宵口に白木蓮の酒盃かな

  暮れなずみ始めた港を見ています。
  ケーソンの灯りは吐息のように点滅を繰り返し、ビルの群れはどれも煌く窓を抱えて、その輪郭を宵闇に溶け込ませ始めています。

  貴方も、この景色を見ていてくだされば、と思います。

  もう、お会いしないことでしょう。
  そんなふうに考えると、とてもつらくなります。でも、きっとその方がいいのです。
  
  貴方に出会えて、恋を感じて。
  そう、結婚して初めて、恋をしたのです。自分でも信じられないけれど。そうして、それは、何も求めない恋だったし、これからもそうです。
 
  たったひとつだけ、時々、ふと思い出して下されば・・・。
  この街のこと。
  貴方の職場の窓から見える、港の灯り、街のため息。沈丁花の歌、桜のダンス。つつじたちの行進、渡り鳥の乱舞。
  水遊びをする子供たちの歓声。
  秋には、降りしきる団栗の雨。
  そこに、一ピースのパズルみたいに埋め込まれた、小さなわたしのことも。

  

  昨日が最後だったと思う。
  何事も起こさず、微笑んで、静かに会釈をして、部屋を出た。
  泣かなかったことを、誉めてやりたい。
 
  だけど、その夜、夫に求められたときには、こらえきれなくて涙があふれてしまった。
  一体、女が男の腕の中で飛翔するには、何が必要なのかしら。
  その男を愛していれば、いい。
  でも、他に愛している男がいたならば。
  どうして、その瞬間、触れている肌で飛翔することができるだろうか。目をつむって、こらえるしかない。その欲望が通り過ぎるまで。
  あるいは頭の中で違う男を想い、その存在だけを頼りに身体を開けばいいの?。
  だけど、そのひととは・・・。
  何も、無かったというのに。

  何も無かった、無かったけれども、ほんとうに、すきだった。心から、想っていた。
  

  「ごめんなさい、今夜は止めて。」

  今夜は、どうしても嫌。
  夕べそんなふうに言ったから、夫には今日、抱かれなければならない。
  二人の間に何かあれば、これは罰なのだと甘んじて受けよう。
  だけど、何一つ起こらないで終わる恋なのに、こんなに苦しい目に遭わなければいけないものなのかしら。

  白木蓮が、夜目にも白々と浮かび上がっている。
  それはまるで、酒盃のように見える。
  このままふらふらと木蓮の下にさまよい出て、そのまま白い酒を思うさま浴びて、冷たい地面に横たわって死んだように眠れたら。
  どんなに、いいかしら。

  
   貴方が、この街からいなくなるまで、もうあと一週間。

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