秋麗

2005年11月11日
    秋麗や つばさ無き肩 ただ抱きて

  ちょうど10年ばかり前の秋のことだった。
  わたしは、妹を助手席に乗せて、クルマを走らせていた。
  妹の、結婚式の朝だった。数時間ののちに、隣りに座っている彼女は、花嫁になる。
  「愛の讃歌」が、狭い車内に流れていた。
   澄み切った秋の空みたいに、透き通ったソプラノ。情熱的な歌詞なのに、いやらしさは微塵も無い。
  本田美奈子の声だ。

  当時の女の子が、結婚しないで25歳を迎えるという恐怖を、おそらく今の若いひとたちは想像もできないだろう。
  「オンナはクリスマスケーキ」と言われたものだ。24が最も売れる。25で半額なら売れる。26だと最早見向きもされなくなる・・・。
  妹が結婚したとき、わたしは25を過ぎていた。跡取り娘で、しかも妹に先を越されたとなると、先の見通しは暗い。年子の姉妹なんだから、いい人がみつかった時点で決めちまいな、と簡単に言ってはみたものの、これからの自分を思うと、さすがに落ち込む日々だった。

  しかし、妹を式場に送るために運転手役をしながら、わたしの気持ちは明るかった。その日の朝刊には、わたしの書いたエッセイが載せられていたから。「女と男のページ」という地方紙の特集で、投稿が掲載されたのはそのときで5回目だった。
  
  好きなことのために、努力をしよう。

  恋がうまくいかないときでも、仕事で落ち込んでも、わたしは書くのが好きだから、書くことに力を注ごう。
  
  そんなふうに思えるように、なっていた。

  そして、先のことを考えて落ち込みがちだったわたしに、プラス思考を授けてくれたのが、「JUNCTION」、本田美奈子が当時出したアルバムだったのだ。
  デビューしたころから、歌のうまさには定評がある人だった。愛くるしい人だった。歌の世界にすんなり入れる器用さを持った人だった。
  だけど、わたしとは同い年だった。いくら才能にあふれ、美貌に恵まれていても、「アイドル」として25歳を超えるのは難しかっただろうと思う。
  だから、彼女は挑戦したのだ。
  このアルバムには、ロック調からシャンソンからジャズから演歌調からクラシックまで、本当にバラエテイにとんだジャンルの歌が収められている。どの歌も、一言の歌詞にも手は抜かれていない。本当に。単語のひとつひとつ、まるで手中の玉を転がすように、ていねいに歌われている。

  感動した。
  だけど、それは、歌がうまいとか、ジャンルを超えた内容を歌いこなしているから、とか、そういうことからの感動ではない。
  これほどに才能があり、美貌に恵まれた、だけど、同い年の女の子が、努力をしている、ということに感動したのだ。
  これほどに輝いている女性が、さらに磨きをかけているというのに、片田舎でなんの取柄も無いわたしが、なんの努力もしなくていいのか。そう思った。
  努力。
  そんなことば、キライだ。だけど、それは他人に強制したり、されたりするからこそキライなことば。もし自分に向かってつかうのであれば、大いにつかってやろうじゃないの。
  そして、磨きをかけよう、そうしなければくすんだオバサンに成り果ててしまう。せめて、好きなことには、磨きをかけよう。

  一枚のアルバムが、転機を支えてくれた。25歳という壁を、ひとりぼっちで越える力を与えてくれた。

  訃報を聞いて、テレビが「38歳、早すぎる死」と繰り返すのを聞くたびに、わたしは途方に暮れる。
  彼女はいつも輝いていて、そして、自分の好きなことに努力を惜しまずにいて、同い年の女として、どこかでわたしの心を照らしてくれていたのに。
  38歳が早すぎるのは、輝いていたからである。
  わたしは相変わらずなんの取柄もなく、それなのに生きている。
  わたしはまたjunctionにいて、自分を励まして先へいかなくてはいけない。
  書くことに磨きをかけよう、という目標は、原稿用紙の束の前で、赤ペンを握りしめることによって義務となっている。先へ、先へ行かなくてはいけない。いくらシケた毎日であろうと、どっちみちオバサンへの道を歩んでいるのだとしても、生きているから、行かなくてはいけない。

  本田美奈子に、いて欲しかった。
  ずっと、遠くで輝いていて欲しかった。
  もっと、貴女を見上げていたかったよ。
  
  誰にもまねのできない歌声をもち、
  エンジェルのような笑顔が似合う、
  同い年の女の子だった。

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