風花や 逢ふと別れは同じ数

  年末に北野で聴いたライブで、村松健さんが話していたこと。
  「逢えてよかった」だったか「出逢いと別れ」だったか、どちらかの曲のときだった。

  「考えてみれば、出逢いと別れとは、必ず同じ数なんですよね。たとえ、あるひとと、一生そばにいようと思っても、必ず最期には、死という別れがある。」

  晩秋から冬にかけて、なぜか心がものすごく不安定だった。
  仕事が立て込み、慢性的に睡眠不足が続いていたこともあるだろう、しかも、不慣れな仕事だから、力の抜きどころが分からず、気持ちの休まる暇が無かった。もちろん、実力不足だから負担になるわけだけれど、会社がまるでこちらを試すみたいに、違う種類の仕事をくれ続けたことも、緊張の原因だったと思う。

  そんな中で、大切に思っていたひととも音信不通になってしまった。

  
  出逢いと別れとは、同じ数。

  だけど、悔いの残る別れとそうでない別れというのはあるだろう。
  ほんとうは離れたくなかったのに、まるで見えない力で引き裂かれるように、あるいは、大事なものを無理やり取り上げられるように、いきなり別れの時が訪れることもある。

  だけど、あえてこう考えたい。

  出逢いにはすべて、何かしら意味があるのだ。
  意味の無い出逢いなど、ひとつも無いのだ。
  
  しかし、自分がその出逢いから得られるダイヤモンドの鉱脈は、出逢った相手そのひとの中には存在しないかもしれない。

  宝物は、そのひとではない。
  出逢ったこと自体の中に大切なものはある。

  もしかしたら、別れてからずっと後になって、輝石はみつかるのかもしれない。
  そのひとの、はるか向こう側に静かに埋もれているのかもしれない。

  そう、宝物は、あなたでは無かった。

  今なら、わたしはそう言い切ることが、できる。
  さよなら。

  そうして、あなたに逢えたから得られるはずの宝石を、わたしはもう捜し始めているのです。

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