早春
2003年3月14日 リーコとチョーコのお話そして、「ホワイト・デイ」がやって来た。
先立つ「バレンタイン・デイ」には「大好き」な男の子数名にチョコレートを贈った、幼稚園年中児、リーコ。
なんと、バッグに入りきらない「お返し」を抱えて帰って来た。
「なんで?。」
・・・こちらからあげたチョコレートは、すべてきちんといわゆる幼稚園鞄、の中に収まっていた。その「お返し」なのだから、同じように収まっている筈では無いのか・・・。
首を傾げながら、よく見ると、分かった。
「お返し」の箱が大きいのである。
つまり、 数は同じであるが、仕様が豪華なのである。
リボンが掛かっていたり、造花がくっついていたり。まさか、「なんでだろう」を踊り狂い、「大きくなったら仮面ライダーになる!」と張り切っている男子園児たち自らが、水色のリボンを掛けたり、桃色のお花を括り付けたりはしなかっただろうから、これはもう、そう、
「ママ」
が、ガンバッテ下さったのに違いない。
「あんた、ちゃんと、ありがとう、って言ったよね?。」
何しろ、こっちからは、「ハート型チョコ」一枚、のみである。カードは付けたものの、それは、ハハ(わたし)の私物である和紙に(つまりわざわざ買い整えたものではナイ)、娘が例の「変体幼女文字」を、へちゃへちゃ描き付けただけの、まあ、はっきり言って限りなく紙屑に近い代物である。
それなのに、こんな、ごリッパなお返しを・・・。あのチョコはインフルエンザウイルス付き、だったかもしれへんし・・・。
・・・。
夕食を整え、娘たちに食べさせて、こちらがいそいそ始めたことは、「お礼状書き」であった。
幸い、この「人工島」には、必ずそれぞれの家庭にFAXが設えられている。(と書きながら、我が幼稚園には無いことに気が付いた。なぜだろう。)
「お返し」をいただいたお礼に、今のクラスになってから仲良くしていただいたお礼を添えて、同じような文面ながら、それぞれに書き、「園児連絡網」をにらみつけて、次っ次に、送信。間違って違う子のお宅に送付してしまっては一大事、なので、ものすごく真剣である。
娘ふたりが「ハム太郎」の内容について、何やら、ごちゃごちゃ言っているが、当然、無視。
いきなりだが、娘はバス通園なので、同じバス停を利用している子供のお母さんたちとは親しくなれるが、それ以外の人とは、ほとんど面識が無い。だから、送付先の人の顔も、ほとんど明確に浮かんで来ない。
緊張する。
その上、娘しか授からなかったから、こういう「ホワイト・デイ」 における、「息子の母」の心理も分からない。相手の女の子がカワイイ子ならカワイイで、
「あの子はあちこちにチョコをばらまいたに違いないから、比べられてしまうわ」
と、気をもみ、「不細工」なら、またそれはそれで、
「あんな子になんでうちの息子がわざわざお菓子を選んであげなくてはいけないのよ!」
と、面倒くさくて逆恨みしてしまいそうである。
ともかく、無事、送信を終了。
「おくりもの」は、
「パパに見せてからね。」
と、いうことにする。
バレンタインには、母娘三人、それぞれがチョコレートをあげたのに、お返しが、「神戸名物ゴー○ル」一箱三人まとめてくれたパパに、この、娘への「お返し」の豪華さを、ぜひとも見せつけなければ・・・。
と思ったりして、片付け仕事に精を出していたら、FAXが、いずこより送信されて来た。
「本命」タクヤくんのお母さまから、であった。
文面には「何事も息子任せで・・・云々」とあり、最後に、今年一年のお礼と、来年度にむけてのご挨拶が丁寧に書かれてあった。
わたしは、思わず微笑んでしまった。
お手紙が届いたことが嬉しかったものあるが、
何だか楽しくなったのは、そこに書かれているのが、明らかに「変体少女文字」であったからである。
かつて、「おニャン子ブーム」の時代に、社会げんしょーとまで言われた、あの丸っこい書き文字が、そこに踊っている。実は、わたしも同じよー、なのである。(パソちゃん書きだからワカラナイけど)今でこそ、チョーカッコいい「スーパー園児」のお母さんであっても、このひとはたぶん、同世代だし、当たり前のことなのだが、どこかひっかかるものを、時代の空気の中で共有しつつ、ハハをやっているのである。こう書くと、アホみたいに単純に当たり前なんであるが、豪華版のお返しを前に怯えていたわたしには、なんか、とってもホッとする、その丸文字の羅列、であった。
しかしながら、わたしは、こうゆう「イベント」は、やはり、子供にさせるのが好き、である。
子供自身が参加したい、と言うのだから、メインは子供がする。で、オヤは、参考意見を述べたり、難しいことはサポートする。そういうのがすき。
今回も、大きなお菓子を、明らかに自分で包み、その上に折り紙でこしらえた、お花の切り紙を貼り付けてくれた男のコが、いる。
そういうのを見ると、我が子だけでなく、他の子の成長の一場面にも立ち会わせてもらって気がして、なんだか、うきうきしてくるのである。
早春はをとめの髪のはざ間にも
・・・さて、最終的に、モンダイがある。
実は、リーコは余りキャンデイがすきでは無い、ということ・・・はともかく、妹のチョーコ、こいつが、甘いもの大好き女であること、である。
リーコにお返しを下さった皆さん、そのほとんどがチョーコのお腹におさまってしまうであろうことを、何とぞ、お赦し下さいませ。
先立つ「バレンタイン・デイ」には「大好き」な男の子数名にチョコレートを贈った、幼稚園年中児、リーコ。
なんと、バッグに入りきらない「お返し」を抱えて帰って来た。
「なんで?。」
・・・こちらからあげたチョコレートは、すべてきちんといわゆる幼稚園鞄、の中に収まっていた。その「お返し」なのだから、同じように収まっている筈では無いのか・・・。
首を傾げながら、よく見ると、分かった。
「お返し」の箱が大きいのである。
つまり、 数は同じであるが、仕様が豪華なのである。
リボンが掛かっていたり、造花がくっついていたり。まさか、「なんでだろう」を踊り狂い、「大きくなったら仮面ライダーになる!」と張り切っている男子園児たち自らが、水色のリボンを掛けたり、桃色のお花を括り付けたりはしなかっただろうから、これはもう、そう、
「ママ」
が、ガンバッテ下さったのに違いない。
「あんた、ちゃんと、ありがとう、って言ったよね?。」
何しろ、こっちからは、「ハート型チョコ」一枚、のみである。カードは付けたものの、それは、ハハ(わたし)の私物である和紙に(つまりわざわざ買い整えたものではナイ)、娘が例の「変体幼女文字」を、へちゃへちゃ描き付けただけの、まあ、はっきり言って限りなく紙屑に近い代物である。
それなのに、こんな、ごリッパなお返しを・・・。あのチョコはインフルエンザウイルス付き、だったかもしれへんし・・・。
・・・。
夕食を整え、娘たちに食べさせて、こちらがいそいそ始めたことは、「お礼状書き」であった。
幸い、この「人工島」には、必ずそれぞれの家庭にFAXが設えられている。(と書きながら、我が幼稚園には無いことに気が付いた。なぜだろう。)
「お返し」をいただいたお礼に、今のクラスになってから仲良くしていただいたお礼を添えて、同じような文面ながら、それぞれに書き、「園児連絡網」をにらみつけて、次っ次に、送信。間違って違う子のお宅に送付してしまっては一大事、なので、ものすごく真剣である。
娘ふたりが「ハム太郎」の内容について、何やら、ごちゃごちゃ言っているが、当然、無視。
いきなりだが、娘はバス通園なので、同じバス停を利用している子供のお母さんたちとは親しくなれるが、それ以外の人とは、ほとんど面識が無い。だから、送付先の人の顔も、ほとんど明確に浮かんで来ない。
緊張する。
その上、娘しか授からなかったから、こういう「ホワイト・デイ」 における、「息子の母」の心理も分からない。相手の女の子がカワイイ子ならカワイイで、
「あの子はあちこちにチョコをばらまいたに違いないから、比べられてしまうわ」
と、気をもみ、「不細工」なら、またそれはそれで、
「あんな子になんでうちの息子がわざわざお菓子を選んであげなくてはいけないのよ!」
と、面倒くさくて逆恨みしてしまいそうである。
ともかく、無事、送信を終了。
「おくりもの」は、
「パパに見せてからね。」
と、いうことにする。
バレンタインには、母娘三人、それぞれがチョコレートをあげたのに、お返しが、「神戸名物ゴー○ル」一箱三人まとめてくれたパパに、この、娘への「お返し」の豪華さを、ぜひとも見せつけなければ・・・。
と思ったりして、片付け仕事に精を出していたら、FAXが、いずこより送信されて来た。
「本命」タクヤくんのお母さまから、であった。
文面には「何事も息子任せで・・・云々」とあり、最後に、今年一年のお礼と、来年度にむけてのご挨拶が丁寧に書かれてあった。
わたしは、思わず微笑んでしまった。
お手紙が届いたことが嬉しかったものあるが、
何だか楽しくなったのは、そこに書かれているのが、明らかに「変体少女文字」であったからである。
かつて、「おニャン子ブーム」の時代に、社会げんしょーとまで言われた、あの丸っこい書き文字が、そこに踊っている。実は、わたしも同じよー、なのである。(パソちゃん書きだからワカラナイけど)今でこそ、チョーカッコいい「スーパー園児」のお母さんであっても、このひとはたぶん、同世代だし、当たり前のことなのだが、どこかひっかかるものを、時代の空気の中で共有しつつ、ハハをやっているのである。こう書くと、アホみたいに単純に当たり前なんであるが、豪華版のお返しを前に怯えていたわたしには、なんか、とってもホッとする、その丸文字の羅列、であった。
しかしながら、わたしは、こうゆう「イベント」は、やはり、子供にさせるのが好き、である。
子供自身が参加したい、と言うのだから、メインは子供がする。で、オヤは、参考意見を述べたり、難しいことはサポートする。そういうのがすき。
今回も、大きなお菓子を、明らかに自分で包み、その上に折り紙でこしらえた、お花の切り紙を貼り付けてくれた男のコが、いる。
そういうのを見ると、我が子だけでなく、他の子の成長の一場面にも立ち会わせてもらって気がして、なんだか、うきうきしてくるのである。
早春はをとめの髪のはざ間にも
・・・さて、最終的に、モンダイがある。
実は、リーコは余りキャンデイがすきでは無い、ということ・・・はともかく、妹のチョーコ、こいつが、甘いもの大好き女であること、である。
リーコにお返しを下さった皆さん、そのほとんどがチョーコのお腹におさまってしまうであろうことを、何とぞ、お赦し下さいませ。
未定
2003年2月18日 リーコとチョーコのお話「バレンタインデイいまどき園児バージョン」に、コメントを寄せていただいた皆様、ありがとうございます。
しかし。
ここで、わたしは、お詫びをしなければなりません。
なんと、バレンタインデイ当日に、肝心の娘が高熱を出してしまったために、もー何が何だか分からない一日になってしまったので・・・。続編としては、まったくつまらないものをお届け・・・というほどのもんかい!という気もいたしますが・・・しなければなりません。
たまたま14日は「発表会」だったので、チョコは前日に渡していたのですが・・・。渡した相手の反応、というのが何かすごく間抜けで・・・。
と言うのも、彼女の病気が、
「インフルエンザB型」
だったから・・・。
先日、チョコを渡した子のお母さまから、
「どうもありがとうございました。」
と、一応、お礼を言われちゃったりはしたのですが・・・。
なんか、チョコと一緒にウイルスも渡した、みたいなことを思われていたらどうしよー、なんて弱気になったりして・・・。
娘の病名が判明した時点で、チョコは焼却処分されていたりして・・・なんて、想像力タクマシイ母は考えてしまうわけです。
しかも。
今日、病院へ娘を連れて行ったらなんとそこには大本命「タクヤくん」のカルテが・・・。
もしかして・・・。
ちなみに、タクヤくんのお母さまとはお話する機会はありませんでした。
しかし。幼女のココロというのは、しょせん気まぐれでして、バレンタイン直前になって、やはりどーしてもあげたいオトコの子、というのが、
「ゴローくん」
に変化。しかも、なぜか、
「マサヒロくんにもあげていい?。」
と、来た。
「ゴローくん」というのは、まあ、ちょっと元気が良すぎる子で、娘とはとても気が合うらしい、時々、二人して先生に立たされたり、「お椅子とられた」りするらしい男の子。彼を外すことは考えられない、という結論らしい。それは納得。
しかしなぜマサヒロくん???。
と思っていたら、「マサヒロくん」と「ゴローくん」はとても仲がいいから、どっちかだけにあげるのはバランスを欠く、という判断らしい。
幼女とは言え、この気配り。女はこわいよん。
しかし、気配り、だけでは無くて、ウイルスまで配ってしまってはどーしよーも無いのだよ。
最も、彼女もどっかからいただいたのでしょうが。
「発表会」出られませんでした。
そして、今日、下の娘も熱を出しました。こっちは「インフルエンザ」とは違うらしいのですが、この「単なる風邪」にインフルエンザ治りたての上の娘も感染したらしく、我が家はただいま、動物病院のような騒ぎです。
しかし。
ここで、わたしは、お詫びをしなければなりません。
なんと、バレンタインデイ当日に、肝心の娘が高熱を出してしまったために、もー何が何だか分からない一日になってしまったので・・・。続編としては、まったくつまらないものをお届け・・・というほどのもんかい!という気もいたしますが・・・しなければなりません。
たまたま14日は「発表会」だったので、チョコは前日に渡していたのですが・・・。渡した相手の反応、というのが何かすごく間抜けで・・・。
と言うのも、彼女の病気が、
「インフルエンザB型」
だったから・・・。
先日、チョコを渡した子のお母さまから、
「どうもありがとうございました。」
と、一応、お礼を言われちゃったりはしたのですが・・・。
なんか、チョコと一緒にウイルスも渡した、みたいなことを思われていたらどうしよー、なんて弱気になったりして・・・。
娘の病名が判明した時点で、チョコは焼却処分されていたりして・・・なんて、想像力タクマシイ母は考えてしまうわけです。
しかも。
今日、病院へ娘を連れて行ったらなんとそこには大本命「タクヤくん」のカルテが・・・。
もしかして・・・。
ちなみに、タクヤくんのお母さまとはお話する機会はありませんでした。
しかし。幼女のココロというのは、しょせん気まぐれでして、バレンタイン直前になって、やはりどーしてもあげたいオトコの子、というのが、
「ゴローくん」
に変化。しかも、なぜか、
「マサヒロくんにもあげていい?。」
と、来た。
「ゴローくん」というのは、まあ、ちょっと元気が良すぎる子で、娘とはとても気が合うらしい、時々、二人して先生に立たされたり、「お椅子とられた」りするらしい男の子。彼を外すことは考えられない、という結論らしい。それは納得。
しかしなぜマサヒロくん???。
と思っていたら、「マサヒロくん」と「ゴローくん」はとても仲がいいから、どっちかだけにあげるのはバランスを欠く、という判断らしい。
幼女とは言え、この気配り。女はこわいよん。
しかし、気配り、だけでは無くて、ウイルスまで配ってしまってはどーしよーも無いのだよ。
最も、彼女もどっかからいただいたのでしょうが。
「発表会」出られませんでした。
そして、今日、下の娘も熱を出しました。こっちは「インフルエンザ」とは違うらしいのですが、この「単なる風邪」にインフルエンザ治りたての上の娘も感染したらしく、我が家はただいま、動物病院のような騒ぎです。
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春隣
2003年2月4日 リーコとチョーコのお話娘が五才の誕生日を迎えた。
幼稚園から帰宅して、まず見せに来たのは、担任の先生からいただいたバースデイカード。色画用紙で作られた立体式のカードで、子ひつじが、にっこり微笑んでいるデザイン。これは、受け持ちの子供が誕生日を迎える度に、先生が一人一人に宛てて手作りして下さる。
「いつも元気いっぱいの、リーコちゃん。お誕生日おめでとう。」
なんと、去年と全く同じ文句、一字一句違わない。まさか、去年の担任の先生に聞いてこしらえたわけでも無いだろうに。
やっぱり、いわゆる「おてんば」の娘には「元気」というほめ言葉しか浮かばないのかなあ、と思いつつ、お弁当箱を鞄から出そうとして、びっくり。
「もう一枚、カードがあるやん。」
しかも、ピンク色の封筒入り。
「ああ、それね、ツヨシくんがくれてん。」
ツヨシくんは、これまでにも、何度も「あそびにきてね。」だの、「あそんでくれてありがとう。」だのと、「お手紙」をくれている。そして、母親としてはそのたびに「お返事」を書かせようと頑張るのだが、三度に二度は拒否される。大体、じっと座っていること自体が、ものすごく苦手なたちらしい。
「さあ、ママの大切な便箋、一枚あげるから。」
とか、
「お手紙書いてから、おやつにしようか。」
とか、作戦はいろいろあったが、結局、いやいや書いたのがバレバレの小汚い作品を、鞄に入れることになる。
ツヨシくんのお母さまというのが、また、いつお会いしても長い髪を奇麗に縦ロールにして、ロングスカートを穿いておられるような方である。パーマっ気の無い髪をひっつめているようなわたしとは、とても同じ幼稚園に子を通わせているとは思え無い、それはそれはウツクシイ女性である。
自分のひとり息子が、毎日のように、せっせと手紙をしたため、しかも、その返事がほとんど返らず、返って来ても、アラビア文字とミミズとが交配に失敗したかのような、ものすごいもので書かれているのを彼女が見たら・・・。
とても、嘆かれるに違いないワ。
見かけによらず神経質なわたしは、ツヨシくんと、そのお母さまに会うたびに、身が縮む思いなのである。
しかも、今回。
「お誕生日バージョン」には、なんと、「ポケモン定規」までもが同封されているではないか。
「あんた、ありがとうは言ったよね。」
「うーん、言ったと思う。」
「お返事、書くよね。」
「えーっ。ツヨシくんのお誕生日、九月だよ。」
「おめでとうって言ったの?。」
「言うてへん。」
「あんたねえ・・・。」
と、やっているうちに名案が浮かんだ。
「そーや。バレンタインデイに、ツヨシくんにチョコレート、あげなさい。」
幸い、バレンタインはもうすぐ、である。
娘からチョコレートを送らせて、この、心のこもったカードへの、せめてもの感謝を現したい。
しかし。
「えーっ、なんでよ?。バレンタインって、好きな男の子にチョコあげる日なんでしょ?。わたし、ツヨシくんのこと、別に好きじゃないもん。」
と、来た。
なんと残酷な・・・。かつての少女として、気持ちがわからなくもないが。
「でも、あんた、別にパパ以外にあげたい人なんかいないでしょ。」
すると、娘、生まれつきとんがり気味の唇を、更にとがらせ、
「いるもん!パパなんか、ママがあげればいいでしょ。」
ああ、ここにパパがいなくてよかった。泣いてしまうかもしれない。
「だれよ?。」
「タクヤくん。」
「タクヤくん?。」
「そ。タクヤくん。もう決めてるもん。」
娘だけでなく、娘の友達、更にママ友にもそれとなく聞いて回ったところ、「タクヤくん」というのは、クラスで一番人気の少年であるらしい。確かに、くりくりした瞳が可愛らしい、礼儀正しい少年である。正統派。
「・・・でね、リーコちゃんのこと、ツヨシくんは本当に好きみたいね。でも、リーコちゃんはうっとおしがってるみたいね。」
あるママ友は言った。彼女の娘は、うちのリーコと同じクラスだが、娘よりも百倍はしっかりしている。
「タクヤくんは、一番人気。うちの子も、タクヤくんにあげる、って言ってる。」
「じゃ、リーコとは、ライバルなんだ。」
「そーね。でも、心配いらない。だって、タクヤくんの好きな子は、サーヤちゃんなんだって。」
「なるほどね。」
サーヤちゃんは、色白の細面。チャイドルみたいな美少女である。並みの女の子はかなわないだろう。
さて。
バレンタインデイが、近付いてきた。
昨日、お風呂の中で、珍しくもの思いにふけって湯船に漬かっていた娘が一言、
「ナミちゃんも、カナちゃんも、タクヤくんが、好きみたい・・・。」
と、つぶやいた。
「で、リーコはどうするの?。」
「チョコはあげるけど・・・ラブラブには、なれへんかな。」
去年の誕生日頃には、かっこいいシンゴくんから、せっかくのアプローチを受けていた。が、バレンタインで、カナちゃんがシンゴくんに仕掛けた「手作りチョコ作戦」で、敗れたのだったっけ。でも、まだ、よっつになったばかりのリーコは、きょとんとしているばかりであった。
それが、いっぱしに、恋の悩みらしきものを抱えおって・・・。
チョコを抱き待ち伏せている春隣
地球は、たしかに回っている。
時間は、たしかに過ぎてゆく。
娘は、平成二桁生まれである。
それが、もう、女の心をもち始めている、ってんだから・・・。
幼稚園から帰宅して、まず見せに来たのは、担任の先生からいただいたバースデイカード。色画用紙で作られた立体式のカードで、子ひつじが、にっこり微笑んでいるデザイン。これは、受け持ちの子供が誕生日を迎える度に、先生が一人一人に宛てて手作りして下さる。
「いつも元気いっぱいの、リーコちゃん。お誕生日おめでとう。」
なんと、去年と全く同じ文句、一字一句違わない。まさか、去年の担任の先生に聞いてこしらえたわけでも無いだろうに。
やっぱり、いわゆる「おてんば」の娘には「元気」というほめ言葉しか浮かばないのかなあ、と思いつつ、お弁当箱を鞄から出そうとして、びっくり。
「もう一枚、カードがあるやん。」
しかも、ピンク色の封筒入り。
「ああ、それね、ツヨシくんがくれてん。」
ツヨシくんは、これまでにも、何度も「あそびにきてね。」だの、「あそんでくれてありがとう。」だのと、「お手紙」をくれている。そして、母親としてはそのたびに「お返事」を書かせようと頑張るのだが、三度に二度は拒否される。大体、じっと座っていること自体が、ものすごく苦手なたちらしい。
「さあ、ママの大切な便箋、一枚あげるから。」
とか、
「お手紙書いてから、おやつにしようか。」
とか、作戦はいろいろあったが、結局、いやいや書いたのがバレバレの小汚い作品を、鞄に入れることになる。
ツヨシくんのお母さまというのが、また、いつお会いしても長い髪を奇麗に縦ロールにして、ロングスカートを穿いておられるような方である。パーマっ気の無い髪をひっつめているようなわたしとは、とても同じ幼稚園に子を通わせているとは思え無い、それはそれはウツクシイ女性である。
自分のひとり息子が、毎日のように、せっせと手紙をしたため、しかも、その返事がほとんど返らず、返って来ても、アラビア文字とミミズとが交配に失敗したかのような、ものすごいもので書かれているのを彼女が見たら・・・。
とても、嘆かれるに違いないワ。
見かけによらず神経質なわたしは、ツヨシくんと、そのお母さまに会うたびに、身が縮む思いなのである。
しかも、今回。
「お誕生日バージョン」には、なんと、「ポケモン定規」までもが同封されているではないか。
「あんた、ありがとうは言ったよね。」
「うーん、言ったと思う。」
「お返事、書くよね。」
「えーっ。ツヨシくんのお誕生日、九月だよ。」
「おめでとうって言ったの?。」
「言うてへん。」
「あんたねえ・・・。」
と、やっているうちに名案が浮かんだ。
「そーや。バレンタインデイに、ツヨシくんにチョコレート、あげなさい。」
幸い、バレンタインはもうすぐ、である。
娘からチョコレートを送らせて、この、心のこもったカードへの、せめてもの感謝を現したい。
しかし。
「えーっ、なんでよ?。バレンタインって、好きな男の子にチョコあげる日なんでしょ?。わたし、ツヨシくんのこと、別に好きじゃないもん。」
と、来た。
なんと残酷な・・・。かつての少女として、気持ちがわからなくもないが。
「でも、あんた、別にパパ以外にあげたい人なんかいないでしょ。」
すると、娘、生まれつきとんがり気味の唇を、更にとがらせ、
「いるもん!パパなんか、ママがあげればいいでしょ。」
ああ、ここにパパがいなくてよかった。泣いてしまうかもしれない。
「だれよ?。」
「タクヤくん。」
「タクヤくん?。」
「そ。タクヤくん。もう決めてるもん。」
娘だけでなく、娘の友達、更にママ友にもそれとなく聞いて回ったところ、「タクヤくん」というのは、クラスで一番人気の少年であるらしい。確かに、くりくりした瞳が可愛らしい、礼儀正しい少年である。正統派。
「・・・でね、リーコちゃんのこと、ツヨシくんは本当に好きみたいね。でも、リーコちゃんはうっとおしがってるみたいね。」
あるママ友は言った。彼女の娘は、うちのリーコと同じクラスだが、娘よりも百倍はしっかりしている。
「タクヤくんは、一番人気。うちの子も、タクヤくんにあげる、って言ってる。」
「じゃ、リーコとは、ライバルなんだ。」
「そーね。でも、心配いらない。だって、タクヤくんの好きな子は、サーヤちゃんなんだって。」
「なるほどね。」
サーヤちゃんは、色白の細面。チャイドルみたいな美少女である。並みの女の子はかなわないだろう。
さて。
バレンタインデイが、近付いてきた。
昨日、お風呂の中で、珍しくもの思いにふけって湯船に漬かっていた娘が一言、
「ナミちゃんも、カナちゃんも、タクヤくんが、好きみたい・・・。」
と、つぶやいた。
「で、リーコはどうするの?。」
「チョコはあげるけど・・・ラブラブには、なれへんかな。」
去年の誕生日頃には、かっこいいシンゴくんから、せっかくのアプローチを受けていた。が、バレンタインで、カナちゃんがシンゴくんに仕掛けた「手作りチョコ作戦」で、敗れたのだったっけ。でも、まだ、よっつになったばかりのリーコは、きょとんとしているばかりであった。
それが、いっぱしに、恋の悩みらしきものを抱えおって・・・。
チョコを抱き待ち伏せている春隣
地球は、たしかに回っている。
時間は、たしかに過ぎてゆく。
娘は、平成二桁生まれである。
それが、もう、女の心をもち始めている、ってんだから・・・。
もみじ
2002年10月25日 リーコとチョーコのお話四才の娘と、「おやゆびひめ」のお話を読んでいた。
おんなのひとのところに咲いた花の中に座っていた、小さな女の子。
大切に育てられていたのが、ある日、ひきがえるにさらわれてしまう。
女の子は、ひきがえるの下から、魚によって助けられるのだが、
今度は、こがねむしにつかまってしまう。
何とか森の中で生き抜き、やがて、のねずみの家で厄介になっていたときに、
隣人のもぐら、がお嫁さんにしたいと言ってくる。
女の子は、もう少しで、もぐらのお嫁さんにされそうになったところを、
かつて、けがをして倒れていたところを助けたつばめ、に救われて「花の国」へ。
そこで、王子様と出会い、しあわせに暮らしました。
と、いうあの有名なお話。
読み終ったあとで、一言、娘が言った。
「おんなのひとは、どうなったの。」
そうなのだ。
おやゆびひめは最終的に「花の国」で、自分の生活をみつけて幸せになった。
でも、女の子を突然、ひきがえるに拉致されて失い、心を傷めて淋しくくらしているであろう、おんなのひと、のことは、お話の最後にも全く触れられていない。
「きっと会えたよ、王子様もいっしょに、おんなのひとのところへ行ったと思うよ。」
そう答えながら、それでも、おやゆびひめは、「花の国」からおんなのひとのところへ戻って生活することなど、できただろうかと考えた。
おやゆびひめには、「花の国」での暮らしがあり、
そこでの友人があり、子供だってできただろう。
たとえ不本意に、おんなのひとの家を出たのだとしても、
自分の力で掴んだ、自分の生活が、ある。
「おんなのひとも、花の国に行ったり、おやゆびひめも、帰ってきたり、お手紙書いたり、電話したりできれば淋しくないやん。」
と、いいことを思い付いた、とばかりに顔を輝かせる娘。
そうだね。
おやゆびひめと、おんなのひとと。
どちらも、それぞれの生活を大切にしながら、時々会ったり、話をしたり、自由にできればいいんだよ。
極みまで生きてこそもみじの赤し
生きていて、よかったね。
再会を喜び合って、それでも元にはもう戻れない。
誰が悪いわけでも無い、そういうことなのだ、時間が流れるということは。
たいせつにおもうことと、縛り付けておくこととは違う。
自由に、会いたいときに会えるように。
自由に、話したいときに話せるように。
そうなって、と、心から願う。
おんなのひとのところに咲いた花の中に座っていた、小さな女の子。
大切に育てられていたのが、ある日、ひきがえるにさらわれてしまう。
女の子は、ひきがえるの下から、魚によって助けられるのだが、
今度は、こがねむしにつかまってしまう。
何とか森の中で生き抜き、やがて、のねずみの家で厄介になっていたときに、
隣人のもぐら、がお嫁さんにしたいと言ってくる。
女の子は、もう少しで、もぐらのお嫁さんにされそうになったところを、
かつて、けがをして倒れていたところを助けたつばめ、に救われて「花の国」へ。
そこで、王子様と出会い、しあわせに暮らしました。
と、いうあの有名なお話。
読み終ったあとで、一言、娘が言った。
「おんなのひとは、どうなったの。」
そうなのだ。
おやゆびひめは最終的に「花の国」で、自分の生活をみつけて幸せになった。
でも、女の子を突然、ひきがえるに拉致されて失い、心を傷めて淋しくくらしているであろう、おんなのひと、のことは、お話の最後にも全く触れられていない。
「きっと会えたよ、王子様もいっしょに、おんなのひとのところへ行ったと思うよ。」
そう答えながら、それでも、おやゆびひめは、「花の国」からおんなのひとのところへ戻って生活することなど、できただろうかと考えた。
おやゆびひめには、「花の国」での暮らしがあり、
そこでの友人があり、子供だってできただろう。
たとえ不本意に、おんなのひとの家を出たのだとしても、
自分の力で掴んだ、自分の生活が、ある。
「おんなのひとも、花の国に行ったり、おやゆびひめも、帰ってきたり、お手紙書いたり、電話したりできれば淋しくないやん。」
と、いいことを思い付いた、とばかりに顔を輝かせる娘。
そうだね。
おやゆびひめと、おんなのひとと。
どちらも、それぞれの生活を大切にしながら、時々会ったり、話をしたり、自由にできればいいんだよ。
極みまで生きてこそもみじの赤し
生きていて、よかったね。
再会を喜び合って、それでも元にはもう戻れない。
誰が悪いわけでも無い、そういうことなのだ、時間が流れるということは。
たいせつにおもうことと、縛り付けておくこととは違う。
自由に、会いたいときに会えるように。
自由に、話したいときに話せるように。
そうなって、と、心から願う。
早春
2002年3月13日 リーコとチョーコのお話人工島の中央に広場が設けられている。
そして、ちょうど島を北から南へ、神戸流に言うと
山側から海側に向かって、川が流れている。
この川も人が造った川だから、流れて、と言うか流されている、わけだけど。
ところどころに彫刻や噴水があり、夏には子供たちの水遊び場所にもなる、島民たちの、いわゆる憩いの場。
うららかないい天気。
主人は休日出勤。
そこで子供たちと、外で食事することにした。
外で食事、というのは必ずしも外食することを意味しない。
わたしの場合、外でお弁当を広げる、という意味であることがほとんどである。
今日もそう。
次女が風邪をひいていて、昨日予防接種が受けられなかったのが気になったが、寒さを感じたら、即、帰宅、を決めて、でかけることにした。
早春の電車眠りを満載し
ちょうど人工川の上をなぞるようにして、島と「本土」を結ぶ島民の足であるモノレールが走っている。
モノレールだから、ゆっくり、のんびり走る。間違ってもブッ飛ばしたり逆走したりはしない。その、ゴトゴトン、という音を聞くともなく聞きながら、川べりの木製のベンチに座り、むすめたちとのランチタイム。
今日は、あの薬丸くんのトークショーが島のショッピングセンターで行われることもあってか、人も多目。日差しが柔らかいせいか、犬も多目。皆、ほのぼのとくつろいでいる。
じっとしているのが苦手なむすめたちは、食事も早々に、その辺りを駆け回り出す。
春立ちてポニーテールはよくはずむ
2歳半違いの姉妹が、ようやくいっしょに遊ぶ楽しみに目覚めた春である。
笑い声が響き、こちらも珍しく慈母のように微笑んで二人を見守っていた・・・・そのとき。
・・・次女が川に落ちたのであった。
幸い浅瀬だったので、わたし一人でも引き上げ可能。ずぶ濡れの服を脱がせ、人目もはばからず、わたしは一枚セーターを脱ぎ、それでグルグル巻きにして、即、帰路に就いた。
次女の風邪は、なぜかそれ以来快方に向かっている。
それは良かった、のであるが。
次女が視界から消えて、おもわず悲鳴をあげてしまったとき。
一人の青年がこちらに向かって走って来てくれた。
しかし、なぜかすぐに背を向けて立ち去ってしまったのである。
それは、次女の無事を見届けたから、であってほしい。
おもわずセーターを脱ぎ捨てたわたしの、たくましい二の腕に恐れを為したためではなく。
そして、ちょうど島を北から南へ、神戸流に言うと
山側から海側に向かって、川が流れている。
この川も人が造った川だから、流れて、と言うか流されている、わけだけど。
ところどころに彫刻や噴水があり、夏には子供たちの水遊び場所にもなる、島民たちの、いわゆる憩いの場。
うららかないい天気。
主人は休日出勤。
そこで子供たちと、外で食事することにした。
外で食事、というのは必ずしも外食することを意味しない。
わたしの場合、外でお弁当を広げる、という意味であることがほとんどである。
今日もそう。
次女が風邪をひいていて、昨日予防接種が受けられなかったのが気になったが、寒さを感じたら、即、帰宅、を決めて、でかけることにした。
早春の電車眠りを満載し
ちょうど人工川の上をなぞるようにして、島と「本土」を結ぶ島民の足であるモノレールが走っている。
モノレールだから、ゆっくり、のんびり走る。間違ってもブッ飛ばしたり逆走したりはしない。その、ゴトゴトン、という音を聞くともなく聞きながら、川べりの木製のベンチに座り、むすめたちとのランチタイム。
今日は、あの薬丸くんのトークショーが島のショッピングセンターで行われることもあってか、人も多目。日差しが柔らかいせいか、犬も多目。皆、ほのぼのとくつろいでいる。
じっとしているのが苦手なむすめたちは、食事も早々に、その辺りを駆け回り出す。
春立ちてポニーテールはよくはずむ
2歳半違いの姉妹が、ようやくいっしょに遊ぶ楽しみに目覚めた春である。
笑い声が響き、こちらも珍しく慈母のように微笑んで二人を見守っていた・・・・そのとき。
・・・次女が川に落ちたのであった。
幸い浅瀬だったので、わたし一人でも引き上げ可能。ずぶ濡れの服を脱がせ、人目もはばからず、わたしは一枚セーターを脱ぎ、それでグルグル巻きにして、即、帰路に就いた。
次女の風邪は、なぜかそれ以来快方に向かっている。
それは良かった、のであるが。
次女が視界から消えて、おもわず悲鳴をあげてしまったとき。
一人の青年がこちらに向かって走って来てくれた。
しかし、なぜかすぐに背を向けて立ち去ってしまったのである。
それは、次女の無事を見届けたから、であってほしい。
おもわずセーターを脱ぎ捨てたわたしの、たくましい二の腕に恐れを為したためではなく。
春が来る
2002年2月18日 リーコとチョーコのお話幼稚園の年少組に通う上の娘が、バレンタインデイの話を始めた。
さすがに、それほど大盛況というイベントではなかったようだが、それでも、いくらかはチョコレートのやりとりがあったようで、誰にもあげなかった彼女は少し物足りない気持ちになったみたいである。
パパにあげたじゃん。
わたしが言っても、なんかハッキリしない顔。
もしかしたらチョコを渡したかった相手でもいたのかとさりげなく聞いても、やっぱりはっきりしない。
大体がちょっとぼーっといたところのある子なので適当に話を切り上げてしまったところ、
あのね、チョコ、つくりたかったの。
と、きた。
ふーん、手作りしたかったということか。
手作りしてあげたい相手がいるいない、という以前の問題で、チョコを自分でつくる、ということがしたかったのだという。
この御近所のひとたちには、お料理上手が多いから、幼稚園でも、ママとイッショにつくったチョコ、が評判だったのかもしれない。
来年はじゃあ、つくろうね。
と言ってはみたものの、よく考えれば、かれこれ十何年前に妹とつくったっきり、のわたしである。
それ以後は両親にあれこれ詮索されるのがうるさくなって、やめてしまった。
果たして来年どうなるのだろうか。
バレンタインデイ前日、お散歩していたら、どこかのお家から、ふわっっ、と甘い香りがしていた。あのお家の中では、誰が、どんな人のためのチョコレートをこしらえていたのだろう。
チョコ煮れば鼻の奥から春が来る
この季節、花粉症も、そろそろ、である。
甘い香りにうっとりしていると、立て続けにくしゃみが出て、わたしを現実に引き戻す。
来年の春も、こうして鼻をむずむずさせながら、また少し成長した娘とチョコづくりの相談などしているのだろうか。
と、その前に、娘よ、アンタ、チョコレート、キライだったんじゃなかったっけ・・・・・?。
さすがに、それほど大盛況というイベントではなかったようだが、それでも、いくらかはチョコレートのやりとりがあったようで、誰にもあげなかった彼女は少し物足りない気持ちになったみたいである。
パパにあげたじゃん。
わたしが言っても、なんかハッキリしない顔。
もしかしたらチョコを渡したかった相手でもいたのかとさりげなく聞いても、やっぱりはっきりしない。
大体がちょっとぼーっといたところのある子なので適当に話を切り上げてしまったところ、
あのね、チョコ、つくりたかったの。
と、きた。
ふーん、手作りしたかったということか。
手作りしてあげたい相手がいるいない、という以前の問題で、チョコを自分でつくる、ということがしたかったのだという。
この御近所のひとたちには、お料理上手が多いから、幼稚園でも、ママとイッショにつくったチョコ、が評判だったのかもしれない。
来年はじゃあ、つくろうね。
と言ってはみたものの、よく考えれば、かれこれ十何年前に妹とつくったっきり、のわたしである。
それ以後は両親にあれこれ詮索されるのがうるさくなって、やめてしまった。
果たして来年どうなるのだろうか。
バレンタインデイ前日、お散歩していたら、どこかのお家から、ふわっっ、と甘い香りがしていた。あのお家の中では、誰が、どんな人のためのチョコレートをこしらえていたのだろう。
チョコ煮れば鼻の奥から春が来る
この季節、花粉症も、そろそろ、である。
甘い香りにうっとりしていると、立て続けにくしゃみが出て、わたしを現実に引き戻す。
来年の春も、こうして鼻をむずむずさせながら、また少し成長した娘とチョコづくりの相談などしているのだろうか。
と、その前に、娘よ、アンタ、チョコレート、キライだったんじゃなかったっけ・・・・・?。
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