思ひ出のやうに菜の花ほろ苦し 

 
 毎年、この時期必ずつくる、菜の花漬け。
 熱湯をさっとかけた菜の花を、みりんと昆布と塩とで漬け込む。炒った白ゴマを加えることもある。
 一晩、寝かせて。
 おひな祭りのチラシ寿司を盛り付けたお皿に、そっと載せると、泣きたくなるくらい、きれいな色合いになる。
 そして、そっと口に入れて噛んでみると、そのほろ苦さに再び、なんとなく泣きたくなる・・・。

 ふきのとうにしろ、菜の花にしろ、早春の野草たちは、どうしてこんなに苦いのだろう。
 この季節に重ねてきた別れの記憶とリンクして、悲しくなってしまう。
 それでも、蓄積された悲しみの記憶に、取り乱すことは、もう、無い。
 むしろ、そういう離れがたいものを、自分があんなにも持っていたのだ、ということに、静かな喜びさえ感じたりする。

 子供たちは、菜の花を食べない。
 それは、思い出を持ち合わせていないからだろう。
 ほろ苦さを楽しむだけのものを、抱えていないからなのだろう。

 ところで、毎年、一パック菜の花を買ってくると、中に必ず咲いてしまっているのがある。
 黄色い花を食べてもいいのだろうが、なんとなく、料理できない。
 食材として扱われることを、花が拒否しているみたいに思えるのだ。
 なので、花開いた茎だけは抜いて、花瓶に入れている。
 今これを書いている傍らで、雄雄しい黄色の光を視界の片隅に押し込んでくる。
 他の茎たちは、もう食べてしまった。
 菜の花としては、どっちがしあわせなのだろう、などと、詮無いことを考えてみたりする。
 答えなんか、出るはずも無いのに。

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