沈丁花詠い始めり夕まぐれ

 春が、夕暮れに溶けていた。
  
 どこからか、沈丁花の香りがする。

 春の花には、二種類ある。踊る花と詠う花と。

 たとえば、桜たちは、並木道沿いに並び、一斉に着飾って踊るように咲き、春を教えてくれる。
 沈丁花は、静かに、地面の低いところから、ひそやかに香りながら、春を、詠う。
 
 とてもあわただしい時間。
 それでも、信号待ちのわずかのひとときに、ふいに聞こえてくる歌。
 

  彼に会う。

  どうして、あなたは、そんなに近付くのだろう。

  そして、どうして、そんなに、じっと目を見て話すのだろう。
  今日に限って。

  「そんなふうに男を見たら、男は誤解する。」
  かつてそう言って叱り付けた恋人がいたっけ。視力が悪くて、何もかもが少しぼんやりして見えていた頃だった。そうか、あなたも少し、目が悪いのね。

  でも、だからって・・・。

  あなたがそんなに近くにいるから、今日は初めて、薬指のリングをみつけてしまった。
  なぜ今まで気が付かなかったのかしら。
  それは、そこにあるのが自分に許された特権であり、もう絶対にそこからは、どかない、とでもいうように、自然に、かつ強力な引力でなじんでいる。

  わたしの目の中に、何か見えてますか・・・?。
  だから、そんなに見るの?。
 

  春の夕暮れのアルコール密度はやや高め。うっかりしていると酔いそうになる。
  だから、早く帰らなくちゃ。あなたも、わたしも。

  沈丁花たちに願いをかけたら。
  彼が仕事を終えて帰るとき、わたしの歌も一緒に歌って、と。
 

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