初夢で誰かに捧ぐセレナーデ

  去年は、虎に食われるという初夢で、それも相当インパクトがあったのだが、今年も後を引く内容のものだった。

  夢の中でわたしは、ピアノを弾いていた。
  曲は「ムーンライト セレナーデ」。そう、グレン・ミラーの名曲である。
  坂の上に、ピアノのある家はあった。
  すぐ近くに、わたしの好きなひとの勤務先か学校か、何しろ夢だから判然としないのだが、とにかく彼の居場所がある。
  しかし、会えない。
  ふられたからだ。

  彼は、かつて話していた。
  村上春樹の小説で一番のお気に入りは「風の歌を聴け」だと。
  自分の生まれ育った土地のことが書かれているから、思い入れがあるのだと。

  その話を交わしたときには知らなかったのだが、村上氏は、この小説の背景には「ムーンライト セレナーデ」が流れていると書いている。(これは本当に読んだから、夢では無くて実話)
  わたしは、そのことを音楽好きの彼に伝えたいのだけど、音信不通にされてしまったので伝えられない。
  だから、彼に聞こえるように、想いをこめてピアノを弾く。

  まだ、あなたが好き。
  もっともっと、あなたのことを知りたかったのに。

  そういう、夢。

  目覚めてから、なんとも切なくなる夢だった。
  まるで本当に失恋したみたいな哀しみが胸にわだかまっていた。

  お正月休みで実家に帰ったとき、楽譜を引っ張り出して、実際に「ムーンライト セレナーデ」を弾いてみた。
  雪混じりの風が窓にたたきつける、火の気の無い部屋にピアノは置かれている。かじかむ両手をこすって椅子に座っていると、かつて、毎日わずかでも時間をみつけて鍵盤に向かうようにしていたことを思い出す。
  ずいぶんとブランクはあるけれど、左手はベーストーンを追いかけるだけ、右手でコードを押さえながらメロデイをつなげていくという簡単なアレンジだから、なんとか、弾くことができた。穏やかな曲だ。でも、どこかに寂しさをたたえているように思う。足りないものはいくつかあるけれど、それでも幸せなんだ、というような。

  初夢から話は変わるけれど、ある時期、何かにとりつかれたように、ある一曲につきまとわれることがある。
  それが、なぜか今年は「ムーンライト セレナーデ」みたいだ。
  クリスマス料理やおせち作りやレンジ周りの大掃除などでキッチンにこもることの多かった年末、なんとなくハードロックとビッグバンドジャズをかわるがわる聴いていた。この組み合わせは、たとえれば、シュークリームとお茶漬けとを交替で食べるみたいで、なんとなく飽きなくて心地よいのだった。だから、そのときに自然に何度もこのナンバーを聴くことになった。
  それから、この日記の整理をしていたときに、見事に忘れていた「みじかいお話」の中でこの曲を採り上げているものを発見(自分で言わないか)、「土砂降りの、ムーンライト セレナーデ」という表現に、バカかお前は、月の光ってタイトルのナンバーに雨を絡めるなよ、などと自分で突っ込んでも、いたっけ。
  なんてことを考えていたら、昨日、FMで、シカゴが歌詞付きで演奏していた。重厚なブラスアレンジに朗々たるボーカル、というアレンジは、聴かせてはくれたけれど、あまり好みではなかった。わたしはクラリネット吹きだったから、あの楽器の枯れた感じが抜けていることに戸惑いを感じたのかもしれない。

  吹奏楽部員時代に何度も演奏したけれど、そのときには気持ちを揺さぶられるようなものは、特に無い曲だったように思う。最初のメロデイのハーモニーを、クラリネット4パートで合わせるのが苦労したとか、途中の三連符で必ずバンドのどこかで合わない者がいた、とかそういう練習の上でのあれこれしか浮かんでこない。
  だけど、名曲は、聴く人の人生に何度も立ち現れては何かを与えてくれるものらしい。とりわけ、ジャズは聴く人間といっしょに成長していく音楽みたいな気がする。あるいは、どこか高みにあって、聴く者を引き上げてくれる、みたいな。
  あ、この曲はそういうことだったんだ、と聴くたびに何かを感じていけるのなら、名曲といっしょに年をとるのも、そうわるいことではない。

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