向日葵
2005年8月26日 ニチジョウのアレコレ 向日葵の もたれず伸びて 日に 殉ず
それは台風の夜のことだった。
車で暴風雨の中を帰宅する途中、住宅地のはずれに立つ白い人影を見た。
ワイパーが役に立たないくらいの豪雨の中、すっくと立ち尽くす一人の女。
目にしたとたん、ぞっとした。
そこが、廃車置場で、その人の立っているのが事故車の上だと気が付いたから。
由真は向日葵のような少女だった。
生まれつき巻き毛の髪が、朗らかな丸顔を飾っていた。背が高く、中学三年にして豊満な胸はセーラー服のリボンを思い切りせり上げてはちきれそうだった。
バドミントン部の副主将で、スポーツは何でも得意。特にハードル走や走り幅跳びは陸上部並に成績が良かった。立派な太ももを高々と上げ、次々とハードルを飛び越えて行くときの迫力に満ちた美しさは、今でもはっきりと目に浮かぶ。
わたしは、彼女にあこがれていた。
当時のわたしときたら、チビで貧相な体格、しかも度の強いめがねを時々かけなくてはならず、いじめにも遭って自信をなくし放題というありさま。教室のどこにいても聞こえてくる朗らかな由真の笑い声を耳にするたび、由真みたいになれたらな、とため息をついていた。
由真の住む家とわたしの家とは同じ住宅地にあった。中二のときに引越しをしたわたしは長くそのことに気が付かず、だから一緒に登下校するようなことも無かったのだけれど、なんとなく途中で会ったときなどは、そのままためらわずに行動を共にしていた。ものすごく仲良しというわけではないが気が合わないわけでもなく、どちらかというと、タイプの全く違う相手に対し、それぞれが一目置いていたように思う。
進学の話をしたこともある。
「わたしは普通科に行きたいの。T校は無理でも、S校には行きたいな。体育の先生になりたいから。」
彼女らしい、すっきりと将来を見通したクリアな話しぶりがまぶしかった。
「音子はT校志望なんでしょ。テツガクと一緒に行きたいもんね。」
「テツガク」というのが当時のわたしのBFのあだ名だった。成績のいい、理屈っぽい田舎の男の子だった。わたしは曖昧にうなずきながら、将来の職業まで考えて高校を選ぶ由真に比べて、自分はたかが付き合っている男のそばにいたいがために難関に挑もうとしているのか、と劣等感でつぶされそうだった。
「うん、一応、行きたいとは思っているよ。でも、数学がめちゃめちゃダメだからなあ。」わたしが自信なさそうに言うと、
「ああ、そんなん大丈夫。音子は国語ができるじゃん。それでカバーできるよ。わたしはどうも国語って苦手でさ、なんか小難しいこと考えることがキライだもん。」
由真の声は初秋の夕方の空気を震わせて高かった。
高くて、澄んでいた。
そして、一点の曇りもない秋の青空みたいに明るかった。
そう、由真は明朗で、小難しいことをあれこれ考えるのがキライで、そして自信にあふれて、輝いていた。はずだ。
そして、20年以上が過ぎた。
この夏、実家の母に
「コバヤシさんが、亡くなったんだよ。」
と、聞かされたときには、誰のことかわからなかった。「コバヤシ ユマ」という名前を思い出したときには、
「え?ユマのお父さん?お母さんの方かな?。」
と口にした。それが、
「違うよ。由真ちゃんだよ。」そして、母は声を不謹慎でない程度に声をひそめて続けた。
「由真ちゃん、自殺したんだよ。」
由真は30半ばで死んだ。
去年の年末のことだという。講師という立場で子供たちに体育を教えていたものの、教師として本採用はされず、結婚もしていなかった。北陸の旧い常識に縛られた由真の親族たちがその生き方を責めた挙句の自死だった。
「去年の年末・・・。」
それは、ちょうどわたしもふらふらと死の誘惑に見舞われていた頃だ。
「結婚してたって、子供がいたって、しあわせとは限らないのにね。」
頭の中は、由真の笑顔でいっぱいだった。色白で、両方の頬にえくぼができたんだった。かっこよくて可愛い人だった。由真。いつもクラスじゅうの友達に笑いかけているような人だった。どうしても、どうしても、あの笑顔が自殺という行動に結びつかない。小難しいことは考えない主義じゃなかったの?人生について何か言われたところで、突っぱねていけばよかったのに。あなたの笑顔は天下無敵だったよ。
無口になったわたしに、母が静かに言った。
「結婚しろって、とやかく周りであせらせても、いいことはないんやね。」
「離婚しても仕方がない」という雰囲気が実家から感じられるようになったのは、それからだ。父は相変わらず、なんとか我慢をしろというが、以前のような高圧的な感じではなくなった。同じ住宅地の中で、娘と同い年の女が「親族から生き方を責め立てられて自殺」したことが、わたしの両親の態度を変えた。
わたしを、由真が護ってくれたかたちになった。
はからずも。
わたしは今も、その死が間違いのような気がしてならない。
少なくとも自殺とは思えない。交通事故か何かか、あるいはー。
わたしが見た、あちらの世界の人が、何かの間違いで由真を連れて行ってしまったのだ。その白い人がぼおっと立ち尽くしていたのが、彼女の父親が経営する工場の敷地内だったから、そんなふうにしか思えない。
それは台風の夜のことだった。
車で暴風雨の中を帰宅する途中、住宅地のはずれに立つ白い人影を見た。
ワイパーが役に立たないくらいの豪雨の中、すっくと立ち尽くす一人の女。
目にしたとたん、ぞっとした。
そこが、廃車置場で、その人の立っているのが事故車の上だと気が付いたから。
由真は向日葵のような少女だった。
生まれつき巻き毛の髪が、朗らかな丸顔を飾っていた。背が高く、中学三年にして豊満な胸はセーラー服のリボンを思い切りせり上げてはちきれそうだった。
バドミントン部の副主将で、スポーツは何でも得意。特にハードル走や走り幅跳びは陸上部並に成績が良かった。立派な太ももを高々と上げ、次々とハードルを飛び越えて行くときの迫力に満ちた美しさは、今でもはっきりと目に浮かぶ。
わたしは、彼女にあこがれていた。
当時のわたしときたら、チビで貧相な体格、しかも度の強いめがねを時々かけなくてはならず、いじめにも遭って自信をなくし放題というありさま。教室のどこにいても聞こえてくる朗らかな由真の笑い声を耳にするたび、由真みたいになれたらな、とため息をついていた。
由真の住む家とわたしの家とは同じ住宅地にあった。中二のときに引越しをしたわたしは長くそのことに気が付かず、だから一緒に登下校するようなことも無かったのだけれど、なんとなく途中で会ったときなどは、そのままためらわずに行動を共にしていた。ものすごく仲良しというわけではないが気が合わないわけでもなく、どちらかというと、タイプの全く違う相手に対し、それぞれが一目置いていたように思う。
進学の話をしたこともある。
「わたしは普通科に行きたいの。T校は無理でも、S校には行きたいな。体育の先生になりたいから。」
彼女らしい、すっきりと将来を見通したクリアな話しぶりがまぶしかった。
「音子はT校志望なんでしょ。テツガクと一緒に行きたいもんね。」
「テツガク」というのが当時のわたしのBFのあだ名だった。成績のいい、理屈っぽい田舎の男の子だった。わたしは曖昧にうなずきながら、将来の職業まで考えて高校を選ぶ由真に比べて、自分はたかが付き合っている男のそばにいたいがために難関に挑もうとしているのか、と劣等感でつぶされそうだった。
「うん、一応、行きたいとは思っているよ。でも、数学がめちゃめちゃダメだからなあ。」わたしが自信なさそうに言うと、
「ああ、そんなん大丈夫。音子は国語ができるじゃん。それでカバーできるよ。わたしはどうも国語って苦手でさ、なんか小難しいこと考えることがキライだもん。」
由真の声は初秋の夕方の空気を震わせて高かった。
高くて、澄んでいた。
そして、一点の曇りもない秋の青空みたいに明るかった。
そう、由真は明朗で、小難しいことをあれこれ考えるのがキライで、そして自信にあふれて、輝いていた。はずだ。
そして、20年以上が過ぎた。
この夏、実家の母に
「コバヤシさんが、亡くなったんだよ。」
と、聞かされたときには、誰のことかわからなかった。「コバヤシ ユマ」という名前を思い出したときには、
「え?ユマのお父さん?お母さんの方かな?。」
と口にした。それが、
「違うよ。由真ちゃんだよ。」そして、母は声を不謹慎でない程度に声をひそめて続けた。
「由真ちゃん、自殺したんだよ。」
由真は30半ばで死んだ。
去年の年末のことだという。講師という立場で子供たちに体育を教えていたものの、教師として本採用はされず、結婚もしていなかった。北陸の旧い常識に縛られた由真の親族たちがその生き方を責めた挙句の自死だった。
「去年の年末・・・。」
それは、ちょうどわたしもふらふらと死の誘惑に見舞われていた頃だ。
「結婚してたって、子供がいたって、しあわせとは限らないのにね。」
頭の中は、由真の笑顔でいっぱいだった。色白で、両方の頬にえくぼができたんだった。かっこよくて可愛い人だった。由真。いつもクラスじゅうの友達に笑いかけているような人だった。どうしても、どうしても、あの笑顔が自殺という行動に結びつかない。小難しいことは考えない主義じゃなかったの?人生について何か言われたところで、突っぱねていけばよかったのに。あなたの笑顔は天下無敵だったよ。
無口になったわたしに、母が静かに言った。
「結婚しろって、とやかく周りであせらせても、いいことはないんやね。」
「離婚しても仕方がない」という雰囲気が実家から感じられるようになったのは、それからだ。父は相変わらず、なんとか我慢をしろというが、以前のような高圧的な感じではなくなった。同じ住宅地の中で、娘と同い年の女が「親族から生き方を責め立てられて自殺」したことが、わたしの両親の態度を変えた。
わたしを、由真が護ってくれたかたちになった。
はからずも。
わたしは今も、その死が間違いのような気がしてならない。
少なくとも自殺とは思えない。交通事故か何かか、あるいはー。
わたしが見た、あちらの世界の人が、何かの間違いで由真を連れて行ってしまったのだ。その白い人がぼおっと立ち尽くしていたのが、彼女の父親が経営する工場の敷地内だったから、そんなふうにしか思えない。
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