風花
2005年1月11日 ニチジョウのアレコレ 風花や 逢ふと別れは同じ数
年末に北野で聴いたライブで、村松健さんが話していたこと。
「逢えてよかった」だったか「出逢いと別れ」だったか、どちらかの曲のときだった。
「考えてみれば、出逢いと別れとは、必ず同じ数なんですよね。たとえ、あるひとと、一生そばにいようと思っても、必ず最期には、死という別れがある。」
晩秋から冬にかけて、なぜか心がものすごく不安定だった。
仕事が立て込み、慢性的に睡眠不足が続いていたこともあるだろう、しかも、不慣れな仕事だから、力の抜きどころが分からず、気持ちの休まる暇が無かった。もちろん、実力不足だから負担になるわけだけれど、会社がまるでこちらを試すみたいに、違う種類の仕事をくれ続けたことも、緊張の原因だったと思う。
そんな中で、大切に思っていたひととも音信不通になってしまった。
出逢いと別れとは、同じ数。
だけど、悔いの残る別れとそうでない別れというのはあるだろう。
ほんとうは離れたくなかったのに、まるで見えない力で引き裂かれるように、あるいは、大事なものを無理やり取り上げられるように、いきなり別れの時が訪れることもある。
だけど、あえてこう考えたい。
出逢いにはすべて、何かしら意味があるのだ。
意味の無い出逢いなど、ひとつも無いのだ。
しかし、自分がその出逢いから得られるダイヤモンドの鉱脈は、出逢った相手そのひとの中には存在しないかもしれない。
宝物は、そのひとではない。
出逢ったこと自体の中に大切なものはある。
もしかしたら、別れてからずっと後になって、輝石はみつかるのかもしれない。
そのひとの、はるか向こう側に静かに埋もれているのかもしれない。
そう、宝物は、あなたでは無かった。
今なら、わたしはそう言い切ることが、できる。
さよなら。
そうして、あなたに逢えたから得られるはずの宝石を、わたしはもう捜し始めているのです。
年末に北野で聴いたライブで、村松健さんが話していたこと。
「逢えてよかった」だったか「出逢いと別れ」だったか、どちらかの曲のときだった。
「考えてみれば、出逢いと別れとは、必ず同じ数なんですよね。たとえ、あるひとと、一生そばにいようと思っても、必ず最期には、死という別れがある。」
晩秋から冬にかけて、なぜか心がものすごく不安定だった。
仕事が立て込み、慢性的に睡眠不足が続いていたこともあるだろう、しかも、不慣れな仕事だから、力の抜きどころが分からず、気持ちの休まる暇が無かった。もちろん、実力不足だから負担になるわけだけれど、会社がまるでこちらを試すみたいに、違う種類の仕事をくれ続けたことも、緊張の原因だったと思う。
そんな中で、大切に思っていたひととも音信不通になってしまった。
出逢いと別れとは、同じ数。
だけど、悔いの残る別れとそうでない別れというのはあるだろう。
ほんとうは離れたくなかったのに、まるで見えない力で引き裂かれるように、あるいは、大事なものを無理やり取り上げられるように、いきなり別れの時が訪れることもある。
だけど、あえてこう考えたい。
出逢いにはすべて、何かしら意味があるのだ。
意味の無い出逢いなど、ひとつも無いのだ。
しかし、自分がその出逢いから得られるダイヤモンドの鉱脈は、出逢った相手そのひとの中には存在しないかもしれない。
宝物は、そのひとではない。
出逢ったこと自体の中に大切なものはある。
もしかしたら、別れてからずっと後になって、輝石はみつかるのかもしれない。
そのひとの、はるか向こう側に静かに埋もれているのかもしれない。
そう、宝物は、あなたでは無かった。
今なら、わたしはそう言い切ることが、できる。
さよなら。
そうして、あなたに逢えたから得られるはずの宝石を、わたしはもう捜し始めているのです。
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