PEARL PIERCE

2005年10月24日 音楽
 先日「DANG DANG」について書いたところ、モモさんから本文で丁寧なコメントをいただき、ああそういうことか、と納得しました。
 モモさん、ありがとう。

 わたしがこのアルバムを聴いたときは、まだ本当に田舎者のガキで、だから「朝焼けの海辺」を走る姿も、裸足だったり自転車に乗ったり、でイメージしてた。海は当時住んでいた日本海だったりする。
 同じ曲なのに、聴いた年齢や聴いた場所で解釈が違う。
 なのに、聴いたひとは、それぞれに心を動かされているの。
 
 ユーミンの世界って、「ぬり絵」みたいなものなのかもしれない。
 そこには確実に線が引かれている。だけど、そこに塗る色は、耳にしたひとがそれぞれ自由に選べるの。
 あの当時の女の子は「勝ち組」に入る以前の「人並み」に入ることで必死だった。
 恋も、結婚も、仕事も。「勝つ」よりも「標準」になることで、しのぎを削った。
 ユーミンの歌は、レギュラータイプになりたい女の子の心の、ちょっとした引っ掛かりをうまくとらえてくれてた。
 
 さて、このアルバムのタイトル曲(微妙に違うが)「真珠のピアス」。
 最初に聴いたとき、曲の始まりにある「肩にあごを載せて」云々の体位が全くわからなかった。そんなネンネだったのに、この曲は当時からたいせつなものとなった。
 「終わった」とも「くやしい」とも「せつない」とも、感情を表すことばはまったくつかわれていないのに、ヒロインの動作や風景で、状況を説明できている、その方法に憧れた。後年、俳句に同じような世界を感じて惹かれた。
 
 あらためて今、聴いて、胸に迫る思いがある。

 このヒロインは、年上ではないかしら。

 そんな思い。
 塗りきれないでいた色が、これで完全になり、わたしの中では曲の世界が完結した。

 物分りよくふるまわいたいという美学がある。
 
 どんな激情に足元をすくわれそうになっても、崩れきることはしたくない。
 なにもかもわかっていても、露骨に恋人を責めたくは無い。
 彼のためではなく、自分のために、引き際は自分がリードしたい。

 なんて強がり。なんて可愛くない女。
 それでも、最期には「サヨナラ」を与える。
 彼の望みを、彼が口にする前に、こちらから、あげる。

 でも、少しだけは傷つけてやりたい。それが、意地。

 だから、「ベッドの下に片方捨てた」ピアスは、彼だけがみつければいい。そこに秘められた思いをどう処分しようと、それはもう知らない。

 そんなふうに思っているのに、現実は逆方向へ向かっている。

 

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