どこまでも笑顔持て行け冬の旅

 伯母が急逝した。
 
 病気療養中ではあった。しかし、亡くなる数時間前まで、普段通りの生活だったという。
 
 このひとは、姑の姉であるので、血のつながりは、無い。
 しかし、徒歩十分ほどの距離に住んでいたので生活圏が同じだった。よく自然に顔を合わせていた。
 血のつながりは無い。なのに、
「おばさんだよ。」
 と紹介すると、
「道理で似ていると思った。」
 と言われることが何度かあった。小柄で大きな目をしているので、あながち無責任な発言とも言えないな、と思った。そう言われることで親しみも感じた。
 世話好きで、よく動くひとだった。
 若いときの写真を見たことがある。
 どう見ても「スポーツカー」にしか見えないクルマの運転席に座り、不敵な微笑みを浮かべている。
 バレエの発表会の、チュチュ姿のものもあった。
 名門と言われる「k女学院」を卒業したが、普通の奥様ではおさまらなかったのか、自分で商売をしていた。
「家事は苦手だから。」
 とよく言っていた。では身の回りのことはどうしていたのか、と言うと、「パートナー」の「伯父」がしていた。
 この「伯父」は伯母のために妻子のもとを去ったのである。いわゆる「略奪愛」で、だから、ふたりはついに戸籍上で夫婦になることは無かった。

 病気のはじまりは、「足が動かない」ことだった。
 松葉杖をつき、足をひきずりながら、ケイタイ片手に商売を仕切っていた。
 あちこちの病院を回った。総合病院、接骨院、整体・・・。
 原因不明。

 やがて、車椅子の生活を余儀なくされた。
 車椅子の上でメモを片手に商売に余念が無かった。

 そして声を失った頃、ようやく病気が何であるかが分かった。
「筋萎縮性側策症候群」。神経回路が働かなくなる難病である。脳からの指令を伝える神経が働かなくなるのであるから、その、働かなくなる箇所によっては、生命に危険をおよぼす。

 伯母は、ただ車椅子に座っているばかりになった。
 もう商売をすることは無かった。
 「伯父」の献身的な介護に支えられ、静かに生活していた。
 話はできないが、筆談の文字はわたしよりもずっときれいだった。話の内容に納得すると、ゆっくりと指を動かして「Vサイン」をした。そういうところは茶目っ気を最期まで失わなかったひとであった。

 
 わたしは、伯母がすきだった。

 もういない

 ひとというのは、ほんとうに消えてしまうのだ。
 ちいさなひとだった。さらにちいさなちいさなほねになってしまった。

 ひとというのは、そういうものなのだ。

 土曜日、妹に初めての子供が生まれた。女の子。わたしは「伯母」になった。
 彼女は、わたしが消えてしまうとき、わたしのかけらを拾うのだろうか。
 そのとき、できれば、笑顔をおぼえていて欲しい。
 そんなひとでいたい。
 伯母がそうであったように。

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