星月夜 吾の内にも潮の満ちて
     

  あふれそう・・・。

  声がこぼれた。
  身体をよじって逃げようとしたことが、むしろ逆に押さえつけられてしまう結果になる。
  男と女って、いつもそうだ。
  そうして、そういうパラドクスが、なぜだかいつも、刺激になる。もちろん、適度であれば。

  内科医の指は、外科医のそれとは、違うのかもしれない。

  肌に吸い付くような感触があるのは、生まれつきあなたの手のひらが大きくて、分厚いせいもあると思う。だけど、触れることで、瞬時に何かを読み取ってしまう力がその手に宿っているのは、恐らく、仕事のせいだろうと思う。
  すばやくわたしの中にすべりこんで、瞬く間にその部分を探り当てる指先。
  そのままそこにとどまって、痛くも無い、かと言って、頼りなくもない力を加えながら、少しずつ、少しずつ、襞を開いていく。
  声が漏れる。
  つらい。
  思わずあなたの耳を噛む。
  だけど切ない吐息は、あなたの耳から全身に送り込まれてしまったみたい。
  
  男が興奮していくのを感じるのは、好き。
  自分が、例えようもなく求められているみたいな気持ちになる。それが、猛獣の食欲に近いものであっても、この瞬間、激しく必要とされているということが、わたしを慰めてくれる。

  あなたの左手は、わたしの腰を押さえつけて、右手の細かい仕事を助けている。腰はもう揺れたくて仕方ない。それが、逃避願望なのか、接触願望なのか、分からなくなってくる。
  中指と薬指だろうか、二本の指。そんなに激しく動かさないで。
  さっきよりもかなり乱暴にいじられているはずなのに、濡れているからか、痛みはまったく感じられない。
  夢中であなたの性器を探す。そして、それが大きく、いきり立っていることを知って、思う。ハヤク、イレテ。
  口には、出さない。
  出せない。
  荒い息遣いだけが、空間いっぱいに漂う。

  そして、突然、中指が探り当てた。
  わたし自身が知らなかった場所を。

  ・・・あふれる・・・。

  いけない、と頭の中で思った。けれど、抗えない。例えようも無い、解放感。

  ようやく、あなたの悪戯が終わる。そして、わたしは、あなたの、きれいな二重まぶたの瞳が、欲望に潤んでいるのをみつめてから、足の付け根へと口を沈めていく。
  

  ねえ・・・。
  あなたにも、潮を感じる・・・。
  涙もしょっぱいよね?
  汗もそうだよね。
  もしかして、身体の中は、潮が満ちているの? 
  ヒトはみんな、潮を抱えて生きて、いるの?

  そして、男と女は、満ち潮を繰り返しながら、新しい命を作り出すんだね。ほんとうは、そういうものなんだよね。これって。

  だけど、もちろん、そういう結果になれないことは分かっていて、だから余計にこの瞬間だけを味わいつくしたくて、何もかも忘れるほどに、みだらになって、いく。
 
     母の慟哭 渦巻けば 台風に

  やりきれないことが、多すぎる。
  
  ニュースを観ていて、画面の悲惨さに耐え切れずに、テレビの電源を切りたくなるようなことが、多すぎる。
  
  しかもそういうことに、慣れていく自分が赦せない。日常の中で、他人事のようにアイロンなんか掛けながら、誰かの悲しみを眺めているなんて。
  ・・・かと言って、何が、できる?。

  暴風は、大量の海を巻き込んでやって来るらしく、人工島を塩まみれにして通りすぎていく。
  窓も、自転車も、看板も、クルマも、そして、植物たちも、
瞬く間にいっぱいの塩を浴びることになる。
  
  台風一過。
                
  まだ熱風の余韻を残して、ぎらつく朝日の下、砂粒のような白い粒子が、そこかしこに張り付いて、粘着質の煌きを放っている。
  紅葉を待たずして、立ち枯れている木。病葉が、茶色に乾いて空虚に道路を滑っていく。いつもの年なら、赤く燃え立つような命の果ての輝きを見せてくれる葉たちの群れが、力尽きて大量に、枝から離れて死んでいく。
  塩の、せいで。

  
  それは、もちろん海の中にしまわれていた塩分のせいなのだと、分かっているけれど。

  もしかしたら、この小さな結晶の一粒が、あの、ニュースの画面の中で慟哭していた、やせた母親の涙の一粒だと、そんなふうに感じられてしまうほどに。

  ・・・やりきれないことが、多すぎる。

  

  
  
       好きだよ、の囁きを消す虫の声 

  今度逢ったときには、ちゃんと目を見て、好きって言って。

  そうメールで伝えておいたのに、なかなかそうしてくれない。
  ベッドの中で、とろけそうなキスを繰り返してから、待ちきれずにねだって、やっと言ってくれた、好きだよ。
  好きだよ。
  好きだよ、逢いたかったよ。
  言葉と吐息とが、ふたつの唇の間を行き来する。

  あなたは、わたしに抱かれるのが好きだね。

  女はそう思う。
  シャワーを浴びて、ベッドに行くと、いつも男は仰向けで待っていて、両腕を広げて抱きしめる。そのまま、キスへつながっていくとき、女が男の身体の上になり、そっと唇を下ろしていくのが二人のスタイル。しかも、いつも、男の目は閉じられて、静かに女の唇を待っている。
  あなたは、視姦、ということをしない。

  夫が、両腕を縛るようになったのは、このひとを知ってからだわ。
  他の男に抱かれていることに、気が付いたのかもしれない、何も言わないけど。
  夫は、妻が就寝してすぐの、眠りが深い時を選んで、タオルできつく両腕を縛る。そして、容易に結び目がほどけないことを確認してから、おもむろに犯し始める。時々、下着を替えさせることもある。クローゼットから、気に入ったものを選んで来て、穿き替えさせて、そのまま脱がさずに隙間から指を差し込んで、抵抗する妻を楽しむ。

  そういう趣味は、無いんだけど。
  たまりかねて言ったことがある。夫は、ただ笑っているだけ。昼間の夫は、物静かでおとなしい。

  女の身体は、構造上、入ってくるものを拒めないけれど。
  気持ちの上では、受け入れられる身体は、ひとつだけだという気がする。
  どんなに過激な演出を寝室でほどこされても、何一つ感じない。義務のセックスであることに変わりはない。

  罪を承知で、それでも思う。
  夫とは、何度寝なければいけないの?
  あなたとは、何度寝ることができるの?
  命が終わるまでに・・・。
  
  あなたの、指先だけでイカされてしまう。
  職業上、肌に触れなれているその手は暖かく、触れ方には無駄が無くて、触れる場所は確実で、一瞬の愛撫で全身に電撃が走る。
  
  好きよ。
  好きだよ。

  一度満たされているのに、もっと欲しいと身体じゅうが震える。
  今度は俺を満たしてくれというふうに、男が女を導いていき、女の唇が、男の感じやすいパーツをとらえて静かにしめつけ始める。
  やがて、男の口から、快感のうめき声がもれるまで、唇は角度や強度を微妙に変えながら、それを離さない。

  窓の外では、虫の声。
  夜いっぱいに響き渡れとばかりに、震えながらあふれている。
  
  ね、あの声も、翻訳すれば好きだよ、ってことなんだよね。
 
  ふいに唇を離してそう言うと、閉じられていた目をそっと開いて、そうかもね、と返事をくれたあと、おもむろに起き上がり、優しく押し倒された。

      
  

      マニキュアのラメを落とせば夜の秋

  
  涼しくなった。
  ルージュも、マニキュアも、そろそろ秋の色に移行したくなる。 
  いつも思うのだが、もう若くない女のファッションというのは、流行っているものを意識しながらも、全面的にそれに依存しないで自分なりに少しずつ取り入れていくもの、なんじゃないかな。
  メイクするにせよ、服を着るにせよ、流行っているものは知っていますよ、そしてわたしはそれをこんなふうに理解していますよ、そしてわたしはこういうふうに解釈して取り入れているんですよ・・・そういう主張があるといい。
  つまり、世の中の上っ面の情報を丸呑みしないで、自分の頭で考えてから発信しろということ。
  だから、本当は、ことファッションに限らない。
  ま、いずれにしても、ラメはもう止めよう。
  どうしようかな。

  さて、話は変わる。
  先日、ダンス大好きチョーコの話を書いた。
  しかし、この娘、幼稚園で運動会の踊りの練習をしているとき、先生から、
 「チョーコちゃん、ぜんぜんかわいくない。」
と、言われたんだそうである。
  この先生は、若くて(23才!)元気が良くて、その割に保護者あしらいも上手、という末頼もしい先生なのだが、今までも、味噌汁のことを、
 「汁も残したらあかんでー」
などと子供に向かって声を張り上げるなど、ちょっと、言葉には気を付けてくださいな、ということがあった。何せ、こちらは、夫の母親から、
 「味噌汁、じゃないでしょう、おみおつけ、でしょう。」
と、言い直しさせられるような環境なのであるから。汁、なんて孫の口から言葉が飛び出したら、別室呼び出しである(もちろん、わたしが、よ。)ついでに、この母の前では、方言もダメである。神戸っ子のよく使う、
 「○○しとーよ」(○○しているよ)
も、使ってはいけない。ご自分は、
 「なんぼやったかしら」
と、立派に関西弁をお遣いなのであるが。
  と、まあ、そういうわけで、今回も、
 「先生、また失言?」
かと思った。しかし、けなげにお遊戯の練習をする年少児に、「
ぜんぜんかわいくない」は、あんまりだと思ったので、よくよくチョーコに状況をたずねると、
 「あのね、そのときね、チョーコね、踊りながら叫んでたの。
  めんどくっせーなあ!!って。」
・・・・そりゃ、確かにかわいくないよ。
 
  
  
     盆踊り サンバ マカレラ  さらば夏

 
  住んでいる人工島の夏祭りだった。
  このお祭りは、ここに多く住んでいる外国人たちがバカンスを終えて戻ってくる八月の終わりに毎年行われる。
  今年は、櫓の周りを回る恒例の盆踊りに加えて、外国人の「ダンスステージ」がプログラムに組み込まれ、思い切り楽しませてもらった。
  日本人でありながら、盆踊りのリズムよりも、ロックやサンバの方が身体になじんでいるのはなぜだろう。生まれ育った時代だとか、家庭環境だとか、分析すれば色々あるのだろうが、難しく考えるのは止めよう。とにかく、気持ちのいい音楽に身を任せてしまおう。

  ここで、わたしと同じようにノッていたのが次女のチョーコ
である。長女リーコとその父親(わたしから見りゃ主人)が、いい加減ダンスに飽きてその場を離れたくなっているのに、チョーコはまだまだ踊ると言う。(わたしも)
  こういうときだけは、わが子がひとりっ子で無くて嬉しい。リーコには行かなかったダンスのDNAが、チョーコには、受け継がれている。そしてわたしたち親子の前にも、幼い子供を肩車して、しっかりツイストをキメている「パパ」がいる。肩の上で大きく揺さぶられながら、浴衣姿の幼女は本当に楽しそう。こういう遺伝子は、どんどん残したい。きっと、もっと世界は平和になる。
  
  では、わたしの中のビート遺伝子は、どこから来たのだろう。
  誰が、注いでくれたものなのだろう。おそらくプレスリー世代の母親とは思うが。では、こういう母に、そういう遺伝子を渡したのは、誰?

  大音響の中、汗も時間も気にせずに踊っていると、それだけで何かが抜け落ちて行く気がする。何も考えない。嫌なことも、悲しいことも、もしかしたら実は大切なことも、どんどん、つぎつぎ、流れ出ていく。
  隣りで踊っていて、目配せをくれた人が誰なのか、名前も知らない。でも、笑顔を返す。
  目の前で笑いかける人とは、同じ言葉で話せない。だけど、気持ちは通じる。

  昔、聞いたことがある。
  盆踊りで、踊り手たちが、深い編み笠を被る理由。
「お盆でこの世に帰って来ている人が、もしも混じって踊っていても分からないようにするためだよ」
  教えてくれたのは、祖母だったか。母だったか。
  

      右横は彼かも知れぬ踊りの輪
       朝顔の時を選べず紅に白

  どうして、よりによってこんな朝に咲いてしまったのだろう、と心があれば思っているかもしれない。
  台風の通過している朝。最早、ツルを伸ばしたいだけ伸ばし、巻きつけたいだけ巻きつけているがために、ベランダから室内に避難させることもできない、朝顔たち。
  強風に煽られ、前後左右にいいように振り回されてもてあそばれながら、必死に咲いている。
  花にも、生まれ持った宿命というようなものがあるのかもしれない。
  穏やかに晴れ渡った真夏の朝。ラジオ体操に行くときに子供がみつけて歓声をあげる。
  「今日も咲いてる!。」
  そういう花もあるのに。
  今日のように、悪天候の中、開いた瞬間から暴風と戦うように咲かなくてはいけない花もある。あるいは、家人が旅行などで留守にしている朝に咲くタイミングになってしまう花も。

  朝顔の、花の命は短い。
  その上、同じ日が二度と無いように、同じ花も二度と無い。

  「出逢うときを間違えたのかも。」
  そう言いたくなるような恋に、想いがつながっていく。
  恋が咲いた瞬間から、永遠を望めない関係というものがある。どうにもならなくて、それでも咲きたくて。

  おそらく、恋にも、背負った宿命というものがあるのだろう。このときにしか、生まれ得ない恋の運命というものがあるのだろう。

  嵐が去ったあと。
  無事を確認するために朝顔の前に座り込むと、そこには種があった。何日か前に咲いた花のものだ。花は一日も持たずに散っても、確実に実を残している。それは来年、また鮮やかな花を咲かせることができるのだ。小さな粒の中に、花の未来が畳み込まれているのだ。

  ヒトの恋は、終わっても後に何かを残すことなどできないのに。花とはなんとしたたかで魅力的な営みをするものなのだろう。

  生まれ変わったら、花になりたい。
  そう言ったら、あのひとは一体、なんて答えるだろう。
  
  
   
     夏の庭 生死織り成すタペストリ

  北陸育ちだと言うと、
 「涼しくていいでしょう」
  と言われることがある。そのたびに、
 「いいえ、夏は神戸と同じくらい、暑いですよ」
  と答えてきたが、今回、やはり北陸の夏は涼しいような気がした。
  実家の庭で、大きな石に座って、ぼんやりと空を見上げて。
  空が、近い。
  なぜだろう。
  神戸の家の方が、高い位置にあるのに、地面にくっついている実家の庭の方が、空が近い。
  
  足元に、ネコが来る。
  そして、しなやかに通り過ぎる瞬間、そっと膝に触れて行く。このネコとわたしとの間にだけ存在するたぐいの親密な時間というものがあるのだ。そのことに、少し感動する。

  キュウリと朝顔が絡み合っている。
  紫陽花が夏の激しい太陽の下で枯れ残っている。
  そばのカイズカイブキの葉に、蝉の抜け殻がしがみついた姿勢で残され、そのすぐ脇の湿った土の上に、小さな小さなアマガエル。
  ネコがどこかに行ってしまい、残されたわたしの足元には、たくさんの、蟻の巣。

  街に住み、そこにある季節をみつめて、十分に季節のいいものは揃っていると思う。
  だけど、生き物たちが季節ごとに繰り返すドラマの数は、やはり田舎にかなわない。

  それでも、庭を後にして車に向かって歩くとき、足元の土の柔らかさを感じ、ヒールを気にするわたしがいる。
  
 
    海の日にサザン聴く ふときみが欲しい

  海の日のFMで、サザンオールスターズの特集を聴く。
  
  生きていくのに、寄り添っている音楽、というものが常にあるひとは、幸せである。
  青春のさなかにサザンと出逢ったひとたちの幸福を思うと、ほんの少しだけ、嫉妬を感じる。もうあとちょっと早く生まれて、歌詞の妖しさに足元をすくわれたり、ビートの気持ちよさにエクスタシーを感じたりしたかったな。タイムリーに。
  デビュー当時、小学生だった。ほんの少しのことなんだけど、間に合わなかった感が強い。

  とは言うものの、制服の棒タイがうまく結べなくて、何度も蝶結びを繰り返していたときに、友達とくちずさんだ「栞のテーマ」だとか、大雨の降る深夜に、なかなか終わらない数学の宿題を投げやりになって片付けながら、歌詞の意味に悩んだ「わたしはピアノ」だとか、いちいち青春の細かい場面で立ち会ってくれた歌は数え切れない。
  ピアノで弾いた曲たち。
  吹奏楽向けに、自分たちで生意気にもアレンジした曲たち。
  クルマの中で、キスしながら聴いた歌。
  おなかに娘がいたときに、シマの最南端で身を任せた歌。

  そして、同じ季節を別々の場所で生きてきて、どこかで同じように、このメロデイに彩られてきた思い出をもっているだろう、きみが、ほんとうに欲しくなったりもして・・・。
  
  
     白ワインめく薄暮の空で夏に入る

  梅雨が明けた。
  季節が変わると、季語を集めるのが楽しい。
  ちょっとした遊びであり、頭の体操である。思いついた言葉たちを、自由に浮遊させて楽しむ。

  夏の、季語。

  日傘、噴水、茄子、トマト。
  冷奴、花火、向日葵、朝顔。
  打ち水、夏座敷、夜すすぎ、なんてのもある。
  花氷、かき氷、クリームソーダ、麦藁帽子。
  
  そのうち、「稲川淳二」というのを思いついた。
  
  夏の、季語?。
 

      夕立にまぶたの青で雷走る

  
  どうして、こういう話の流れになっちゃったんだろう。
  あなたはわたしに、「家族の大切さ」を、しきりに説いていた。気が付いたら。
  仕事の話だ。死と生と。医者であるあなたのまわりに、常にリアルに存在している、ヒトという生き物の宿命の話。いや、ほんとは誰にだってリアルなんだけど、そこそこ普通に暮らしていると、いちいち考えない。
  「最期は、やはり本人の気力なんだけど、そこにはやはり家族の力が大きいんだよ。」
  わたしは、唇を噛む。

  たとえばここが、日差しの柔らかな、街のオープンカフェでもいい、大きなケヤキの下に置かれた公園のベンチでもいい、そういう場所であるなら。
  あなたとわたしが、話のよく合う、ガッコウの友達であれば、あるいは、わたしがちょっとした病気の患者で、あなたがその主治医であれば、この話は、ごく普通の一般論として、わたしの中に素直に入ってくるかもしれない。
  だけど、ここは、下町のホテルの一室で、少し離れたベッドには、赤紫の灯りが灯されていて、わたしたちは今しがたまで、その妖しくて安っぽい灯りの下で、お互いの身体をむさぼりあっていた。
  あなたの言うように、人生において家族がそれほど大きな意味を持つというなら、わたしはこんなところにいないで、夫と子供たちの元で、穏やかに微笑んで、お茶でも淹れていなければならないだろう。
  仕事のこと、として話すから、矛盾に気が付かないのだ。
  自分の同じ唇が、他人の家族を崩壊させるかもしれないキスをして・・・キスだけじゃないし・・・すぐに、家族は一体であるべきだと説いているというおろかさ。
  そこにあなたは、気が付かない。

  第一、そんなに家族の必要性を感じているのなら、なぜまだ一人でいるの?
  
  そうたずねようとして、また唇を噛む。
  あなたに、幸せな家庭なんか持って欲しくないわ。
  
  わたしだけが、苦しんでいる。
  逢えないときに無理を言うでもない、帰らなきゃいけない時間には、きちんと帰してくれる。火遊びの相手には、申し分のない男。
  キスが上手で、優しい指で刺激してくれて、こちらの舌の動きに反応してはもっともっとしてくれと楽しむ、そういう愛し合い方のできる男。
  恋人としては、申し分の無い関係。
  だから、ここで踏みとどまらなければ。もっと苦しむことになる。

  だからきっとほんとうは、あなたが苦しむ顔が、見たい。
  あなたが宝物だという家庭の中で、わたしが菩薩のように幸福そうにしていたなら、あなたは、苦しんでくれるんですか?。

  ホテルを出て、暮れなずんでいく原色の街を歩く。
  泳いでいるみたいに、ふらふらと。さっきまで、身体の隅々まで絡み合っていたのに、もうどこにも触れ合えない。
  そして、反対方向のホームに向けて、小さく手を振って別れた、その瞬間、勢いよく、雨が唐突に降り出す。
  滑り込んできた電車の、パンダグラフの上に走る銀青めいた稲妻を見たとき、一瞬だけ、死にたいと感じた。

  

  
     風は無し 夏の涙の行く手にも

  昨日から、なぜかやたらと涙もろくて困る。

  今回、仕事を始めるにあたり、会社と契約を結んだ。
  もともとモノを書くのが好きで、短大で国語を専攻し、ここで教職の真似事をやって、その後、俳句を始めて、それから校正もかじって・・・その間、とにかく「物語」を書き続けてきたのではあるが、日本語を「仕事」にするのは、今回が初めてである。
  好きなことを仕事にできるということは、人間の幸福の中で、かなり高ポイントなことであろう。しかし、好きなことを仕事にしてしまうと、逃げる場所も無くなってしまう。国語が好きであっても、それでお金をもらおうとしなかったのは、そのあたりに意気地が無かったせいである。
  それでも、今回は、やってみることにする。ともかくやって、みる。
  敵は、夏休みだ。初仕事をもらえる予定の週に、幼稚園は午前保育になる。ああ、リーコを何とかしなくては。

  しかし、疲れているのだろうか。
  とにかく、涙が出て困る。
  昨日は、「サヨナライツカ」を読了して、しばらく泣いていた。ちなみに、再読である。二年前に一度、読んでいる。前回、フィーネに言わせたが、わたしも、
 「愛したことを、思い出す」。
  それが、二年前には、どっちだろうか、とかなり悩んでいたのだ。再読というのも、いい。変わった自分に会える。

  夜は夜で、「冬のソナタ」を観て、また泣いていた。
  実は、「韓国ドラマ」にハマっているとされる年代でありながら、それほど、アツクなれないでいたのだ。しかし、結局、ここに来て号泣している。

  さらに、さっき、ベランダで、海の対岸、ネックレスのように連なる灯りを眺めていたら、自然に涙があふれてきた。ただ、オレンジや黄色の光の波に、視線を泳がせていただけのことであるのに。
  ちょっと、おかしい。

  今年は、いろいろなことが身にふりかかる年では、ある。
  思春期じゃあるまいし、いちいち、何かに心震えていてはいけないのだが、このところ、どうも、感情のブレが大きい。 
  この夏、穏やかに過ぎていきますように。
   
     汗にやや甘味あること知るは罪
 
 「人間は死ぬとき、愛されたことを思い出すヒトと
  愛したことを思い出すヒトとにわかれる」
              辻 仁成「サヨナライツカ」より

  
  この前に読んだときには、どちらだろうかと迷った女である。が、今は迷わない。
  愛したことを思い出す。
  間違いなく。

  男は、あさって、タイに向かう。
  「サヨナライツカ」で、豊が沓子に出逢い、愛し合った国へ。
  軽々と旅立つ男が、まぶしい。
  
  そして、旅立つ前に、一度だけでも愛し合いたいと告げるメールをよこす男が、切ない。

  ヒトは、いつ、どこで間違えたのかハッキリと自覚しないままに、あっさり禁断のラインを踏み越えてしまうことがある。
  今、女は、自分たちのそれがいつであったのか、ぼんやりと考えている。おそらく、せわしなく行き交ったメールのうちのどれか、が引き金になっていることは確かであろうのに、それがどれであったのか、分からない。
  自分がそうなることを望んだのか、男の「押し」に負けたのか。
  だけど、気が付いたときには、もう既に、女のしなやかな腕は、男の肩に巻きついてしまっていた。
  
  いや、こういうふうに、考えるのは間違っている。
  このことを、何かの事故のように設定するのは。
  望んで、いたのである。
  年下の独身男、仕事が忙しくて意外に不器用な内科医が、自分を「どうにか」してくれることを。
  
  今回のタイ行きは、バカンスだと言うが、その先にビジョンがあることは、二人のメールが、まだ艶めいたり、赤面したりというような内容に彩られていない時に語られているから、知っている。
  サヨナライツカ。

  あなたの厚い胸板にすべる汗に、そっと舌を這わせて、そのまま、あなたの大好きなことをしてあげる時間に。
  こらえきれずに、小さく声を立てるあなたに構わずに、もっと激しく攻め立ててみたり、逆に突然、すべてを投げ出すように、あなたの上にまたがってみたり。
  そういう行為だけが、愛することだとは決して思わないけれども、愛しても愛し足りないと感じるとき、その気持ちを表す方法として、肌を重ねて苛めるように慈しみあうことは、気持ちを伝える表現のひとつ、それは間違いない。

  
  ケータイが、震える。

  いつか、二人で行きたいね。

  文字を見て、思わず微笑む。
  人妻に言う言葉じゃないよ。
  だけど、そうだね、と打って返す。

  年をとるということは、果たせない約束を増やしていくということなのだと、悲しいほどに理解しながら。
 
     青草の苦き悩みの多きこと

 嫌いなやつの死を願ったことなら、ある。
 交換日記に思い切り悪口を書いていたことも、ある。
 そいつの、少しばかり短く切りすぎた前髪をあざ笑い、好きな男の子にからかわれて、ぶつ真似をするときの、にやけた表情をさんざんバカにした。
 わたしの書く小説には、彼女だとあからさまに分かる悪役が登場し、周りの女の子たちは、別に彼女とうまくいっていなかったというわけでもないのに、その小説を支持してくれていた。だから、図に乗って、バシバシ書いてやっていた。
 
 小学校六年生の頃である。

 あのときのわたしと彼女を見て、担任の先生は「仲が良い」と判断していたと思う。いっしょに帰ることが多く、放課後も遊んでいた。
 そして、わたしは彼女のイヤな部分をつぶさに観察し、嫌だな嫌だな、死んでくれないかなと毎日思いながら、交換日記を悪口で埋め、小説の中で彼女を失恋させていた。

 長崎の事件を知って思った。
 
 なんでわたしは殺さなかったのだろう。

 そして、なんで殺されなかったのだろう。

 わからない。

 ただ、あのとき、彼女にケガをさせるようなことをしたり、皆の前で追い詰めたりしたら、自分に不利だと思っていた。
 死んだら誰もが天使扱いされるのだ。
 彼女が死んだら天使になってしまう。
 あいつが天使なんて絶対に気にいらない。

 悪いのはあの子なんだよ。
 だけど、あたしが殺したら、あたしだけ悪い子って扱われるじゃん。
 それは嫌、絶対に嫌。

 そうだ、だから殺さなかったのだ。それだけの理由だ。

 
 ・・・娘が二人、いる。
 命の大切さ、とやらを教えることはもちろん大事だ。
 が、「殺したい」という少女期の感情を押さえ込むのには、もっと現実的な教育・・・といってわるければ、現実的な手段を教え込む必要がある。
 たとえば、人殺しをして捕まったら、それほどの賠償金を支払わなくてはいけないか、だとかね。
 現実に思春期を乗り越えるって、そういうことなんじゃないだろうか。
 そしてそれはもちろん、それは親がするべき仕事である。
 
    さくらんぼ 乳頭ころがされし頃

 慌しい逢瀬を終えて帰る途中の電車で、「逢えて嬉しかったよ、ありがとう」とメールをくれるのはいつものことだけど。
 そこで「三女をよろしく」には少し、たじろいだ。
 
 わたしには、もう二人女の子がいて、この子たちはもちろん正式に結婚してる主人の子供なんだけど、この先もう妊娠するつもりは無い、というか、無かった。

 そこで、唐突に、そういうことを言うんだな。

 主人ときみは、たまたま血液型は同じで、もしかしてわたしは、どっちの子供なんだろう、なんて思い悩むかもしれないけれど、主人とはこの頃、そんな作業はしていなくて。
 ということは、ここでそうなったら、きみの子なんだよ。

 まだ34で、まだ結婚する気で、だから、そんなこと、冗談でも言っちゃいけない。
 だけど、きみは女を知りすぎてて、逆に面倒くさくなっているということ、それも事実。
 そして、結婚を抱え込むのはいやだけど、自分の子供は欲しいというそんなわがままな気持ちがあるのも知ってる。
 
 しかし、そんな簡単に、自分の子供を生んでくれなんて言わないでよね。

 何で、女の子なのよ。

 と、メールで問い返したら、その方がいいから、それにオレは肉食系だから、という返事。
 肉食系、だと女の子なのかよ。
 ついでに、この前、「知的労働者には女の子の生まれる確率が高い」って聞いたから、まあ、そうかもしれないね。
 
 電車が降りるべき駅に近付く。
 帰るべき家が、近付く。
 女の顔から、母親の顔に、モード変更して。

 そうして、きみの子供なら、欲しいかな、なんてばかなこと考える自分を少し叱りつけて、これだから女は嫌いだな、なんて思いつつ、わざとに駅の階段を早足で駆け上がる。

 フィーネ36才。

 
     五月雨に溶ける低音 医師の声

 
  入院中、一日だけ、雨の日があった。
  病室には、外の雨音など聞こえるはずも無いのだが、時折、部屋のすみの窓を見やると、若葉がしなやかに身をよじるようにして、雨に打たれているのが見えて、そうすると、雨音も聞こえるみたいな気がしてくるのだった。

 「総室」と呼ばれる六人部屋である。
 子供たちが、次々退院しては入院してくる。
 カーテン一枚で仕切られただけなので、お互いの様子は特に興味を持たなくても伝わってくる。
 隣りのベッドにいるのは1才にもならない女の子。
 M医師の声が、低く、流れてくる。

 本来、チョーコの担当は、このM医師であるはずなのだが・・・。

 現在のアレルギー担当医のM医師が主治医で付くよう、きちんと指名しなかったのは、夫の責任である。救急から小児科へ引き継がれるときに、わたしが付いててやればよかった。
 ここであいまいなことをしたので、担当がH医師になってしまった。
 
 このひと、まず、救急で診てくれたんだが、やたら眠そうであった。
 午前六時すぎ、わからなくもないが。赤いフチのめがねの奥の目も真っ赤で、吸入の間中、やたらあくびを繰り返す。
 いよいよ点滴をしなければならない、という段になった。
 この病院では、点滴や注射など、子供が痛がる処置をする際、親は部屋から退出しなければならない決まりである。
 チョーコは左利きなので、左にはしないで欲しいと希望を言って診察室を出た。
 しかし、待てど暮らせど、呼ばれない。
 ようやく呼ばれたのは何分経ってからだろう、とにかく、いったん戸外まで出て、何本かメールを打ってから戻ってさらに五分近く経ってからである。
 しかも思いっきり左手に刺さっている。
 しかも、右手に三箇所も脱脂綿。
 三回右手で失敗して、左手も一回失敗したのか・・・。 
 子供だから暴れた?しかし、呼吸も自力でできかねるほど弱っている子供がそんなに暴れられるものなのか?。

 チョーコは、このH医師が回診で見えるたびに泣いていた。指を指して嫌がるときもあった。
 よほど、「針刺し」に懲りたのであろう。

 このひとは、白衣の下に、マリンブルーのTシャツなんか着こんで、昼間はコンタクトなのか、血の色のフチのめがねは外している。子供と話すとき、しゃがんで笑うとやんちゃそうな笑顔は、まだとても幼い。こういう場合で無ければ、可愛いお兄ちゃんであろう。やや太りすぎの気もするが。
 外来では、会ったことが無い。いつからここにおられるのかも知らない。
 やたら字が汚い。
 「は」が「10」に見える。
 後日、アレルギー担当医の外来の際、引継ぎでこのひとの字を解読するのに、M医師は本当に手間取り、その沈黙に耐えられなかったのか、診察室の隅で見学していた「研修生」の名札をつけた男の子(わたしから見て)が、次第に船を漕ぎ出す始末。
 その日、隣りの診察室には院長せんせいがおられたので、ふいにこっちに来られて彼の居眠りがバレたらかわいそう、何とか起こしたいけど、刺激ったってスカートめくるわけにもいかないし、チョーコが、
「おにーちゃん、寝てる!」
 なんて叫んだらどうしよう、なんていろいろ気を揉んでしまった。
 
 H医師、しかし、なぜかやたらと入院中に顔を合わせた。
 主治医なので回診時は当然なのだが、「デイルーム」と呼ばれる面会部屋で、レデイコミを読みふけって「挿れて・・・」なんて言い方があるんやーなどと知識を深めていると、チョーコじゃない担当児の様子を診にふらっと入って来られる。
 これが「電池が切れるまで」や「プライマリケア医のための最新栄養学」なんか読んでいるときには、来ない。
 廊下で、すっぴんで歩いていると、向こうから来る。
 前のベッドの「体重が重すぎて気道が圧迫されて喘息になっちゃった赤ちゃん」のお母さんと仲良くなり、「針刺し失敗」について思いっきり悪口を言っていたら真後ろに立っていた。

 主治医との相性の良し悪し、というのはある。
 が、一般的に言うような意味とはまた別のラインで、このひととは相性が悪かったのであろう。
 
 しかし、書きかけていた話の「レイン」のキャラ設定が、実はこのひとに近かったのである・・・。こいつは痛いよ。
  
   病院は白き繭なり 人波に染まらずありき 黄金週間
 
 
 チョーコの入院は、ちょうど、ゴールデンウィークと重なった。
 なので、主人と交代で看病することができて、良かったのでは、あるが。
 病院は、家から走れば5分、という距離であるから、病室の窓から見えるのはいつもの街であり、病院を一歩出ればそこにあるのは、いつもの道、である。
 交代のとき、自宅に帰ろうと外に出て初めて、その普段とはまったく違う、人の多さに「ああ、そうだ、連休だったんだ」と気が付く。そんな感じだった。

 入院中の、いろいろなこと。

 何か危機が訪れたとき、結束が固くなる関係と、崩壊する関係と、人間関係には二通りあると思った。
 そして、退院したら、離婚する、とまで思った。
 最初の数日間。
 両腕に違和感と熱と痒みを覚えて、ふと見たら、おびただしい数の発疹を認めた。
 このあと、ようやく・・・はっきり言えば主人とその母親・・・は、「何か」思うところがあったらしい。
 けど、わたしの中にある塊は、苦い珈琲に放りこんだ角砂糖の溶け残りみたいに、わだかまって残っている。
 
 どうしてだか、「お話」ではどうにでも書けるのに、「日記」では、明るい話しか、書けない。

 またしばらく「お話」になるかもしれないけれど、それは、そういうふうにしか書けない、わたしの病気みたいなものである。
 
 ただ、入院中、メールをいただいた方、本当にありがとうございました。
 もちろん、病院内では、ケイタイは切ってある。
 しかし、外で「つながった」ときの心強さと言ったら、思いがけないほどだった。
 自分がこんなに「つながってる」ことを意識して生活しているとは思いもしなかった。

 ・・・チョーコ、今夜は久しぶりに熱も無く、咳きこむ様子も無い。
 まだ幼稚園には行かせられないけれども、ようやく落ち着いてきた感じ。
 今日、思い切って、3月まで主治医だったせんせいのところへ連れて行った。
 診察のとき、名前をちゃんと呼んで、優しく頭を撫でて、
「ここまで来てくれたん?」
という言葉があって。
 「癒し」ということを、久しぶりに強く意識した。
      点滴に新緑洗ふ雨のいろ

 チョーコ、退院しました。
 当初の予定が延びて、足掛け8日。
 いろいろ励ましていただき、ありがとうございました。

 しかし。
 まだ、状態は良くないのです。
 喘息の発作はカンペキにおさまっているのに、微熱と嘔吐が続いていて・・・。
 こういうときには、どうしたものか・・・。

 結局は、病院、と言うか、担当のお医者さんと、患者の(幼児なので、患者の家族)信頼関係だとは思うのですが、血液検査して、予想と違った結果が出ても、どう説明し、説明されるか。
 こっちも主治医のせんせいが替わったばかりで、しかも主人のミスで、アレルギー担当医じゃないせんせいに診てもらうことになって、ということもあり、困ったことになってます。

 まあ、いずれにしても、月曜日までは様子見るしかないのですが・・・。

 「秘密」は、皆さんのを読ませていただいてから、書きます。
   
     先生の髪の香りも夏の薔薇

  リーコ、小学校はじめての家庭訪問。
  先生は、まっすぐな髪をなびかせた、美しいひとである。
  ひとこと、
 「リーコさんって、マイペースですよね。」
  が、重いことこの上ない・・・。

  ところで、この訪問予定時間ぎりぎりに、友人からメールが入った。
  「今から先生が見えるので、また後で書きます。」
  と、返事を送ったところ、
  「えっ。なんで先生がお昼に見えるの?もしかして、禁断の関係?。」
  と、返信があった。
   ・・・柔軟な発想、と言うべきか。
  このときの気持ちは、ほとんど感動。

 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ところで、チョーコが、喘息の発作および肺炎を起こして入院しました。
  これは帰宅して五分ばかりで書いています。
  しばらく書けないかもしれません。
  でも、早くいつもの生活に戻りたいです・・・。
  主治医のせんせいも変わって間も無いというのに。
  かなしいです。
     よつ葉探し 思ひ出探し 白つめ草

  
 「フィーネとレインの話」から、今日は離れて。
 リーコのこと。

 新一年生になって、変わったことはいくつかあれど、一番変わったのが「お付き添い」しなくてもいいようになった、ということであろう。
 ひとりでうちを出て、集団登校の待ち合わせ場所までひとりで行き、帰りもひとりで帰って来る。
 これが幼稚園児だと、いちいちお見送り、お迎え、である。
 その必要が無くなった。
 
 公園にも、一人で行くようになった。
 頃合いを見てお迎えには行くが、基本的に友達同士で待ち合わせて遊びに行く。
 ところが、ここで、ひとつ問題が生じた。
 リーコは、まだ上手に自転車に乗れないのである。
 一年生ともなれば、大抵の子が自転車で移動する。
 なので何とか幼稚園のうちに、ちゃんと乗れるようにしておきたかったのであるが、間に合わなかった。
 
 「ママ、今日は自転車で行く、ってお約束したから。」
 と、いきなり言い出されたとき、困ったな、と思った。あぶない、と言って止めさせるのは簡単だ。しかし、「お約束」である。子供の世界でも「お約束」はやはり守られるべきものであろう・・・もちろん、常識の範囲内で、の話ではあるが。

 「・・・分かった。自転車で行けばいいよ。でも、ママがついて行く。」

 そういうことに、なった。

 想像していた通り、危なっかしいこと、この上ない。
 いったん走り出せば何とか走るのであるが、こぎ出せない。止まれない。
 走り出すまで、あちこちふらふらし、止まるまで、よたよたする。
 幸い、公園には公道を通らず、マンションの敷地を抜けて行くことができる。自分もひかれそうになりながら、ついて行く。

 さて。
 自転車を停めて遊び出したので、こっちはチョーコの相手をする。
 こいつは3才児なので、ほっぽり出してはおけない。
 そんなに広い公園では無いが、子供たちが走り回ったり、ボール遊びをしたりは十分できる。
 新緑が、まぶしい。
 オウバイが、黄色い花をいっぱいにつけている。
 地面にはいつのまにか、白つめ草がいっぱい。
 ハナミズキが、淡く桃色に光っている。
 ライラックは、紫色の房をゆらゆらと風に任せ、コデマリは、通りがかる子供たちに「おいで、おいで」をしている。
 しばし、植物の輝きに目を奪われた。

 そのとき。

 ワーッ!
 ・・・と、歓声が聞こえた。
 声は、複数の子供たち。
 数本のユリノキを囲むようにして造られた小道の方から聞こえて来る。
 何気なく見て、慌てた。
 「リーコ!。」
 リーコが自転車で暴走している。そのまわりを何人もの子供たちが併走している。自転車に乗っているのはリーコだけ。あとの子供たちは、必死で走り、よく見ると、リーコの自転車のハンドルに手をかけている男の子がいる。
 つまり、ひとりの男の子が、リーコの自転車を引っ張って走らせ、そこに群がるようにして、子供たちがついて行っているのだ。
 「あぶない!。」
と、思わず叫んだとたん、皆が倒れ込む。大変!
 しかし。
 駆け寄ろうとして、止めた。
 笑っているのだ。
 みんな、笑っている。
「・・・あと、もう少しやんか。」
「もっと、思い切って行かんと。」
 男の子も、女の子もいる。みんな息を弾ませて笑っている。
「もういっぺん、やってみよ。絶対、乗れるようになるからな。」

 リーコの友達が、自転車の練習を手伝ってくれているのだ・・・。

 さらに、家に帰る時刻になったとき、小さな自転車の前かごに、白つめ草の花束があるのをみつけた。
 「みんなが、よう頑張ったな、って、くれてん。」

 
     アザレアの波の甘さにたちすくむ

 つつじの花が、気が付くと街中にあふれていて驚く。
 この花たちの開花準備が、真冬のうちから始まることは知っている。小さな小さな突起が、枝の先に据え付けられて寒風に震えているのを、時々見ていたから。
 そうして、その固くねじられたものが蕾であることがはっきりと分かるくらいになると、春。
 しかし、その頃の街の主役は桜、つつじたちは、ひっそりとその足元で出番を待つ。
 
 つつじミサイル。
 
 柔らかな布をきゅっとねじ上げたような、蕾の群れ。

 花散らしの雨が降り、暖かな風が吹き荒れ、そうして、ある夜、いっせいに開く。

 街は、つつじの国になる。

 「好き、って言って。」
 「好、き。」
 「もう一回。」
 「・・・好き。」
 唇をむさぼりあいながら、好き、と何度も言わせる。
 
  好きだから、好き、って言うんじゃないんだよ。
  好き、って繰り返しているうちに、本当に好きになっていくんだよ。

  あなたの上に身体を重ねながらそう口にすると、あなたのきれいな二重の瞳が優しく揺れて、笑顔になって、
 「・・・好きって言わせようとしてるな。」
 と、ささやいた。
 
  そうよ。

  好き、って言わせようとしてるよ。

  好き、って言わせて、好きにならせて、その先に何があるのか、何も無い。

  いつか、結婚する気があるのなら、そういうテクも覚えておいた方がいいよ・・・・。

  そんなことを言おうとして、いたずらな指につかまってしまって、もう何も言えなくなる。
  
  目を閉じて広がる、つつじの群れを感じる。
  身体を重ねる関係に落ちていくことが開花なら、その先は、散るだけのこと。
  真冬に出会い、ひとことずつふれあい、そうして開いたふたりであれば。
  いずれは、散るただそれだけのこと。
  梅雨の雨に打たれてみにくく茶色に変色し、もうそこに鮮やかな花の群れがあったことさえ忘れられる、そういうことだ。

  好き、って言いなさい。
  わたしを大輪の、真っ赤なアザレアにして。
  あなたの気まぐれな腕の中で。
  

  激しく揺さぶられて、雄雄しい花になる。

  

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