どんぐりを並べてこころ休まらず
「どうしたの?最近、なんだか変だよ。」
そう始まる文字を、さっきから何度読み返したことだろう。一週間前の午前一時に届いたメールだ。
「疲れているのかな。」
次にはそう続き、それから、
「元気出していこうね。」
こう来る。もう、暗記してしまった。
彼女は、「ありがとう。まだ暑さが残ってて疲れるけど、お互いに頑張ろうね。」などと、いそいそと返事を送ったのだが・・・それきり、メールは来ない。暑さなんか、とっくに吹き飛んでしまった。さっき、公園でどんぐりを拾ったほどだ。
そもそも、「なんだか変」になった原因は、彼からのメールが激減したことにある。
ほんの二か月ばかり前には、毎日、三回以上はケータイに着信があった。昼休みと、「今から帰ります」、それから、寝る前と。その間にも何回かやりとりがあって、いつのまにか彼女の生活のリズムは、彼とのメールの往復の中に織り込まれるような感じになってしまった。
「メールが生活に織り込まれる」では無い。
「生活がメールの中に織り込まれる」のだ。つまり、いつでも、何をしていても、ケータイを気にするような暮らしぶりになった、ということだ。
出会ってすぐから、「男と女になる」まで。
その時期、彼から送られたメールは、それこそスコール並みの量だった。「こんな月の夜には、いっしょに海で過ごしたいね」という浪漫路線から、「背中から抱きついてキスしたい!それから押し倒して・・・」というようなヒワイ路線まで、あれこれ取り揃えて、一日に数十通のやりとりがあった。
最初のうちは、あからさまに、関係を持ちたい、というようなメールには、はぐらかしたり、ごまかしたりしていたのに、いつしかすっかり口説き落とされて、つい、
「抱きたい?心の準備をしておきたいの」
などとこちらから書いてしまっていた。
あの頃、頭の中でアラームが鳴っていた。
こんな生活は、いつまでも続かないよ、こういうのに慣れると、あとでおそろしく寂しい想いをするよ、いい加減にしておきなさい。
したがえなかった。
小さな液晶の上での、刺激的なやりとりに、すっかり溺れてしまったのだ。
男と女の関係になり、確かにそれまでよりもメールの回数は減ったが、それでも、今のように、何日も何日もほっておかれるということは無かった。
ため息が出る。
こちらから、二回連続してメールを送って返事が来なければ、その日はもう止める。女はそう決めている。忙しい仕事だということが分かっているし、自分にもプライドがある。返事をねだるようなことはしたくない。自分が、相手に追いかけられると冷めるタイプだから、しつこく迫るということができないのだ。
それでも、一言くらいは何か言いたくなって、
「メールが来ないと、ケータイをトイレにでも落としたのか、あなたが何かの事故に遭ったのか、それとも女ができたのか、さっぱりわからなくて、不安でたまらないの」と書いてやった返事が、「最近、変だよ」だったのだ。
あのとき、何よ、あなたがメールくれないからじゃないの、とでも書いてやればよかった。こんなに長く返事が来ないとは、あのときには思えなかった。文面からは、優しさがにじんでいるみたいに思えた。都合のいい解釈だったのか。
ほんとに、他に、女ができたのかなあ。
ため息が、また出てしまう。
でも、最初のうちは、自分ひとりのわけが無いと思い、それはそれで納得していたのだ。長身、ソツが無い会話、下ネタをしゃべっても崩れきらない品の良さ。多忙な仕事を楽しんでいるかのような余裕。自分の他にも、そういったところに魅力を感じている女がいて不思議では無い。
だから、あの時点で、今の状況だったら、これほどには悩まなかっただろう。なまじ彼が「こう見えても不器用で、今はきみひとりだけなんだ」などと書いてきたからいけないのだ。
だから、ついついのめりこんでしまった。
「不器用な」彼が、もしかしたら新しい女に、今度は十五夜をつかって口説きのワザを繰り広げているのでは無いか、と、こうして気を揉むことになってしまったのだ。
「俺はモテるからね、きみ一人のはずが無いだろ。」
などという男は、本当は一人の女だけを愛する誠実な男で、
「俺は本当に、一度に一人の女しか愛せないようにできてるんだよ。」
などという男に限って、何人もの女と関係を持つような気がする。
これは、どうしてなのだろう。
寂しがり屋で、ひとりぼっちでは過ごせない男は、女に愛想をつかされるのが怖くて、結果、何人もに「お前一人だ」と宣言して、保険をかけてしまうのだろうか。だとすれば、女は、お前のことだけ愛しているよ、という言葉には警戒しなければならない。
逆に、いやーお前だけってわきゃ無いだろーが、と言われたら、しばらくは安心だと落ち着いていればいいのだろうか。
女は、またケータイをみつめて、その小さな流線型の身体が震えて光り、優しげな言葉が浮かび上がるのを待つ。
愛の言葉こそ用心しなければならないのに。
愛の言葉だけ待ち望んでいる。
「どうしたの?最近、なんだか変だよ。」
そう始まる文字を、さっきから何度読み返したことだろう。一週間前の午前一時に届いたメールだ。
「疲れているのかな。」
次にはそう続き、それから、
「元気出していこうね。」
こう来る。もう、暗記してしまった。
彼女は、「ありがとう。まだ暑さが残ってて疲れるけど、お互いに頑張ろうね。」などと、いそいそと返事を送ったのだが・・・それきり、メールは来ない。暑さなんか、とっくに吹き飛んでしまった。さっき、公園でどんぐりを拾ったほどだ。
そもそも、「なんだか変」になった原因は、彼からのメールが激減したことにある。
ほんの二か月ばかり前には、毎日、三回以上はケータイに着信があった。昼休みと、「今から帰ります」、それから、寝る前と。その間にも何回かやりとりがあって、いつのまにか彼女の生活のリズムは、彼とのメールの往復の中に織り込まれるような感じになってしまった。
「メールが生活に織り込まれる」では無い。
「生活がメールの中に織り込まれる」のだ。つまり、いつでも、何をしていても、ケータイを気にするような暮らしぶりになった、ということだ。
出会ってすぐから、「男と女になる」まで。
その時期、彼から送られたメールは、それこそスコール並みの量だった。「こんな月の夜には、いっしょに海で過ごしたいね」という浪漫路線から、「背中から抱きついてキスしたい!それから押し倒して・・・」というようなヒワイ路線まで、あれこれ取り揃えて、一日に数十通のやりとりがあった。
最初のうちは、あからさまに、関係を持ちたい、というようなメールには、はぐらかしたり、ごまかしたりしていたのに、いつしかすっかり口説き落とされて、つい、
「抱きたい?心の準備をしておきたいの」
などとこちらから書いてしまっていた。
あの頃、頭の中でアラームが鳴っていた。
こんな生活は、いつまでも続かないよ、こういうのに慣れると、あとでおそろしく寂しい想いをするよ、いい加減にしておきなさい。
したがえなかった。
小さな液晶の上での、刺激的なやりとりに、すっかり溺れてしまったのだ。
男と女の関係になり、確かにそれまでよりもメールの回数は減ったが、それでも、今のように、何日も何日もほっておかれるということは無かった。
ため息が出る。
こちらから、二回連続してメールを送って返事が来なければ、その日はもう止める。女はそう決めている。忙しい仕事だということが分かっているし、自分にもプライドがある。返事をねだるようなことはしたくない。自分が、相手に追いかけられると冷めるタイプだから、しつこく迫るということができないのだ。
それでも、一言くらいは何か言いたくなって、
「メールが来ないと、ケータイをトイレにでも落としたのか、あなたが何かの事故に遭ったのか、それとも女ができたのか、さっぱりわからなくて、不安でたまらないの」と書いてやった返事が、「最近、変だよ」だったのだ。
あのとき、何よ、あなたがメールくれないからじゃないの、とでも書いてやればよかった。こんなに長く返事が来ないとは、あのときには思えなかった。文面からは、優しさがにじんでいるみたいに思えた。都合のいい解釈だったのか。
ほんとに、他に、女ができたのかなあ。
ため息が、また出てしまう。
でも、最初のうちは、自分ひとりのわけが無いと思い、それはそれで納得していたのだ。長身、ソツが無い会話、下ネタをしゃべっても崩れきらない品の良さ。多忙な仕事を楽しんでいるかのような余裕。自分の他にも、そういったところに魅力を感じている女がいて不思議では無い。
だから、あの時点で、今の状況だったら、これほどには悩まなかっただろう。なまじ彼が「こう見えても不器用で、今はきみひとりだけなんだ」などと書いてきたからいけないのだ。
だから、ついついのめりこんでしまった。
「不器用な」彼が、もしかしたら新しい女に、今度は十五夜をつかって口説きのワザを繰り広げているのでは無いか、と、こうして気を揉むことになってしまったのだ。
「俺はモテるからね、きみ一人のはずが無いだろ。」
などという男は、本当は一人の女だけを愛する誠実な男で、
「俺は本当に、一度に一人の女しか愛せないようにできてるんだよ。」
などという男に限って、何人もの女と関係を持つような気がする。
これは、どうしてなのだろう。
寂しがり屋で、ひとりぼっちでは過ごせない男は、女に愛想をつかされるのが怖くて、結果、何人もに「お前一人だ」と宣言して、保険をかけてしまうのだろうか。だとすれば、女は、お前のことだけ愛しているよ、という言葉には警戒しなければならない。
逆に、いやーお前だけってわきゃ無いだろーが、と言われたら、しばらくは安心だと落ち着いていればいいのだろうか。
女は、またケータイをみつめて、その小さな流線型の身体が震えて光り、優しげな言葉が浮かび上がるのを待つ。
愛の言葉こそ用心しなければならないのに。
愛の言葉だけ待ち望んでいる。
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