憶じゃない?。」
 というひともいる。
 なるほど。三才位じゃ、そういうこともあるかな。
 友達の子供でやはり同じくらいの子が、体験したことの無いはずの、先の震災の話を実にリアルに語って、周りを驚かせたということも聞いたし。しかし、この場合は、母親が、自宅半壊、というかなり強いダメージを受けたから、妊娠中に何らかのメッセージを受けた、とも考えられる(と、素人が寄り集まって判断を下した)。
 
 三才と言えば、わたし自身も架空の友達と遊んでいたらしい。
 この時期の幼児は、何か、混沌とした世界を抱え、現実と折り合いをつけながら暮らしているのだろう。人間未満、妖精以上。

 十二月がやって来る。
 チョーコお気に入りの芝生も枯れて、冷たい海風が通り過ぎていく。
 だけど、芝生で遊ぶ幼児も犬も小鳥も虫も、なぜだろう、みんな跳ねて、いきいきと呼吸しているのだ。

 がんばらなくちゃ。

 枯れ芝で跳ねるものみな輝きて
       きみとぼくとの季節はじまる

 
   

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