衣食足りてこその青空 文化の日

  リーコ、小学校に上がって初めての音楽会。
  幼稚園が、おっそろしく行事に力を入れる主義だったこともあり、今回は、本人も親も、なんだか脱力気味。
  
  ところで、友達が、最近、腕に数珠を巻いて出歩いている。
  パッと見たところ、薄紫の玉が連なるそれは、綺麗なビーズのブレスレットである。しかし、よく見れば確かに、紫水晶の数珠である。
  「地震のニュースでね、少しパニック障害気味なのよ。」
   彼女は、わたしと同い年。あの阪神大震災の体験者である。今回の新潟の地震のニュース映像を観ただけで、呼吸が苦しくなると言う。
  「だからね、外に出たときには、必ず、これを巻いてね、少しは落ち着けるようにしてるの。」

  わたしは、さきの震災では被災しなかった。そのことが、今、神戸に住んでいると、たまらなく負い目に思えてくる。このことは、何度か、ここにも書いてきた。
  しかし、それでも、テレビなどから「被災地」という言葉を耳にすると、神戸のことかな、と一瞬、思う。もうやがて十年の時が経過するのだが、この街の土にも、空気にも、震災の記憶はしっかりと織り込まれていている。
  友達のように、今回の新潟の地震によって、被災体験を頭の中で追体験してしまい、傷ついている人もいる。
  だからといって、わたしに何ができるというわけもなく、ただ、黙って見守るしかないのだが。
  そして、「公園で寝泊りした」ことや、「線路伝いに、夜通し歩きとおした」ことなど、何度も同じ話を黙って聴く。
  

  聴くこと。
  それしか無い。
  神戸に住みながら、被災体験の無いものにできることは、語られることを、丁寧に受け止めることしか、無い。

  ところが、タチの悪いひとがいる。
  反発を覚える方もあろうが、ここは、「一部の」人間のこととして解釈していただけるとありがたい。「中途半端に被災したものが、一番どうしようもない」のである。
  わたしの経験では、大阪など、「揺れはしたものの、自分の生活に大きな不幸は無かった」という地域の人間には、苛立ちを覚えることが多い。
  「公園で、寒空の下、満足な毛布も無く、震えながら何日か過ごした」
  と、話すひとの前で、
  「通勤しようにも、電車が止まっていたから、アベノ近鉄でお買い物して、会社は欠勤した」
  と、笑って言える態度。
  「大きな揺れで、何が何やらわからないうちに、気が付いたら、ひっくりかえった机の脚を握って見上げたところに天井は無く、むき出しの空が見えた」
  という話の後で、
  「大きなシャンデリアが揺れに揺れて、もうあかん、落ちるわ、と覚悟を決めたけれど、なんとか落ちずに済んだ」
  という話が続けられる神経。
  こっちは、まったく被災していないのだから、何も言わない。言えない、のだが、自分の「被災レベル」がどのくらいで、相手はどのくらいなのか、もう少し細かい神経をつかった会話をするべきではないのだろうか。本当に、ひやひやする。
  
  さて、音楽会は、学年ごとに発表が行われる。
  そして、震災の翌年に生まれた子供たちの学年だけ、少しばかり人数が少ない。
  子供たちの合唱も、合奏も、食べるものがあり、着るものがあり、住む場所があってはじめて気持ちを傾けることができるもの。
  「文化の日」。
  文化ごときに心を向けられることを、心から感謝する一日なのかもしれなかった。

  
  
  

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