蜜柑

2004年11月8日 みじかいお話
      思い出のやふに蜜柑の甘くなる

  わたしは、クラスの中でも小柄な方で、背の高さは低い方から数えて二番目だった。
  これに対して彼女は長身で、女の子の中では三番目に背が高かった。
  高校生活最後の学校祭のクラスの出し物で「ロミオとジュリエット」の英語劇をすることになり、わたしと彼女が主役になった。
  共学なのに女子生徒同士が選ばれたのは、その方が何かと後くされなく演技ができるという説と、担任の英語教師の中年らしい嗜好が働いているのだという説、二通りがあった。
  とにかく、ロミオ役の彼女は発音がなめらかなだけではなく、素晴らしく綺麗な低音を持っていた。もちろん、英語もよくできた。その彼女が相手役にしたい、と指名したのが、このわたしだったと聞いた。
  まあわたしも文系志望だけあって、英語の成績はそれほどまずくは無かった。でも、発音もよくないし、第一、記憶力が悪い。正直言えば、何度、主役を引き受けたことをうらんだだろう。だが、
  「もう、わたし、降りたいよ。」
   そんな泣き言を言うたびに、ロミオは優しく、
  「大丈夫。放課後も休みもいっしょに練習しよ。付き合うからさ。」
  と、黒いビロードの感触を思わせる美声で励ましてくれるのだった。

  高校生の演劇だから、そうハードでは無いけれど、話が話だけに、少しはラブシーンがある。
  身長差15センチ近くある彼女の胸に抱かれると、ハンドボールで鍛えた身体は、いろんなところが引き締まっていて、丸っこいわたしには無い清潔感があった。コロンの香は甘酸っぱくて、どこか熟しきれていない青い蜜柑を思わせる。わたしには、付き合っている男の子がいて、それなりにキスくらいは体験していたが、彼に身を任せるのとは違う種類の高揚感を感じた。もちろん、それは、人と人とが肌を寄せ合えば誰でも感じる落ち着かなさだと、解釈していたけれど。

  しかし、学校祭の本番が無事に終わり、衣装から制服に着替えていたときのことだ。
  不器用なわたしが、いつものように棒タイをうまく結べずにいたとき、彼女が近付いて来た。
  「もう、結んでやるよ。」
  その口調はいくら何でもぞんざいで、男役をした名残りが取れないんだな、とわたしは思った。そして、
  「ありがと・・・。」
  と、言いかけたとき、ふっ、と柔らかいものが唇に触れた。

  ・・・キス・・・

  驚いて目を見張ったときには、胸元の棒タイはきちんと校則通りに結ばれていて、彼女も更衣室から出て行ってしまっていた。

  その後、彼女は獣医になるために、北国の大学に進学し、わたしも近隣の県にある地味な短大に進んだ。
  数年ほどして、彼女は夢をかなえて獣医になり、東京で結婚したと聞いた。卒業式以来、顔を見ていない。
  
  わたしの手元に、一枚の写真がある。
  謝恩会の二人を写したものだ。
  彼女はふざけて学ランを着ている。わたしは、いつもの制服。そして、かたく、かたく抱き合っている。だから、二人ともちゃんと顔は見えない。
  三十路を半ばも過ぎ、お互いにそれなりの容貌になったと思う。だけど、わたしは、この季節になると、毎年いつも思い出すのだ。ロミオに抱きしめられたときの、甘酸っぱい香を。

  年をとるごとに、その香が、甘味を増していく気がするのは、なぜだろう。

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