コーダまた繰り返し弾く「枯葉」かな

  運動会の準備と仕事にかまけて、テレビからも新聞からも遠ざかっている間に、ものすごくショックな出来事が起きていた。

  フランソワーズ・サガン死す。

  誰でも、青春のある時期に、その後の生き方に大きな影響を与える作家との出逢いがある。わたしにとって、その人がサガンだった。
  
  嬉しさも、悲しみも、ある矜持を持って受け入れるのが大人の女であるという姿勢は、彼女の本から学んだ。
  不条理なことも、災難も、口笛を吹きながら、それでも受け止めて逃げないのが、結局は人生とうまく付き合うコツだということも。

  人は、いつかは死ぬ。

  年をとるということは、こうして、自分に何かを与えてくれた、つまり、自分をつくってくれた人たちを次々に送っていくことなんだと思う。
  
  そしてそれは、もう、自分が、与えられる立場から、与える立場に立たなくてはいけない時期にきたということなのかも、しれない。


  
      きみの名をまず呼び出せば秋風来

 
  主婦が家で仕事をするということ。

  朝食の仕度をして、夫を送り出して、子供たちの世話をして、幼稚園バスに乗せる。
  寝室を片付けて、洗濯機を回しながら、食洗機を動かしながら、食卓の上に仕事を広げる。
  さて・・・と思うと、電話が鳴る。
  「墓場」とか「下着」とか「高性能掃除機」とか、その他いろいろのセールスがほとんどだけど、そいつをかわしながら、机に向かう。
  洗濯物を、干す。
  部屋の掃除もしなくてはならない。
  今日は子供の習い事に付き合わなければならないから、夕食の準備もしなくては。
  
  少し仕事をして、また中断して、またやって・・・その繰り返し。
  
  子供が帰宅すれば、仕事はできない。
  母業専念。

  子供たちを寝かしつけると、夫の帰宅。夕食を出して。
  
  ようやく仕事・・・と思ったら、なんと子供の体操服が破れているではないか。もうすぐ運動会なのに。で、また、仕事の山を横目に見ながら、裁縫箱を持ってくる。

  

  集中してやることができない。
  必ず、何かと平行しながらの仕事、である。
  集中してやりたい。
  だけど、できない。イライラする。当然、犠牲になるのは自分の睡眠時間。
  しかし、何とか、絶対に納期には間に合わせる。いつも。

  突然だが、「恋愛日記」を読んでいると、女が男からのメールを待っている、ということが多い。
  いやもちろん、そういう恋をしているからこそ、日記を書こうという気持ちになるのだと分かっているのだけど。
  そこをあえて言うけれど、なんだか状況が似ていないか、仕事しながら家事をこなすということに。
  
  何かしていても、彼のことを想う。
  何をしていても、彼の入る場所は、心にいつでも開けてある。
  彼に集中できなくても、最終的に彼との恋は大事にできる。

  ・・・女って、そういう感じ?


  
   
  
       病葉の葬列のごと舞ひて行く

 
  塩害で、紅葉は台無し。
  寂しい秋になりそうである。ケータイの待ち受けを、春は桜、初夏は若葉、夏は朝顔、と替えて遊んできたのに、秋はまだ模様替えできずに、いる。葉脈の一本一本まで真っ赤なフウの葉を撮りたかったのにな。

  海風にやられて、カサカサに枯れるにしても、霜の降りる中で、赤々と燃えながら散るにしても、どちらにしても、葉は落ちる。
  秋が来れば、いずれは死んでいく運命なのだ。
  しかし、消えて行くことが分かってはいても、できれば、フウならフウの、イチョウならイチョウの、最大に力を尽くしたと見える姿を見送ってやりたかったな、なんて思う。

  死は、どんな生きものにとっても、避けられないものなのだから。

  友達から借りた「ブラックジャックによろしく」の6巻に、こういう言葉が、ある。
  
  「医者と患者は三人称であるべきだ。」
 
  ガンの告知に関するシーンである。一人の医者が、一人のガン患者と、人間同士として真剣に向き合い、「彼・彼女」という三人称の関係を超えて(先の言葉に従うなら、それは禁断の選択ということになる)、「私・あなた」という二人称の関係へと踏み込もうとする葛藤を描いているシーンである。
  死を真ん中に挟んで対峙した、二人の人間が、果たしてどこまで「三人称」でいられるのか。息詰まる場面。

  教会のミサを思い出した。
  神父が死を語るとき、それは、いつでも「私・あなた」の二人称である。そして、それ以外は考えられない。最も、教会では究極の「一人称で語られる死」があるのだが。それは、もちろん「人間たちの罪を負った神の子イエス・キリストの、死」(そして復活)である。

  しかし、生きものにとって、あえて考えを及ぼさなければ、自分以外の生物の死は、三人称なのである。医者に限らず、そうで無くては生きられない。
  だから、考えをおよぼさなくてはならない事態・・・それはつまり、自分にとって大切なひとが死に直面したとき、ということであるが・・・になったとき、どこまで「二人称」あるいは「一人称」になれるのか・・・そこでは、真の信頼関係が試される。死、に至るまでの、生、をどう過ごしてきたか、つまり、お互いがどう関わり合ってきたかということが問われる。
  

  俳句日記を書いていると、しばしば、この「人称」の問題で頭を抱えることになる。
  俳句で表現されたことは、全て一人称、つまり「わたし自身」のことと解釈される。
  それは、まあ、それでいい。
  問題はその後に続く「お話」の部分である。
  これを、「彼女」の話として書くのか、「わたし」の話として書くのか、毎回、実は悩んでいる。架空のことであっても、ヒロインの中にどこまで入るか、話の「温度」がそこで違ってくるのだ。

  なので、医療の現場を舞台にし、人の生死を扱った物語の中でも、この言葉には強い磁力を覚えた。
  最も、医療関係者では無いから難しいことはわからないし、現場の感覚にも見当が付かない。
  しかし、「三人称で死を語ることの限界」を、この研修医を主人公に据えたストーリーを読み進むうち、其処此処に感じた。
  もしかしてそれは、「科学の限界」というものなのかも、しれない。

  
  
  
  
 
     母の慟哭 渦巻けば 台風に

  やりきれないことが、多すぎる。
  
  ニュースを観ていて、画面の悲惨さに耐え切れずに、テレビの電源を切りたくなるようなことが、多すぎる。
  
  しかもそういうことに、慣れていく自分が赦せない。日常の中で、他人事のようにアイロンなんか掛けながら、誰かの悲しみを眺めているなんて。
  ・・・かと言って、何が、できる?。

  暴風は、大量の海を巻き込んでやって来るらしく、人工島を塩まみれにして通りすぎていく。
  窓も、自転車も、看板も、クルマも、そして、植物たちも、
瞬く間にいっぱいの塩を浴びることになる。
  
  台風一過。
                
  まだ熱風の余韻を残して、ぎらつく朝日の下、砂粒のような白い粒子が、そこかしこに張り付いて、粘着質の煌きを放っている。
  紅葉を待たずして、立ち枯れている木。病葉が、茶色に乾いて空虚に道路を滑っていく。いつもの年なら、赤く燃え立つような命の果ての輝きを見せてくれる葉たちの群れが、力尽きて大量に、枝から離れて死んでいく。
  塩の、せいで。

  
  それは、もちろん海の中にしまわれていた塩分のせいなのだと、分かっているけれど。

  もしかしたら、この小さな結晶の一粒が、あの、ニュースの画面の中で慟哭していた、やせた母親の涙の一粒だと、そんなふうに感じられてしまうほどに。

  ・・・やりきれないことが、多すぎる。

  

  
  
       朝顔の時を選べず紅に白

  どうして、よりによってこんな朝に咲いてしまったのだろう、と心があれば思っているかもしれない。
  台風の通過している朝。最早、ツルを伸ばしたいだけ伸ばし、巻きつけたいだけ巻きつけているがために、ベランダから室内に避難させることもできない、朝顔たち。
  強風に煽られ、前後左右にいいように振り回されてもてあそばれながら、必死に咲いている。
  花にも、生まれ持った宿命というようなものがあるのかもしれない。
  穏やかに晴れ渡った真夏の朝。ラジオ体操に行くときに子供がみつけて歓声をあげる。
  「今日も咲いてる!。」
  そういう花もあるのに。
  今日のように、悪天候の中、開いた瞬間から暴風と戦うように咲かなくてはいけない花もある。あるいは、家人が旅行などで留守にしている朝に咲くタイミングになってしまう花も。

  朝顔の、花の命は短い。
  その上、同じ日が二度と無いように、同じ花も二度と無い。

  「出逢うときを間違えたのかも。」
  そう言いたくなるような恋に、想いがつながっていく。
  恋が咲いた瞬間から、永遠を望めない関係というものがある。どうにもならなくて、それでも咲きたくて。

  おそらく、恋にも、背負った宿命というものがあるのだろう。このときにしか、生まれ得ない恋の運命というものがあるのだろう。

  嵐が去ったあと。
  無事を確認するために朝顔の前に座り込むと、そこには種があった。何日か前に咲いた花のものだ。花は一日も持たずに散っても、確実に実を残している。それは来年、また鮮やかな花を咲かせることができるのだ。小さな粒の中に、花の未来が畳み込まれているのだ。

  ヒトの恋は、終わっても後に何かを残すことなどできないのに。花とはなんとしたたかで魅力的な営みをするものなのだろう。

  生まれ変わったら、花になりたい。
  そう言ったら、あのひとは一体、なんて答えるだろう。
  
  
   
     夏の庭 生死織り成すタペストリ

  北陸育ちだと言うと、
 「涼しくていいでしょう」
  と言われることがある。そのたびに、
 「いいえ、夏は神戸と同じくらい、暑いですよ」
  と答えてきたが、今回、やはり北陸の夏は涼しいような気がした。
  実家の庭で、大きな石に座って、ぼんやりと空を見上げて。
  空が、近い。
  なぜだろう。
  神戸の家の方が、高い位置にあるのに、地面にくっついている実家の庭の方が、空が近い。
  
  足元に、ネコが来る。
  そして、しなやかに通り過ぎる瞬間、そっと膝に触れて行く。このネコとわたしとの間にだけ存在するたぐいの親密な時間というものがあるのだ。そのことに、少し感動する。

  キュウリと朝顔が絡み合っている。
  紫陽花が夏の激しい太陽の下で枯れ残っている。
  そばのカイズカイブキの葉に、蝉の抜け殻がしがみついた姿勢で残され、そのすぐ脇の湿った土の上に、小さな小さなアマガエル。
  ネコがどこかに行ってしまい、残されたわたしの足元には、たくさんの、蟻の巣。

  街に住み、そこにある季節をみつめて、十分に季節のいいものは揃っていると思う。
  だけど、生き物たちが季節ごとに繰り返すドラマの数は、やはり田舎にかなわない。

  それでも、庭を後にして車に向かって歩くとき、足元の土の柔らかさを感じ、ヒールを気にするわたしがいる。
  
 
    海の日にサザン聴く ふときみが欲しい

  海の日のFMで、サザンオールスターズの特集を聴く。
  
  生きていくのに、寄り添っている音楽、というものが常にあるひとは、幸せである。
  青春のさなかにサザンと出逢ったひとたちの幸福を思うと、ほんの少しだけ、嫉妬を感じる。もうあとちょっと早く生まれて、歌詞の妖しさに足元をすくわれたり、ビートの気持ちよさにエクスタシーを感じたりしたかったな。タイムリーに。
  デビュー当時、小学生だった。ほんの少しのことなんだけど、間に合わなかった感が強い。

  とは言うものの、制服の棒タイがうまく結べなくて、何度も蝶結びを繰り返していたときに、友達とくちずさんだ「栞のテーマ」だとか、大雨の降る深夜に、なかなか終わらない数学の宿題を投げやりになって片付けながら、歌詞の意味に悩んだ「わたしはピアノ」だとか、いちいち青春の細かい場面で立ち会ってくれた歌は数え切れない。
  ピアノで弾いた曲たち。
  吹奏楽向けに、自分たちで生意気にもアレンジした曲たち。
  クルマの中で、キスしながら聴いた歌。
  おなかに娘がいたときに、シマの最南端で身を任せた歌。

  そして、同じ季節を別々の場所で生きてきて、どこかで同じように、このメロデイに彩られてきた思い出をもっているだろう、きみが、ほんとうに欲しくなったりもして・・・。
  
  
     白ワインめく薄暮の空で夏に入る

  梅雨が明けた。
  季節が変わると、季語を集めるのが楽しい。
  ちょっとした遊びであり、頭の体操である。思いついた言葉たちを、自由に浮遊させて楽しむ。

  夏の、季語。

  日傘、噴水、茄子、トマト。
  冷奴、花火、向日葵、朝顔。
  打ち水、夏座敷、夜すすぎ、なんてのもある。
  花氷、かき氷、クリームソーダ、麦藁帽子。
  
  そのうち、「稲川淳二」というのを思いついた。
  
  夏の、季語?。
     風は無し 夏の涙の行く手にも

  昨日から、なぜかやたらと涙もろくて困る。

  今回、仕事を始めるにあたり、会社と契約を結んだ。
  もともとモノを書くのが好きで、短大で国語を専攻し、ここで教職の真似事をやって、その後、俳句を始めて、それから校正もかじって・・・その間、とにかく「物語」を書き続けてきたのではあるが、日本語を「仕事」にするのは、今回が初めてである。
  好きなことを仕事にできるということは、人間の幸福の中で、かなり高ポイントなことであろう。しかし、好きなことを仕事にしてしまうと、逃げる場所も無くなってしまう。国語が好きであっても、それでお金をもらおうとしなかったのは、そのあたりに意気地が無かったせいである。
  それでも、今回は、やってみることにする。ともかくやって、みる。
  敵は、夏休みだ。初仕事をもらえる予定の週に、幼稚園は午前保育になる。ああ、リーコを何とかしなくては。

  しかし、疲れているのだろうか。
  とにかく、涙が出て困る。
  昨日は、「サヨナライツカ」を読了して、しばらく泣いていた。ちなみに、再読である。二年前に一度、読んでいる。前回、フィーネに言わせたが、わたしも、
 「愛したことを、思い出す」。
  それが、二年前には、どっちだろうか、とかなり悩んでいたのだ。再読というのも、いい。変わった自分に会える。

  夜は夜で、「冬のソナタ」を観て、また泣いていた。
  実は、「韓国ドラマ」にハマっているとされる年代でありながら、それほど、アツクなれないでいたのだ。しかし、結局、ここに来て号泣している。

  さらに、さっき、ベランダで、海の対岸、ネックレスのように連なる灯りを眺めていたら、自然に涙があふれてきた。ただ、オレンジや黄色の光の波に、視線を泳がせていただけのことであるのに。
  ちょっと、おかしい。

  今年は、いろいろなことが身にふりかかる年では、ある。
  思春期じゃあるまいし、いちいち、何かに心震えていてはいけないのだが、このところ、どうも、感情のブレが大きい。 
  この夏、穏やかに過ぎていきますように。
 
     青草の苦き悩みの多きこと

 嫌いなやつの死を願ったことなら、ある。
 交換日記に思い切り悪口を書いていたことも、ある。
 そいつの、少しばかり短く切りすぎた前髪をあざ笑い、好きな男の子にからかわれて、ぶつ真似をするときの、にやけた表情をさんざんバカにした。
 わたしの書く小説には、彼女だとあからさまに分かる悪役が登場し、周りの女の子たちは、別に彼女とうまくいっていなかったというわけでもないのに、その小説を支持してくれていた。だから、図に乗って、バシバシ書いてやっていた。
 
 小学校六年生の頃である。

 あのときのわたしと彼女を見て、担任の先生は「仲が良い」と判断していたと思う。いっしょに帰ることが多く、放課後も遊んでいた。
 そして、わたしは彼女のイヤな部分をつぶさに観察し、嫌だな嫌だな、死んでくれないかなと毎日思いながら、交換日記を悪口で埋め、小説の中で彼女を失恋させていた。

 長崎の事件を知って思った。
 
 なんでわたしは殺さなかったのだろう。

 そして、なんで殺されなかったのだろう。

 わからない。

 ただ、あのとき、彼女にケガをさせるようなことをしたり、皆の前で追い詰めたりしたら、自分に不利だと思っていた。
 死んだら誰もが天使扱いされるのだ。
 彼女が死んだら天使になってしまう。
 あいつが天使なんて絶対に気にいらない。

 悪いのはあの子なんだよ。
 だけど、あたしが殺したら、あたしだけ悪い子って扱われるじゃん。
 それは嫌、絶対に嫌。

 そうだ、だから殺さなかったのだ。それだけの理由だ。

 
 ・・・娘が二人、いる。
 命の大切さ、とやらを教えることはもちろん大事だ。
 が、「殺したい」という少女期の感情を押さえ込むのには、もっと現実的な教育・・・といってわるければ、現実的な手段を教え込む必要がある。
 たとえば、人殺しをして捕まったら、それほどの賠償金を支払わなくてはいけないか、だとかね。
 現実に思春期を乗り越えるって、そういうことなんじゃないだろうか。
 そしてそれはもちろん、それは親がするべき仕事である。
 
      春薔薇の匂い濃ければ涙ぐむ

 
 「アクセス元表示」が、面白くてよく見るのだが、その中でなんと「主治医に恋」というのがあった。
 これは行かなきゃ、というわけでいってみると、なんと、恋愛お悩み相談室、みたいなところに行き着いた。これが面白かった。実に。
 相談者には悪いんだけどね。

 35歳主婦のお悩み。
 「大病を患って入院し、病は癒えたものの、別の病にとりつかれました。
 担当の主治医の先生に恋してしまったのです。
 でも、35歳、夫、子供ありではどうしようもありません。
 一体、どうすればいいのでしょうか。」

 これに対して、コメントがずらずらーっと25件。
 そのほとんどが辛らつなもの。
「オバサン、年考えろよ。」
「もっと、自分の家族を愛しましょう。」
「そんなの、相手は何とも思っていないに決まってるじゃありませんか。悩むだけムダですよ。」

 ・・・悪いけど、大いに賛成して、大いに笑った。

 人妻であっても、こころ惹かれる相手に出会うことはあるだろう。
 しかし、それは、原則、心に秘めて、誰にも迷惑をかけないように大切に自分の中でだけ暖めている、そういう恋では無いのかと思う。
 例えれば、それは、運命の神様から、大きな薔薇の花束をもらったようなものである。
 抱きしめて香りを楽しみ、そうして水をたたえた花瓶に生けて慈しみ、楽しむ。
 けれど、薔薇が美しいのは、確実に枯れるからである。
 どんなに丁寧に水切りし、大切に水を替えていても、確実に花は色あせて、花びらが、ひとつ、ふたつと散り始める・・・。
 そうしたら、静かに、騒ぐことなく捨てる。
 そういうものだと思う。

 この「相談者」に反感を感じるのは、35歳はともかく「夫、子供ありではどうにもなりません」のくだりである。
 なんで「どうにもならない」のか。
 どうかなる、とでも思っているのか、もしかして。だからそういう言い方になるのだ。大した自信。
 まあ、いい。
 あなたがものすごく魅力的か、相手がものすごくテキトーなやつだったかして、不倫の関係を持ったとしよう。
 が、それでも「どうにもならない」ということは無かろうが。
 二人だけの秘密として、密かに咲かせていればいいことである。勝手に恋しているのだから、夫、子供なんか関係ないでは無いか。
 もしかして、そういう存在が邪魔になるほど、深い関係になれるとでも思っているのか。
 たまたま主治医というだけの、そんな関係の男と?。
 当然、今のところは片想いである。そういう物騒なことは、関係が深まってから考えるたぐいのことでは無いのか。

 友達が「不倫は絶対に汚い恋にしかならへん」と言ったのは、こういう女が勘違いして騒ぎ立てるからだろう。
 

 密かに恋して、いつしか終わる。
 そういう恋なら、汚くは、ない。

 ところで、このコメントの中では「女医」さんの、
「あなたは診察室だから、彼の魅力を過大評価しているのです。魅力は、白衣五割増し、と考えるべきです」というのが、なんか面白くてかなり長いこと笑っていた。

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 ところで、書き忘れたのですが、先日の日記にある「場所」は、島の「北口」駅近く。「アダムとエヴァ」の彫刻からもらったインスピレーション。
  
     花冷えやミサの詠唱川面まで

  四旬節第五主日のミサが行われている。
 
  ヨハネによる福音。8章1節から11節。
  神殿にいるイエズスのもとに、ひとりの女が連れてこられる。
  姦通の現場でとらえられたのだという。 
  イエズスに反する人々が、イエズスをわなにかけようと目論みる。
  「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」

  姦通すれば、男女ともに石で打ち殺される、それが律法の掟。
  
  イエズスは答えない。
  が、しつこく問い続けられて、ついに口を開く。

  「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
  これを聞いた者は、一人、また一人、とその場を立ち去り、ついに、イエズスと女と、二人だけになる。

  

  神父さまのお話は、イエズスをわなにかけようとした人々と、イエズスとのことに終始している。
  けれど、わたしは、この女のことばかり考えている。
  青いステンドグラスを通して、柔らかく春の日がお御堂に差し込んで来る。
  教会は川べりにあり、川べりには桜並木。
  ミサの間にも、すこしずつ、花は開いているだろう・・・。
  
  そこにいる中で、神の子イエズスだけが、女に石を投げる権利がある。しかし、イエズスは石を投げない。
  「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

  聖書はこの後のことには触れていない。

  女はどうしただろう。

  この後。

  姦通罪は、男女同罪。
  しかも、死刑にされるほどの罪である。
  二人は、よほどの覚悟があって愛し合っていたのだろう。
  とすれば、女は、本当は、石で打ち殺されることこそ、本望だったかもしれないのだ。
  愛する人と共に。
  しかし、引き離され、衆人の目に晒された。
  イエズスに赦されても、戻るべき場所など、ないだろう。

  罪を背負って、女はどこでどうやって生きたのだろう。
  愛人とは再び逢えたのだろうか。
  しかし、逢えば、それはイエズスの言葉にそむくことになる。

  遠い昔。聖書に記された、ひとりの女のこと。
  詠唱が始まっても、わたしの心から離れない。

  
  
  
     ホワイト・デイ 薔薇と吐息を贈られて

 バレンタイン・デイの句で、
     チョコ渡すはにかみ笑ひ 白き梅
 と書いたら、
 「これは、ホワイト・デイ?」
 とたずねられて、ああそうか、その方がいいかもね、と思った。
 「はにかみ笑い」は、少年の方が、絵になりそう。
 しかし、チョコ、ね。

 バレンタイン・デイには、チョコレートを贈る、ということに、何となくなっている。「正統派」はチョコレートだろう。
 じゃ、ホワイト・デイは?。
 昔はマシュマロ、と言われていた気がする。が、マシュマロをお返しにいただいたことは無い。
 そもそも、決まっていないのかもしれない。となると、返す方は、あれこれ考えなきゃいけないってこと、ですね。
 
 近所のホテルのショップには、ホワイト・デイ向けのデイスプレイで、薔薇のジャムだとか、色とりどりのマシュマロを透き通ったボトルに詰めたものだとか、ラベンダー色の花びらにしか見えないバブルバスだとか、そういったものが、高々と盛られたアートフラワーと一緒に置かれている。
 それだけ見ていても、お返しは何、と決められてはいない印象である。

 娘のもらってきた「お返し」も、男の子のお母様が、あれこれ考えてくださったのだろう、キャンデイにかわいらしい文具が添えてある。小学校に上がるから、ということだと思う。

 銀行に勤めていた頃は、融資部署で、男性が多かった。バレンタイン・デイは、そういう意味では大変だったが、ホワイト・デイは、なかなか面白かった。
 「選べるお返し」という趣向だったのである。
 融資係の女子行員数名が、それぞれ、包みを選ぶ。包み紙は同じで、外からは分からない。が、中身はみんな違うから、大きさも、重さも、それぞれ違う。
 人妻で同期のリオちゃんは、一番大きくて重いのを選んだ。
 中身は、梅干し。
 わたしが選んだのは、「プーさんのテイッシュケース」であった。今も部屋に置いてある。

 これもあの時代。
 恋人、と言えないような、それでも時々は会う、という関係の、男がくれたお返しは、大きな薔薇の花束だった。
 それを、ベッドから見える角度に置いて、眠りに落ちるときと、目覚めるときと、自然に視界に入るように飾った。
 部屋には、甘くてどこか虚ろな香が鎮まっていた。
 
 薔薇と眠り、薔薇と目覚める。息が詰まりそうに濃い、存在。それでも日が経つにつれて、花弁は開き、花びらは色あせ、床に破片となって散り始める。
 いつかは、失われるから、美しく、甘い。気付いて、不安になった。

 そしてその恋は、それから数ヶ月で、終わった。

 
  
     春の海武装解除で横たわる

 久しぶりに、海辺まで出かけて、ぼんやりとしてみた。
 
 どこからか、シャボン玉の群れ。春の日に透けて、虹色がゆらめく。
 遠く、街が霞んで見える。
 観覧車と、ビルの群れと。
 
 近くで、子供たちの歓声。
 たくさんの犬たちが人に混じってくつろぐ。
 風は、いつからこんなに甘くなったのだろう。

 空の青は、まだ白っぽい。
 高い高いところに、一本だけ、飛行機雲。

 わたしは。

 どうして、物事の核心だけを確かに打ち落として、ものにすることができないのだろう。

 清濁併せ呑む、そして、そこから、真実を抽出する。
 そんなふうにしか書けないのは、どうしてなんだろう。
 
 そのくせ、実際に核心に触れそうになると、傷つくのがこわくて逃げてしまおうと、する。

 わたしには。

 ほんとうは、何も書けないみたいな気がする。
 いくじなし。

 いくじなし。

 だから、不倫の恋なんか、絶対に、できないんだよ。

 絶対にね。


  心配してくれた方々、ありがとう。

  でも、だいじょうぶです。
      走り出て鎖骨で受くる桜雨

  「あ、桜雨!。」 
  いきなり、ベッドを飛び降りて、ベランダに出る。
  愛し合ったあと、どちらからともなくまどろんでいた。眠りの中、静かに、静かに、雨の音にゆり起こされて・・・。

  「だめじゃん、風邪ひくよ。」
  彼の声が眠そう。36階の部屋。夜風はまだ冷たい。でも、どこか甘いよ。
  出会った頃は冷たかった貴方みたいだね。
  「ほら、これ。」
  差し出されるシーツ。どっちかの移り香がする。どっちもの?。
  「中に入るんだ、早く。」
  「い、や。だって、桜雨に打たれると、綺麗になれるんだよ。」
  「桜雨?。」
  「そう。かたく閉じた桜の蕾を目覚めさせる、春の柔らかな雨。それに打たれて、綺麗になるのもっと。」
  風が強くなってきた。雨も激しくなってきた。寒い、やっぱり。でも、濡れてみたい、思い切り。
  「もう。」
  彼の声が、甘く怒っている。「入れ。」
  「いや。」
  
  シーツを巻きつけて、しばらく立ち尽くす。
  むき出しの肩にかかる、雨の束。シーツは濡れてしまって、もう用をなさない。
  
  「いい加減にしろよ。」
  ついに、後ろから捕まえられる。
  「もう・・・これ以上、綺麗になんか、ならなくていい。綺麗になられたら・・・。」
  そして、彼の口が、鎖骨のくぼみに溜まった甘い雨を飲む。
  「綺麗になられたら、困る。」

  ・・・ここまで、お話。ここからほんとのこと。
  やせた。
  ・・・ということは、わたしの場合、鎖骨で分かる。ふと見たらかなりくぼんでいた。
  やつれた。
  チョーコの風邪が長引いたからだ。わたしのせいだ。
  小児科の診察室は三つあって、そのほかに点滴などを行う処置室、というのがある。それらは、入り口はそれぞれ別なんだけれど、奥ではつながっている。だから、少し大きい声で話せば、内容は筒抜けである。
  最初に具合が悪くなった日、処置室にいたら、診察室の方から、母親と医師の会話が漏れ聞こえてきて。
  なんだか知らないけど、やたらと母親の声が甘ったるくて、医師に媚びているのだった。
  妙なところに拘るので、昔から損をするのであるが、このときもそうだった。
  なんだかイラついて、その日の診察は一応ちゃんと終えたのであるが、次に具合が悪くなったとき、診察に連れて行くのをためらってしまった。
  小児科の医師は、もちろん、子供を治療しているのであるが、相手にしているのは、その保護者みたいな気がする。保護者との、まあ言ってみれば、相性、それで実際の患者である子供との関係が決定付けられる。そして、診察室における保護者とは、圧倒的に母親が多い。
  可愛いわが子、であるから、何としても楽にしてやりたい、というのは当然なんだけど。なんだか嫌。媚びたり甘えたりそういうのは・・。

  なーんて思っていたら、ごめんね、チョーコ。また発作かなあ。

  鎖骨のくぼみにシャワーのお湯を溜めて、男に飲ませる話は、どこかで聞いた。
  なので、わたしはヒロインの恋人に雨を飲ませることにした。
  わたし自身の鎖骨のくぼみに、何が溜まろうとも、そういうドラマは訪れないのだろう、もう。
  そして、チョーコの上には、もしかしたらやがて、そういう出来事があるのだ。
  ごめんね。
  明日、まだ咳が止まらなかったら、吸入に連れて行ってあげるから。

    
     思ひ出のやうに菜の花ほろ苦し 

 
 毎年、この時期必ずつくる、菜の花漬け。
 熱湯をさっとかけた菜の花を、みりんと昆布と塩とで漬け込む。炒った白ゴマを加えることもある。
 一晩、寝かせて。
 おひな祭りのチラシ寿司を盛り付けたお皿に、そっと載せると、泣きたくなるくらい、きれいな色合いになる。
 そして、そっと口に入れて噛んでみると、そのほろ苦さに再び、なんとなく泣きたくなる・・・。

 ふきのとうにしろ、菜の花にしろ、早春の野草たちは、どうしてこんなに苦いのだろう。
 この季節に重ねてきた別れの記憶とリンクして、悲しくなってしまう。
 それでも、蓄積された悲しみの記憶に、取り乱すことは、もう、無い。
 むしろ、そういう離れがたいものを、自分があんなにも持っていたのだ、ということに、静かな喜びさえ感じたりする。

 子供たちは、菜の花を食べない。
 それは、思い出を持ち合わせていないからだろう。
 ほろ苦さを楽しむだけのものを、抱えていないからなのだろう。

 ところで、毎年、一パック菜の花を買ってくると、中に必ず咲いてしまっているのがある。
 黄色い花を食べてもいいのだろうが、なんとなく、料理できない。
 食材として扱われることを、花が拒否しているみたいに思えるのだ。
 なので、花開いた茎だけは抜いて、花瓶に入れている。
 今これを書いている傍らで、雄雄しい黄色の光を視界の片隅に押し込んでくる。
 他の茎たちは、もう食べてしまった。
 菜の花としては、どっちがしあわせなのだろう、などと、詮無いことを考えてみたりする。
 答えなんか、出るはずも無いのに。
  

     桃つぼみ切り落とす心乱れて

  おひなまつりなので、桃を生ける。

  久しぶりなので、緊張。

 
  お花を習っていたことがある。
  花材は、教室に着くと、それぞれ新聞紙にくるまれてバケツに漬けてある。
  それを開いて、さあ、今日はどんなふうに生けようかしら、と思い悩むときの、ときめき。
  あの感覚を久しぶりに思い出した。
  
  同じ花なのに、生けるひとそれぞれがみな、全く違う空間をつくりあげるのが不思議。
  自由な流派で、一応、二年ほどかけて「基本形」を教わるが、その段階を過ぎると、今度はいかに自由に、型にとらわれずに、花を生かせられるのか、が勝負になる。
  「あなたは自由になってから、面白いものを生けるようになったわね。基本のときには正直、どうしようかしら、って思ったこともあったけれど・・・。」
  とは、師匠の弁。
  決められたことを、決められたようにするのは大の苦手なんだ。

  それでも、どこかで、似てしまう作品というのがある。それは、花、という自然のものを使っていることの限界なのだが、しかし、生け方の傾向が、まったく違う、というひとがいる。

  男と、女の「花」は、ほんとうに違う。

  花に対する姿勢が、そもそも違うのだ。
  男の「花」で、時に、この作品をつくったひとは、花がいとおしいのか、憎いのか、どちらなんだ、と思わされるものがある。
 あるいは、そのどちらもか。
 愛しているけど、憎い。憎いけれども、いとおしい。
 ・・・まるで、女を愛するように、花と向き合うのが、男の「花」なのかもしれない。

  対する女の「花」。
  こちらは、そういう思い入れはあまり、無い。 
  ただ、生かしてやりたい、という慈しみがあふれる。この花の持っている力を、美しさを、最大に引き出すにはどうすればいいのか、静かに考えながら、花と向き合う。

  部屋に飾ると、桃のつぼみたちは、何かを待ちかねたように、次々に花開く。
  うっかり落としてしまったつぼみたちも、なんとか開かせてやりたい、と未練がましく小皿に入れてあったりする我が家である。
   
     狐雨 女神の涙かも知れず

 
 気まぐれな天気のせいで、一日に二回も雨に濡れた。
 強風のせいで、自転車も、二回倒れた。
 でも、寒くないから、そう惨めな気持ちにはならない。

 これは、事実。

 時々、考える。事実を書く、ということと、真実を書く、ということの違いを。これは決して同じことでは無い。

 友達からの電話やメール、あるいは、誰かの「だいありい」、そういうものを聞いたり、読んだりしていると、自然に「お話」が生まれてくる。
 たとえば、これを、そのまま、「こういう話を聞きました」とか「こういう話を読みました」とかいうふうに書くこともできるのだけれど。
 話を聞いた、とか読んだ、とかそのまま書くのは、事実の記録。
 でも、なぜだろう、事実から、エッセンスを抽出しようとすると、どこかで嘘をついた方が、伝えられる気がするのは。
 
 書く、ということは。
 他人様に読んでもらうことを前提に書く、ということになるが、これは、自分の中の思いを伝えたい、ということである。
 
 事実をありのままに書きたい、というひともいるだろう。

 でも、わたしは、真実を書きたい。

 ほんとうのことを言えば、事実をそのまま書いている、とされるものだって、一度、書き手を通っている以上、それはどこかに虚構があるという気がして仕方が無いのであるが。

 ここで書いていることは。

 たとえ、一人称であっても、虚構である。

 そう。ここで「わたし」が何をしても、それは事実とは限らない。

 でも、真実である。
 誰かの話を素にしていても、そのどこかが自分の心の芯にぴったりと沿わない限り、そのことは書かない。

 たとえ、こういう場所であっても、誰かが読んでくれるものを書く以上、そのくらいの気骨は持っていなくては、と思っている。

 
   
 
    その窓の氷柱は溶けず暮れゆける

 伯母の葬儀のときの出来事で、どうしてもわだかまっていることがある。
 書かないでおいた方がいいのかな、といまこれを書きつつも思っているのだが、気持ちの整理をしたいので、書かせていただく。
 
 主人の従兄弟に、「芸能人」がいる。
 「お笑い集団」を十年に渡り展開。現在はグループでの活動は中止。ソロになってからは、脚本を書いたり、ドラマに出たりしている。
 わたしは、このひとの「ファン」である。
 もともとは「ダンナの従兄弟」だから応援しようという気持ちであった筈なのだが、そういうお義理めいた感情は、ほとんど無い。単純に「いいな」と思う。もともと「お笑い」には好き嫌いがあるではないか。わたしは、このひとのつくる世界がすきなんである。
 
 実に不思議なことなのだが、主人はこのひとを応援する気は全く無い。
 さらにそれは姑もそうである。むしろ、わたしが楽しんでいることを、評価していることをうっとおしがっているのだ。実の甥なのにね。
 分からない。
 幼い頃から見知っている、従兄弟、甥、である。応援するのが普通であろうに。
 まだ彼が全国ネットのテレビではほとんど見かけなかった頃は、そうでもなかった。しかし、次第に、テレビで彼をみかける機会が増え、
「Yちゃんが出てる。」
といちいち騒がなくなってきてからは、わたしが「熱をあげる」ことに、あからさまに不快な表情を見せるようになった。
 だから、わたしは、
「嫉妬してるんやな」
と、思う。

 主人の弟が東京で結婚式を挙げることになり、もしかして、彼も出席するか、という話になったことがある。
 そのとき、姑が言ったことが忘れられない。
「(もし式場で会っても)親戚として会うんだから、サインだの何だの、そういうことはダメよ。」
 は?。
 分かってますよ。
 大体、アイドルの追っかけじゃあるまいし。たとえ路上で会ったとしても、サインペン片手に迫ったりしないさ。
 しかも、「従兄弟の嫁」という立場で会うのなら尚更・・・。「応援してますよ」くらいは言いますがね。幸い(?)彼は都合がつかず、対面は無かった。

 前置きが長くなった。

 さて、先日の伯母の葬儀。
 わたしは彼に、テレビ画面あるいはライブのステージ以外の場所ではじめて直接に会った。
 しかし、葬儀、である。
 しかも、親しくしていたひとの急逝であるから、わたしは相当にショックを受けていた。賛美歌の最中も、棺にお花を入れる間も、涙が止まらなかった。
 ああ、来ておられるな、とは思ったが、田舎流に言えば、「本家の長男」であるから、いても全然おかしくない。話す機会があれば嬉しいとは思ったが、別に今日で無くてもいい、という感じであった。

 なのに。

 火葬場から帰宅して、親戚一同が集まった席で、こともあろうに、主人と姑が、
「音子さんはYちゃんの大ファンなんだから、サインもらったら。」
と大声でわたしにけしかけるのである。
 何でや?。
 正直、とてつもなく戸惑った。
 義弟の結婚式でサインをもらったりしてはいけない、と強く言った同じヤツが、伯母の葬儀の席でサインをもらえ、と強く勧めるのである。
 葬式禁止、結婚式OK、ならまだ分かる。楽しい席でのハメはずし、と悲しい席でのタガはずれ、はどちらが罪が重いか。考えるまでも無かろう。
 それに、サインをもらうということが実はわたしにはそんなに重要でもないのだ、そもそも。
 彼がもしも今よりもさらにビッグになろうが、廃業しようが、主人と結婚している限り、彼とは親戚関係にあり、それはこの先もずっとそうなのである。わたしは彼の作品が大好きで、とても大切なものであるけど、それと、「彼とは親戚」というのは、まあ極端に言って関係が無い。
 なので、本当にどっちでもよかったのだ。サインは。
 しかし。
 なんでだか知らんが、主人とその母は親子で、やたらと、サインをもらえ、もらえとけしかける。わたしの頭に
「やり手ババみたい」
という言葉が浮かんだ。
 親戚中が事の行く末を見ているし、「伯父」は、
「サインちゅうても、色紙も何も無いがな。」
と、大慌てでそこらへんを引っ掻き回すし、ほんとうに、ほんとうに困ったよ。

 結局、彼が機転を利かせてくれた。
「・・・お名前は何て言うの?。」
と、娘らに尋ね、娘ら宛てに、というかたちでサインを書いてくれたのである。
 もちろん、色紙なんぞは無く、便箋の裏表紙に、サインペンも、インクが枯れかけてカサカサ、という、いくら親戚でもプロに向かってとんでもないものを差し出す格好になったのだが、相手が子供、ということで何とか丸くおさまった。
 ほっとしていると、「やり手ババ」がまた、
「音子さん、今夜は嬉しくて眠れないわねえ。」
 って、あんた。
 あんたのお姉さんのお葬式だろーが、今は。

 たぶん、忙しい間を縫って、東京から駆けつけてくれた甥=彼の機嫌をとりたかったのだろう。
 しかし、あのときには本当に困惑した。どういう態度をとったらいいのか、さっぱり分からなかった。

 サインは、手元にある。
 しかし、もしこれが、こんな風でなく、たとえば、主人がこっそりと、
「あいつ、ほんとうにお前のファンなんだ。こんなときに悪いけど、サインを一枚書いてやってくれないか。」
なんて、彼に耳打ちしてその結果、わたしにもたらされた、とかいうものであったなら。
 見直してやるんだけどな。
 無いものねだりである。
  
    どこまでも笑顔持て行け冬の旅

 伯母が急逝した。
 
 病気療養中ではあった。しかし、亡くなる数時間前まで、普段通りの生活だったという。
 
 このひとは、姑の姉であるので、血のつながりは、無い。
 しかし、徒歩十分ほどの距離に住んでいたので生活圏が同じだった。よく自然に顔を合わせていた。
 血のつながりは無い。なのに、
「おばさんだよ。」
 と紹介すると、
「道理で似ていると思った。」
 と言われることが何度かあった。小柄で大きな目をしているので、あながち無責任な発言とも言えないな、と思った。そう言われることで親しみも感じた。
 世話好きで、よく動くひとだった。
 若いときの写真を見たことがある。
 どう見ても「スポーツカー」にしか見えないクルマの運転席に座り、不敵な微笑みを浮かべている。
 バレエの発表会の、チュチュ姿のものもあった。
 名門と言われる「k女学院」を卒業したが、普通の奥様ではおさまらなかったのか、自分で商売をしていた。
「家事は苦手だから。」
 とよく言っていた。では身の回りのことはどうしていたのか、と言うと、「パートナー」の「伯父」がしていた。
 この「伯父」は伯母のために妻子のもとを去ったのである。いわゆる「略奪愛」で、だから、ふたりはついに戸籍上で夫婦になることは無かった。

 病気のはじまりは、「足が動かない」ことだった。
 松葉杖をつき、足をひきずりながら、ケイタイ片手に商売を仕切っていた。
 あちこちの病院を回った。総合病院、接骨院、整体・・・。
 原因不明。

 やがて、車椅子の生活を余儀なくされた。
 車椅子の上でメモを片手に商売に余念が無かった。

 そして声を失った頃、ようやく病気が何であるかが分かった。
「筋萎縮性側策症候群」。神経回路が働かなくなる難病である。脳からの指令を伝える神経が働かなくなるのであるから、その、働かなくなる箇所によっては、生命に危険をおよぼす。

 伯母は、ただ車椅子に座っているばかりになった。
 もう商売をすることは無かった。
 「伯父」の献身的な介護に支えられ、静かに生活していた。
 話はできないが、筆談の文字はわたしよりもずっときれいだった。話の内容に納得すると、ゆっくりと指を動かして「Vサイン」をした。そういうところは茶目っ気を最期まで失わなかったひとであった。

 
 わたしは、伯母がすきだった。

 もういない

 ひとというのは、ほんとうに消えてしまうのだ。
 ちいさなひとだった。さらにちいさなちいさなほねになってしまった。

 ひとというのは、そういうものなのだ。

 土曜日、妹に初めての子供が生まれた。女の子。わたしは「伯母」になった。
 彼女は、わたしが消えてしまうとき、わたしのかけらを拾うのだろうか。
 そのとき、できれば、笑顔をおぼえていて欲しい。
 そんなひとでいたい。
 伯母がそうであったように。

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