おぼろ月 くちつけのためだけに逢ふ

 「キスがすき」とメールをくれた男が、キスのためだけに、あたしを呼び出して。

  あたしは、明日の晩、美術館の上の、坂の上まで出かけて行く。
 
  夫と子供を煙に巻いて、それだけのために、音のしないくつをはいて、夜を走る。

  キスだけだと、彼は書いて寄越す。
  明日は抱かない、と約束する。
  では、なんのためにキスをするのかと問えば、言葉を交わすかわりだと言う。

  夫の唇には、もう何年ふれていないことだろう。
  抱き合って、身体の一番ふかいところでふれあっても、唇だけは、ふれ合わない。
  
  からだはふれない、くちびるだけのために。
  そのために夜をいそぐ。
  花吹雪の舞う小道を抜けて。白々明るい駅を横目に。

  からだをゆるして、くちびるはゆるさないのと、
  くちびるだけゆるして、からだはゆるさないのと、
  ほんとうはどちらが、ふれあったことになるのだろう。

  美術館を見下ろす丘の上。
  禁断の果実に手を伸ばす、二人の男女の像がある。
  そこで交わすキス。
  はじまりなの?おわりなの?。

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