チューリップ 園児の列は揃はずに

 ・・チョーコの入園である。

 末子が幼稚園の制服を着ている姿が、これほど感動するものだとは思わなかった。
 これで、子供たちは、とりあえず、母親べったりでは無い生活に入るのである。これまでとは違い、母親の知らない世界、もしかしたら知らない顔、を持つかもしれないが、そうやって手元を少しだけど、離れるのだ。
 これが、どうしても寂しい、というひともいる。
 「寂しいでしょう」
 とも、よく聞かれた。
 しかし、これは、もうまったく寂しくは無い。
 それぞれの世界で、楽しく生きたほうがいい、その方が絶対にいい関係を持てる、と思うタイプの母親なのだ。
 
 先月まで、長女のリーコが通っていた園であるから、大体、要領はわかっている。
 はじめてのお子さんの入園で、ドキドキしているお母さんの、何と初々しいことよ。
 とても若い。
 いや、実は仲良くしているひとから聞くと、意地悪にも本当のトシを教えてくれたりして、それがほとんどわたしと同じか少し上ってこともあるのだが・・・若々しい。
 やはり、初めて、というのは大切なんやなあ、と入園式受付の列で背筋を伸ばしたり、してみる。

 この園は、少子化社会の中にあって、冗談みたいに園児が増えている。
 入園式は、ものすごい数の新入園児たちでいっぱい。
 あちこちで泣いている子がいる、座っていられなくて、保護者席まで彷徨し始める子もいる。椅子から落ちる子、椅子ごと倒れそうになる子、ものすごい騒ぎだ。
 
 動物園のゴハンの時間を思わせる騒ぎで式が終わると、今度は外に出て、園庭で記念撮影。
 またこれが、おそろしく時間がかかる。

 この前の卒園式のことを思い出す。
 きちんと椅子に座り、背筋を伸ばし、両手をそろえて微動だにしなかった卒園児たち。
 入園の、この、阿鼻叫喚の群れが、三年もすると、あれほどの集中力を身に付けるものなのだろうか。
 
 子供というのは、成長する生きものなんやなあ。心から思う。

 でも、今はまだこれでいいんだよな。
 何せ最初の一歩である。
 そっと、羽根の下から出してやって、また羽根の下で眠らせて。
 その繰り返しでいいのである。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 先日の「桜蘂降る」は、手元の歳時記では、
「桜の花が散ったあとで、ガクに残ったシベが散って落ちること。散ったシベで地面が赤くなっているのを見かけることもある。」
 と、あります。
 桜の花は儚く散ってしまいますが、そのあと、しっかりサクランボの実を付ける様子を見ていると、桜のしたたかさに感動したりして。
 
 ちなみに、張り切って書いた割には、どうってことなかったですね(笑)。恐らく、「そのものずばり」の言葉を使えないからだろうとは思いますが・・・。
 あるいは体験不足か(笑)。
  

 

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