夕立にまぶたの青で雷走る

  
  どうして、こういう話の流れになっちゃったんだろう。
  あなたはわたしに、「家族の大切さ」を、しきりに説いていた。気が付いたら。
  仕事の話だ。死と生と。医者であるあなたのまわりに、常にリアルに存在している、ヒトという生き物の宿命の話。いや、ほんとは誰にだってリアルなんだけど、そこそこ普通に暮らしていると、いちいち考えない。
  「最期は、やはり本人の気力なんだけど、そこにはやはり家族の力が大きいんだよ。」
  わたしは、唇を噛む。

  たとえばここが、日差しの柔らかな、街のオープンカフェでもいい、大きなケヤキの下に置かれた公園のベンチでもいい、そういう場所であるなら。
  あなたとわたしが、話のよく合う、ガッコウの友達であれば、あるいは、わたしがちょっとした病気の患者で、あなたがその主治医であれば、この話は、ごく普通の一般論として、わたしの中に素直に入ってくるかもしれない。
  だけど、ここは、下町のホテルの一室で、少し離れたベッドには、赤紫の灯りが灯されていて、わたしたちは今しがたまで、その妖しくて安っぽい灯りの下で、お互いの身体をむさぼりあっていた。
  あなたの言うように、人生において家族がそれほど大きな意味を持つというなら、わたしはこんなところにいないで、夫と子供たちの元で、穏やかに微笑んで、お茶でも淹れていなければならないだろう。
  仕事のこと、として話すから、矛盾に気が付かないのだ。
  自分の同じ唇が、他人の家族を崩壊させるかもしれないキスをして・・・キスだけじゃないし・・・すぐに、家族は一体であるべきだと説いているというおろかさ。
  そこにあなたは、気が付かない。

  第一、そんなに家族の必要性を感じているのなら、なぜまだ一人でいるの?
  
  そうたずねようとして、また唇を噛む。
  あなたに、幸せな家庭なんか持って欲しくないわ。
  
  わたしだけが、苦しんでいる。
  逢えないときに無理を言うでもない、帰らなきゃいけない時間には、きちんと帰してくれる。火遊びの相手には、申し分のない男。
  キスが上手で、優しい指で刺激してくれて、こちらの舌の動きに反応してはもっともっとしてくれと楽しむ、そういう愛し合い方のできる男。
  恋人としては、申し分の無い関係。
  だから、ここで踏みとどまらなければ。もっと苦しむことになる。

  だからきっとほんとうは、あなたが苦しむ顔が、見たい。
  あなたが宝物だという家庭の中で、わたしが菩薩のように幸福そうにしていたなら、あなたは、苦しんでくれるんですか?。

  ホテルを出て、暮れなずんでいく原色の街を歩く。
  泳いでいるみたいに、ふらふらと。さっきまで、身体の隅々まで絡み合っていたのに、もうどこにも触れ合えない。
  そして、反対方向のホームに向けて、小さく手を振って別れた、その瞬間、勢いよく、雨が唐突に降り出す。
  滑り込んできた電車の、パンダグラフの上に走る銀青めいた稲妻を見たとき、一瞬だけ、死にたいと感じた。

  

  

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