アクセルを踏ませずに見る春の月

 貴方に家庭があることは、分かっていた。
 「抑え切れない想い」というものを初めて知った。
 
 自分ひとりの想いならば、静かに抱えていこうと決めた。
 そのとき、ふいに誘われたのだった。
 
 遠い三月。

 貴方は、黙って車を走らせ、車は何の面白みも無い、古びた国道を北上していた。
 中古車屋ばかりが目につく道。
 店を開けていても入る人はいるのだろうか、と不思議に思うほどに汚れた看板が出ている喫茶店。
 そうして、そういう片側二車線のでこぼこしたアスファルト沿いに、最早消えかかった雪のかたまりが、いくつも黒く汚れてあった。
 踏みつけたら、じゃりじゃりと、音を立てて崩れるはず。
 冬を飾っていた主役の最期。

 そうして貴方は、突然ウィンカーを作動させて、人気の無い山道の入り口で車を止めた。

 自分で自分を追い込んで。
 くちびるからは、欲望しか感じないはずだった。

 でも。

 ・・・こうなったら、楽しむしかない、と覚悟を決めた。
 決してきれいな恋じゃないから、とことん、楽しむしかない。
 いずれ、離れて行くときまで。

 「貴方には家庭があるから、わたしは、貴方の邪魔はしない。障害にも、ならない。」
 そう言った。
 喜んでくれると思った。

 けれども、貴方は、とても淋しそうに笑った。わたしは自分が「こんなことはもうやめて。会うのは止しましょう」と言ってしまったのかと思った。
 貴方の口元に浮かんだのは、哀しみを含んだ、切ない微笑み。
 唐突に怒りにかられた。
「貴方はずるいわ。本気にならないように、一生懸命自制しようとしてるのに。」
 

 貴方と会わなくなって、十年近くが過ぎた。
 今は遠い街で暮らすわたしは、液晶をじっとみつめている。
 年下の男が語りかける。

「あなたには家庭があるから、その邪魔や障害には絶対になりたくないですけどね」

 わたしの口元に浮かんでいるのは、遠いあの日の、貴方のものと、たぶん、まったく、同じもの。

 
 

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