居場所なきままに逝く春 またいくつ

  
  実家の母親に、離婚したいと話したところ、子供のために耐えろの一点張りの答えであった。
  「この年になって、どうしてそんな面倒を押し付けられなくてはいけないのか」
  そういうことだ。
  子持ちの出戻り娘は「面倒」なのだ。ま、実に正直でよろしい。早く孫の顔を見せろというので結婚して、その孫を里帰り出産したところ「どうしてこんなに大変な苦労をかけるのか」となじったひとである。そういうことだ。
  
  
  「いい年をして相手のいない娘を抱えていることが、どんなに恥か、考えたことある?」
  
  ・・・思い出した。あのときの居場所の無さを。何かにつけて、結婚しろ結婚しろしない女は恥だ、と言われ続けていた日々。誕生日やお正月はもちろん、芸能人の婚約のニュースや友人の出産や飼い猫の病気や近所の老人の死にいたるまで、過剰反応気味に「結婚しなさい」に結び付けられていた日々。

  そっか。
  そもそも、わたしはあの場所に居場所は無かったんだな。

  そうして、離婚を考えている今、あえて結婚の利益を考える。多少、自虐的に。
  
  どう考えても、一つしか浮かばない。
  「社会的な居場所を確保した」ことである。
  わたしは、会社名を言えば、ああ、あそこねーという返事をもらえる会社の会社員の妻であり、二児の母親である。一人は小学生。一人は幼稚園児。どちらもまだ幼いから、仕事を持っていなくても、とりあえずは認知してもらえる、誰に?社会的に。
  結婚しているので、「早く結婚しろ」と脅迫されることは無くなった。子供を平均値よりも若干多く生んだので「お子さんは?」攻撃も無い。なんてありがたい人生。そんな感じ。
  そう、たとえ家の中で何が起こっていようとも、世間様から見れば、あそこは安心して放っておいていい、そういう家庭に、わたしは生きている。

  そして、結婚していることの不幸、いや、短所とは?

  幸福は似通っているけれども、不幸はひとつひとつ違う、そんな感じ、そういう答えしかできない。結婚した方が孤独になったーなんてありえないと思うひとも多いだろうから。

  これから結婚するひとには、ひとつだけ書いておきたい。これは、失敗した人間だから言うのである。だから、そう重く受け止めないで欲しいのだけれど、

  「ひとを選ぶべき」
  
  ということ。年齢でも条件でも圧力でもない、「このひとだ」と思える相手が現れなかったら、するな!と言いたい。
  わたしは母親に「あんたには赤い糸は無い」と断言されていた。赤い糸があれば、もうその年まで独り者でいるはずがないと。27だった。わたしはいろいろな理由で地元を出たくてたまらず、都会の男性との結婚を望んだ。父親に「お前がその気でも、都会の男が田舎育ちのお前など相手にしないかもしれない」と笑ったから、見事に引っかかった男を放さなかった。それが、今の夫。思えば彼にも気の毒なことをした。
  わたしは、運命のひとがいない自分が、「世間並みに」結婚はできたのだから良しとしようと考えた。まさか、自分の小指にも赤い糸が、しかもほかの男のひとと結ばれていることに結婚してから気が付くとは。

  世間なんか、どうでもよかったんだ。
  わたしの人生なんだから自己責任をとる、と、どうして強く言い切れなかったのだろう。何も恥ずかしいことはしていなかったはずなのに、どうして恥をかかせるなと言われて、本当に自分を恥だと思いこんでしまったのだろう。

  誰にも、赤い糸はあるのだ。
  運命のひとは存在するのだ。
  とにかく、自分は何が好きで、自分に必要なものは何で、不必要なものは何なのか、自分をとことん知ることが先。何も自信を持つ必要は無い。自分に欠けているものが何かを追求してもいい。そして、それは欠けていてもいいのか、それでは嫌なのか考えてみて。
  結婚を意識するような恋をするなら、それからの方がほんとうはいい。なかなかそうはいかないけれども。お見合いだろうが、紹介だろうが出会い方はどうだっていい。ただ、出会うときに「自分」を持っている方が間違えないように思う。

  失敗した者があれこれ説教じみたことを書くのもどうかと思うけれど、わたしは30才を過ぎて、ようやく、自分の好きなものや必要なものを選別できるようになった。迷いがあるのなら、30才になってから考えてもいいのじゃないかなと思う。30代半ばを過ぎてリセットしようとする方が、つらいからね。

  
  

 

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