イースターエッグ重くて 罪深き

 十畳ほどのサンルームに、春の日がいっぱいに差し込んでいた。
 壁にもたれて、窓際の花鉢を見ている。
 大きなサンセベリアの鉢にもたれて眠っていた、ペルシア猫が、巨体をゆすってわたしのそばに来る。
 にゃ。
 小さな声。
 のどからおなかにかけての柔らかさを楽しみながら、軽くもむように撫でてやる。
 気持ちよさそうに、目をつむる猫。
 
 その顔を見ていると、「レイン」の顔を思い出す。
 あの最中、いつ見ても目を閉じていたレイン。
 
 「ママ!。」
 娘の声がして、わたしは「フィーネ」から、「ママ」へと引き戻される。
 「なあに。」
 「あのね、犬のおまわりさん、弾いて!。」
 「ピアノ?。」
 「うん。弾いて。」
 「・・・ピアノは、パパに弾いてもらいなさい。」
  わたしが、この家でピアノを弾かないのには理由がある。
  婚約式の後、両家の両親ときょうだいが揃って、夫の実家であるこの家に集まったときのこと。
  夫の母親が、わたしに何か弾くように勧めた。
  とまどったが、簡単な座興になれば、と思って、ベートーベンの小品を一曲だけ、弾いた。
  夫の家族は、おおげさなくらい拍手をしてくれた。
 「すばらしいわ。ほんとうに上手なのね。」
  夫の母親は言い、そうして、夫にも続けて弾いてごらんなさい、と笑った。
 「えーっ、いやだよ。オレなんか、バイエルしか終わってないんだから。」
 それでも、しぶしぶ、といった感じで、
  「じゃ、オレもベートーベンで行きます。」
 そして弾いたのは「エリーゼのために」。
 夫のピアノを聴くのは初めてだったが、難なく弾いている。やはり、それなりにきちんとレッスンを積んでいるのだ、そういう家庭に育ったのだ、と思わせるのには十分な出来であった。
 しかし、その後。
 一同の拍手に、大げさに頭を下げてみせた後で。
 ピアノの前から離れずに、数節だけ鳴らしたそれは。
 ショパンの「雨だれ」。
 鍵盤の上を走り回るしなやかで的確な指を、わたしは唖然として見ていた。
 何が「バイエルしか終わってない」よ。
 難易度Dクラスの難曲を、すらすら弾いてみせられるくせに。
 
 あのときから、一度も、わたしはここのピアノには触れていない。
  
 向こうの部屋から、娘たちが夫をけしかける声がしている。
 猫の耳が、神経質にぴりぴり動く。
 その耳の後ろをそっと掻いてやていると、ようやく「犬のおまわりさん」の前奏が聞こえてきて、娘たちの大きな歌声が響いてくる。
 もうじき、夫の母親が帰って来る。
 日曜日のミサの後、母親だけが、神父さまに用事があると言って教会に残ったのだ。
 カトリック信者である夫とその家族。
 そうして、このわたしは信者では無い。
 もしかしたら、娘たちの「幼児洗礼」の話がまた出るのかもしれない。
 先日のイースターのミサのときも、その話が出た。
 ひとつの宗教を、それがその家庭の宗教だからといって、小さな子供に押し付けるのは、わたしは反対だ。
 けれど、そんなことはそうはっきりとは言えない。
 結婚のときにも、わたしが信者ではないことを、あれほど気にしていたひとたちなのだ。
 くどくど同じところを巡り始めた姑の話に、相槌だけは打ちながら、わたしは手のひらの上のイースターエッグを弄んでいた。
 
 ゆでて彩色された玉子は、ひやりと冷たくて、手になじまない。
 案外重く感じるのは、わたしが神の前で罪深い女だからなのかもしれない。
 
 夕べ、初めて、「姦通」の罪を犯しました。
 しかも、わたしは、その記憶と、まだたわむれています。
 「レイン」。今日は日曜だけど、仕事だと言っていた。
 彼が仕事をするところは、うまく想像できない。
 わたしの中の「レイン」は、わたしを抱く、というよりも、わたしに抱かれて、静かに目を閉じている、ひとりの男。
 それだけのこと。
 罪が、始まってしまった。

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