光の輪 人の輪 織れば ルミナリエ
もう何度も訪れている催しなのに、なぜだろう、今年初めてきちんと光をとらえた気がする。
黄色や緑や白、色とりどりの電球は全部で20万個も使われているらしい。まるでタペストリでも編むかのように、丁寧に組み合わされた光の粒たちは、冬の夜の凛とした空気の中で、ひとつひとつ誇らしげに輝いている。
雑踏の中、手をつないで歩いた。肩を寄せ合って。
土曜の夜だから、誰かに見られるかもしれない。
知り合いの誰かに。
あるいは、娘たちの学校や幼稚園の関係者に。
よくない噂は、本人の耳だけだけには届かないもの。
知らないうちに、わたしはどこかで思い切り落ちていくかもしれない。
そんなことを、ふと思った。
だけど、かまわなかった。
人の波にもまれながら、光の回廊に入ったとき、思いがけず涙ぐみそうになった。
こんなに綺麗なものだったのかしら。
瞳が潤むと、余計にまぶしさが増す。いくつもの色は網膜の上で溶け合い、おぼろな光のかたまりになって弾ける。
わたしが感動すると彼はやたら面白がるから、気持ちの揺れをなるべく悟られないようにしていた。今思うと、すごく無愛想だったかもしれない。わたしは、いつもこんなふうに損をするのだ。
フィナーレの東遊園地では、ものすごい数の人々がひしめきあっていた。写真を撮り合い、楽しげに語り合い、無数の光の輪の中では、どの顔もまぶしそう。
はぐれないようにつないでいた手が肩に回されたので、そっと顔を見上げてみた。わたしよりずっと背の高いひとだ。肩幅も広く、腕の力も強い。小さなわたしなど、どうにでもできる大きな身体なのだ。素手で首を絞めて殺すこともたやすいのだろうな、そんなことを思った。平和な光の中で。
でも、大丈夫、眼鏡の向こうの目は優しい。
それがすごく嬉しかった。
だから、唇が降りてきたときも、さりげなく受け入れた。
群集の中での、キス。
光は、闇を知っているものだけが、その輝きを知るのだ。
いつも光に満ちた道を歩けるひとはしあわせである。
できれば、娘たちには、そんな道を神様が用意してくださっていまうように、と願う。
けれど。
今、確かに自分を慈しんでくれるひとの腕の中にいて、全身で空から降り注ぐ光を浴びているわたしは、、、
おそらく、底知れぬ闇をしったからこそ、この光のまぶしさを、そして、暖かさを感じているのだろう。
キスは繰り返された、そして、隣りにいた恋人たちも、ふと気が付くと、唇を合わせていた。
百年も経たないうちに、この広場にいる人々は、誰もいなくなるであろう。
人々の胸の中に、思い出という形で織り込まれた今夜の光たちも、命の終わりとともに消えていくのだ。
それでも、命が尽きようとするとき、一瞬でも闇の向こうに灯を感じるのだとしたら、そのときの手がかりは今目にしている光に違いない、とそんなことを思いながら、わたしはそっと唇を離した。
もう何度も訪れている催しなのに、なぜだろう、今年初めてきちんと光をとらえた気がする。
黄色や緑や白、色とりどりの電球は全部で20万個も使われているらしい。まるでタペストリでも編むかのように、丁寧に組み合わされた光の粒たちは、冬の夜の凛とした空気の中で、ひとつひとつ誇らしげに輝いている。
雑踏の中、手をつないで歩いた。肩を寄せ合って。
土曜の夜だから、誰かに見られるかもしれない。
知り合いの誰かに。
あるいは、娘たちの学校や幼稚園の関係者に。
よくない噂は、本人の耳だけだけには届かないもの。
知らないうちに、わたしはどこかで思い切り落ちていくかもしれない。
そんなことを、ふと思った。
だけど、かまわなかった。
人の波にもまれながら、光の回廊に入ったとき、思いがけず涙ぐみそうになった。
こんなに綺麗なものだったのかしら。
瞳が潤むと、余計にまぶしさが増す。いくつもの色は網膜の上で溶け合い、おぼろな光のかたまりになって弾ける。
わたしが感動すると彼はやたら面白がるから、気持ちの揺れをなるべく悟られないようにしていた。今思うと、すごく無愛想だったかもしれない。わたしは、いつもこんなふうに損をするのだ。
フィナーレの東遊園地では、ものすごい数の人々がひしめきあっていた。写真を撮り合い、楽しげに語り合い、無数の光の輪の中では、どの顔もまぶしそう。
はぐれないようにつないでいた手が肩に回されたので、そっと顔を見上げてみた。わたしよりずっと背の高いひとだ。肩幅も広く、腕の力も強い。小さなわたしなど、どうにでもできる大きな身体なのだ。素手で首を絞めて殺すこともたやすいのだろうな、そんなことを思った。平和な光の中で。
でも、大丈夫、眼鏡の向こうの目は優しい。
それがすごく嬉しかった。
だから、唇が降りてきたときも、さりげなく受け入れた。
群集の中での、キス。
光は、闇を知っているものだけが、その輝きを知るのだ。
いつも光に満ちた道を歩けるひとはしあわせである。
できれば、娘たちには、そんな道を神様が用意してくださっていまうように、と願う。
けれど。
今、確かに自分を慈しんでくれるひとの腕の中にいて、全身で空から降り注ぐ光を浴びているわたしは、、、
おそらく、底知れぬ闇をしったからこそ、この光のまぶしさを、そして、暖かさを感じているのだろう。
キスは繰り返された、そして、隣りにいた恋人たちも、ふと気が付くと、唇を合わせていた。
百年も経たないうちに、この広場にいる人々は、誰もいなくなるであろう。
人々の胸の中に、思い出という形で織り込まれた今夜の光たちも、命の終わりとともに消えていくのだ。
それでも、命が尽きようとするとき、一瞬でも闇の向こうに灯を感じるのだとしたら、そのときの手がかりは今目にしている光に違いない、とそんなことを思いながら、わたしはそっと唇を離した。
コメント
ありがとうございます。
胸がいっぱいになりました。