桃生ける
2004年2月28日 リーコとチョーコのお話 桃生ける少女の口も半開き
このところ、艶っぽい話で来ましたが(そうでもないか)、久々の日常話です。
ついでに、ほんとうにあった話なので、できればお子さんのおられる方は、ご意見を頂戴いたしたく・・・。
と、いうほどのことでも無い気がしてきたんだが、わたしの中で整理つけたいので、書きます。
先日、年長児リーコが、やたらと落ち込んで帰宅した。
またどこかで頭をぶつけたか、それともクラスで何か失敗したか、と彼女が何か言い出すのを待っていると、ベソを書きながら、カバンの中から何かを取り出した。
学級便り、である。
近頃では先生がカラーコピー機を駆使、デジカメを多様のフルカラー、とてもきれいである。月一度の発行で、発行元はクラス担任。子供たちは、自分の姿をこの紙面でみつけることを本当に楽しみにしていて、自分の写真をみつけると、
「ねー、これ、わたしやでー。」
と、帰りの通園バスのバス停に降り立つと同時にまわりに見せる。
そういう感じのものである。
で、その一月号を手にして、リーコは泣きそうになっている。
「どうしたん?。」
と、差し出されたものをのぞきこむと、そこには、リーコとあと、二人の子の写真。
「リーちゃん、載ってるやん・・・。」言いかけて、ふと、変なことに気が付いた。
「これって・・・。」
「ね、お名前、違うやろ。」
なんと、リーコの顔写真の下に、大きく、違う子の名前が書かれてある。
つまり、担任の先生が、自分のクラスのほかの子と、リーコとを取り違えて名前を書いた、ということなのだ。
「これ、先生に言わなかったの?。」
とたずねると、そんな時間は無かった、と言う。大体、自分の感情を大爆発させるのが、やや苦手なタイプなのだ。おとなであれば、こういう性格は生きやすいのだが、幼稚園児くらいの年だと、割と不利である。
不具合を主張しなかったから、何も感じていないのか、と言うと、そんなことは無くて、便りをみつめる目からは涙がこぼれ落ちた・・・。
さて、どうするか。
ここで、まず電話して怒鳴り込む、という手もあろう。
しかし、相手を一方的に攻め立てて、その結果、相手は申し訳ないと思うだろうか。
会社勤務時代、山ほどの苦情処理を電話で受けてきた体験が、それは違う、と言う。
感情を爆発させて、謝罪の言葉を引き出しても、決して好印象は残さない。むしろ、
「あそこまで言わなくたって・・・。」
と、反論したくなる気を起こさせる、というものだ。
なので、ここはひとつ、じっくり反省させてやることにした。
クラス便りの問題写真のところに大きく矢印を書き、
「?」
と書いてやった。
あとは、謝罪待ちだ。
リーコには、きちんとママが先生に言って直してもらうから、ということで慰めた。
しかし、もうそろそろ卒園、というこの時期になって、クラスの子供の顔写真を取り違えるか?。
そう、これが四月、五月ならまだ許せるけど・・・。
子供は、せっかく自分の写真が載った、と喜んだとたん、その下に違う子の名前をみつけて、ものすごく落ち込む。
せんせい、わたしのこと、おぼえてくれてないのかなあ。
ええ、もちろん、ひらがな、カタカナは全部読めますとも。
さて、この件についての憤慨は、ここで終わらない。
なんと、帰宅した夫が、まったく怒らないのである。
「先生も、忙しいんやなあ。」
と、ひとこと。
リーコのクラスメイトのパパは、この紙面を見て大いに憤り、
「オレの娘やったら、園に怒鳴りこんだる!。」
と、息巻いたらしい。
「先生が子供の名前を間違えるって、それがプロか?。しかも、校正もろくにしないで・・・。こんなん、刷り直しやで。当然。」
実は、わたしは、そういう反応をしていただきたかったのだよ、夫に。
ポイントは、二つ。
外で仕事をしている男らしく、仕事というものの厳しさを主張して欲しかったのだよ。
娘が期待していることはどんなことか・・・たとえばクラス便りに載る、ということをどんなに心待ちにしているのか・・・を、日頃から理解していて欲しいのだよ。父親として。
しかし、なーんにも思わないらしい。
結局、先週の個人懇談の際、担任の先生は平身低頭、ものすごい謝罪ぶりでありました。
机が無ければ、土下座していたかもしれない。
こちらも、先生とは言え、ハタチそこそこのうら若い女の子をいじめるのが目的では無いので、それに父親が怒っていないのに、母親だけカッカしても・・・とか何とか、調子が狂って、リーコがものすごく落ち込んでいた、ということだけはしっかり伝えて、もうその話はおしまい。
でも、ね・・・。
どう思われます?。
こんなとき、やはり夫には怒っていただきたい・・・と思うのは、わたしだけ?。
よそのお父様の反応を聞いただけに、余計に悔しいんだけど。
こんなことで不信感を募らせても仕方が無いのだが、別に浮気していなくても、こんな男とは寝たくない。
(冒頭の句は、個人懇談のあと、廊下に生けてあった桃を見て詠んだものです。
明日にでも、ほんとうに娘たちと生けようと思っています。)
このところ、艶っぽい話で来ましたが(そうでもないか)、久々の日常話です。
ついでに、ほんとうにあった話なので、できればお子さんのおられる方は、ご意見を頂戴いたしたく・・・。
と、いうほどのことでも無い気がしてきたんだが、わたしの中で整理つけたいので、書きます。
先日、年長児リーコが、やたらと落ち込んで帰宅した。
またどこかで頭をぶつけたか、それともクラスで何か失敗したか、と彼女が何か言い出すのを待っていると、ベソを書きながら、カバンの中から何かを取り出した。
学級便り、である。
近頃では先生がカラーコピー機を駆使、デジカメを多様のフルカラー、とてもきれいである。月一度の発行で、発行元はクラス担任。子供たちは、自分の姿をこの紙面でみつけることを本当に楽しみにしていて、自分の写真をみつけると、
「ねー、これ、わたしやでー。」
と、帰りの通園バスのバス停に降り立つと同時にまわりに見せる。
そういう感じのものである。
で、その一月号を手にして、リーコは泣きそうになっている。
「どうしたん?。」
と、差し出されたものをのぞきこむと、そこには、リーコとあと、二人の子の写真。
「リーちゃん、載ってるやん・・・。」言いかけて、ふと、変なことに気が付いた。
「これって・・・。」
「ね、お名前、違うやろ。」
なんと、リーコの顔写真の下に、大きく、違う子の名前が書かれてある。
つまり、担任の先生が、自分のクラスのほかの子と、リーコとを取り違えて名前を書いた、ということなのだ。
「これ、先生に言わなかったの?。」
とたずねると、そんな時間は無かった、と言う。大体、自分の感情を大爆発させるのが、やや苦手なタイプなのだ。おとなであれば、こういう性格は生きやすいのだが、幼稚園児くらいの年だと、割と不利である。
不具合を主張しなかったから、何も感じていないのか、と言うと、そんなことは無くて、便りをみつめる目からは涙がこぼれ落ちた・・・。
さて、どうするか。
ここで、まず電話して怒鳴り込む、という手もあろう。
しかし、相手を一方的に攻め立てて、その結果、相手は申し訳ないと思うだろうか。
会社勤務時代、山ほどの苦情処理を電話で受けてきた体験が、それは違う、と言う。
感情を爆発させて、謝罪の言葉を引き出しても、決して好印象は残さない。むしろ、
「あそこまで言わなくたって・・・。」
と、反論したくなる気を起こさせる、というものだ。
なので、ここはひとつ、じっくり反省させてやることにした。
クラス便りの問題写真のところに大きく矢印を書き、
「?」
と書いてやった。
あとは、謝罪待ちだ。
リーコには、きちんとママが先生に言って直してもらうから、ということで慰めた。
しかし、もうそろそろ卒園、というこの時期になって、クラスの子供の顔写真を取り違えるか?。
そう、これが四月、五月ならまだ許せるけど・・・。
子供は、せっかく自分の写真が載った、と喜んだとたん、その下に違う子の名前をみつけて、ものすごく落ち込む。
せんせい、わたしのこと、おぼえてくれてないのかなあ。
ええ、もちろん、ひらがな、カタカナは全部読めますとも。
さて、この件についての憤慨は、ここで終わらない。
なんと、帰宅した夫が、まったく怒らないのである。
「先生も、忙しいんやなあ。」
と、ひとこと。
リーコのクラスメイトのパパは、この紙面を見て大いに憤り、
「オレの娘やったら、園に怒鳴りこんだる!。」
と、息巻いたらしい。
「先生が子供の名前を間違えるって、それがプロか?。しかも、校正もろくにしないで・・・。こんなん、刷り直しやで。当然。」
実は、わたしは、そういう反応をしていただきたかったのだよ、夫に。
ポイントは、二つ。
外で仕事をしている男らしく、仕事というものの厳しさを主張して欲しかったのだよ。
娘が期待していることはどんなことか・・・たとえばクラス便りに載る、ということをどんなに心待ちにしているのか・・・を、日頃から理解していて欲しいのだよ。父親として。
しかし、なーんにも思わないらしい。
結局、先週の個人懇談の際、担任の先生は平身低頭、ものすごい謝罪ぶりでありました。
机が無ければ、土下座していたかもしれない。
こちらも、先生とは言え、ハタチそこそこのうら若い女の子をいじめるのが目的では無いので、それに父親が怒っていないのに、母親だけカッカしても・・・とか何とか、調子が狂って、リーコがものすごく落ち込んでいた、ということだけはしっかり伝えて、もうその話はおしまい。
でも、ね・・・。
どう思われます?。
こんなとき、やはり夫には怒っていただきたい・・・と思うのは、わたしだけ?。
よそのお父様の反応を聞いただけに、余計に悔しいんだけど。
こんなことで不信感を募らせても仕方が無いのだが、別に浮気していなくても、こんな男とは寝たくない。
(冒頭の句は、個人懇談のあと、廊下に生けてあった桃を見て詠んだものです。
明日にでも、ほんとうに娘たちと生けようと思っています。)
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