イースターエッグ重くて 罪深き

 十畳ほどのサンルームに、春の日がいっぱいに差し込んでいた。
 壁にもたれて、窓際の花鉢を見ている。
 大きなサンセベリアの鉢にもたれて眠っていた、ペルシア猫が、巨体をゆすってわたしのそばに来る。
 にゃ。
 小さな声。
 のどからおなかにかけての柔らかさを楽しみながら、軽くもむように撫でてやる。
 気持ちよさそうに、目をつむる猫。
 
 その顔を見ていると、「レイン」の顔を思い出す。
 あの最中、いつ見ても目を閉じていたレイン。
 
 「ママ!。」
 娘の声がして、わたしは「フィーネ」から、「ママ」へと引き戻される。
 「なあに。」
 「あのね、犬のおまわりさん、弾いて!。」
 「ピアノ?。」
 「うん。弾いて。」
 「・・・ピアノは、パパに弾いてもらいなさい。」
  わたしが、この家でピアノを弾かないのには理由がある。
  婚約式の後、両家の両親ときょうだいが揃って、夫の実家であるこの家に集まったときのこと。
  夫の母親が、わたしに何か弾くように勧めた。
  とまどったが、簡単な座興になれば、と思って、ベートーベンの小品を一曲だけ、弾いた。
  夫の家族は、おおげさなくらい拍手をしてくれた。
 「すばらしいわ。ほんとうに上手なのね。」
  夫の母親は言い、そうして、夫にも続けて弾いてごらんなさい、と笑った。
 「えーっ、いやだよ。オレなんか、バイエルしか終わってないんだから。」
 それでも、しぶしぶ、といった感じで、
  「じゃ、オレもベートーベンで行きます。」
 そして弾いたのは「エリーゼのために」。
 夫のピアノを聴くのは初めてだったが、難なく弾いている。やはり、それなりにきちんとレッスンを積んでいるのだ、そういう家庭に育ったのだ、と思わせるのには十分な出来であった。
 しかし、その後。
 一同の拍手に、大げさに頭を下げてみせた後で。
 ピアノの前から離れずに、数節だけ鳴らしたそれは。
 ショパンの「雨だれ」。
 鍵盤の上を走り回るしなやかで的確な指を、わたしは唖然として見ていた。
 何が「バイエルしか終わってない」よ。
 難易度Dクラスの難曲を、すらすら弾いてみせられるくせに。
 
 あのときから、一度も、わたしはここのピアノには触れていない。
  
 向こうの部屋から、娘たちが夫をけしかける声がしている。
 猫の耳が、神経質にぴりぴり動く。
 その耳の後ろをそっと掻いてやていると、ようやく「犬のおまわりさん」の前奏が聞こえてきて、娘たちの大きな歌声が響いてくる。
 もうじき、夫の母親が帰って来る。
 日曜日のミサの後、母親だけが、神父さまに用事があると言って教会に残ったのだ。
 カトリック信者である夫とその家族。
 そうして、このわたしは信者では無い。
 もしかしたら、娘たちの「幼児洗礼」の話がまた出るのかもしれない。
 先日のイースターのミサのときも、その話が出た。
 ひとつの宗教を、それがその家庭の宗教だからといって、小さな子供に押し付けるのは、わたしは反対だ。
 けれど、そんなことはそうはっきりとは言えない。
 結婚のときにも、わたしが信者ではないことを、あれほど気にしていたひとたちなのだ。
 くどくど同じところを巡り始めた姑の話に、相槌だけは打ちながら、わたしは手のひらの上のイースターエッグを弄んでいた。
 
 ゆでて彩色された玉子は、ひやりと冷たくて、手になじまない。
 案外重く感じるのは、わたしが神の前で罪深い女だからなのかもしれない。
 
 夕べ、初めて、「姦通」の罪を犯しました。
 しかも、わたしは、その記憶と、まだたわむれています。
 「レイン」。今日は日曜だけど、仕事だと言っていた。
 彼が仕事をするところは、うまく想像できない。
 わたしの中の「レイン」は、わたしを抱く、というよりも、わたしに抱かれて、静かに目を閉じている、ひとりの男。
 それだけのこと。
 罪が、始まってしまった。
  
     胸元のプレートに吹く春の息

 ひとを隠すのには、ひとの中がいい。

 それでも、ことの終わったあと、こんなに離れて歩くのは、やっぱりいやだと思った。
 
 あなたは今、夢を語っているのに。

 自分なりのビジョン、自分なりの考え、いつか答えを出したいこと、必ず挑戦したいこと。
 30を過ぎた、おとなの男の、抑制の効いたおとなの夢。
 早足について歩いて行きながら、うなずいている。

 街は、ひとであふれている。
 どこから来て、どこへ流れる。
 車のクラクション、路上ライブのギター、高音にブレのある歌声。そういったものが、あなたの話し声に入り混じる。
 
 寄り添えない。

 「内科医レイン。34歳。茶髪で、胸元にはテイファニーのネックレス。医者のくせにタバコを吸う。それを言うと、そんなこと、言われたことが無い、とうそぶいた。」

 「専業主婦フィーネ。36歳。幼い子供が二人。会社員の夫と四人でマンション暮らし。染めていない長い髪。趣味は読書。料理も嫌いではない。はじめての浮気を終えたばかり。」

 ・・・街に、溶けている二人のデータ。

  いわゆる「出会い系」で出会い、三ヶ月近く、短いメールを交換し、ようやく「直メ」の関係になったのは、二週間ばかり前。

 34歳の未婚の医者である。「出会い系」なんかに登録しれば、女の子に不自由は無いでしょう、とたずねれば、素直にうなずく。
 「だけど、医者だから、というだけで近寄られるのは、いやなんだ。」

  仕事の話が続く。
  街の喧騒の中、時々怒鳴るような声になる。寄り添って肩でも抱いてもらえば、こんな不恰好な会話にはならないだろうに。

 それが、できれば。

 横道から、いきなり自転車が飛び出し、そのときだけ彼の腕がわたしの肩を押さえた。

 あなたがわたしに心を開くのは、わたしが「ハンター」では無いからなのね。
 少しでも条件のいい伴侶を求めてさまよう女の子とは違うから。
 そう、別にあなたがほんとうに医者でなくても、かまわないのよ。
 そんなこと、全然かまわないのよ。
 
 さっき、ベッドの上で溶かしあえた時間、裸のふたり、あれがすべて。
 
 わたしは、あなたをつかまえない。
 その権利がない。だからあなたは安心して、こうしてわたしに心を開く。

 胸元のネックレスには、大き目のプレート。ひっくり返すと、何も書かれていない。
「いつか、ほんとうにいっしょに生きていこうと思うひとの名前を彫り込む予定。」
 だから、今は。ただのゴールドプレート。
 
 首筋から乳首に舌を這わせるとき、そっと息を吹きかけたのを、快感の波と遊び始めたあなたは知らないでしょうね。

 ジェラシーというのでは無くて、そう、多分、ただのいたずらなんだわ。

 夢の語りは続く。
 駅が見えて来るまで。
「さよなら。またね。」
 と微笑んだとき、
「クールだな。」
 と、ため息をついていた。

 だって、仕方ないでしょう。
 あなたの腕にはつかまれないのよ。
 あなたの夢には、寄り添えないのよ。

 
  
   チューリップ 園児の列は揃はずに

 ・・チョーコの入園である。

 末子が幼稚園の制服を着ている姿が、これほど感動するものだとは思わなかった。
 これで、子供たちは、とりあえず、母親べったりでは無い生活に入るのである。これまでとは違い、母親の知らない世界、もしかしたら知らない顔、を持つかもしれないが、そうやって手元を少しだけど、離れるのだ。
 これが、どうしても寂しい、というひともいる。
 「寂しいでしょう」
 とも、よく聞かれた。
 しかし、これは、もうまったく寂しくは無い。
 それぞれの世界で、楽しく生きたほうがいい、その方が絶対にいい関係を持てる、と思うタイプの母親なのだ。
 
 先月まで、長女のリーコが通っていた園であるから、大体、要領はわかっている。
 はじめてのお子さんの入園で、ドキドキしているお母さんの、何と初々しいことよ。
 とても若い。
 いや、実は仲良くしているひとから聞くと、意地悪にも本当のトシを教えてくれたりして、それがほとんどわたしと同じか少し上ってこともあるのだが・・・若々しい。
 やはり、初めて、というのは大切なんやなあ、と入園式受付の列で背筋を伸ばしたり、してみる。

 この園は、少子化社会の中にあって、冗談みたいに園児が増えている。
 入園式は、ものすごい数の新入園児たちでいっぱい。
 あちこちで泣いている子がいる、座っていられなくて、保護者席まで彷徨し始める子もいる。椅子から落ちる子、椅子ごと倒れそうになる子、ものすごい騒ぎだ。
 
 動物園のゴハンの時間を思わせる騒ぎで式が終わると、今度は外に出て、園庭で記念撮影。
 またこれが、おそろしく時間がかかる。

 この前の卒園式のことを思い出す。
 きちんと椅子に座り、背筋を伸ばし、両手をそろえて微動だにしなかった卒園児たち。
 入園の、この、阿鼻叫喚の群れが、三年もすると、あれほどの集中力を身に付けるものなのだろうか。
 
 子供というのは、成長する生きものなんやなあ。心から思う。

 でも、今はまだこれでいいんだよな。
 何せ最初の一歩である。
 そっと、羽根の下から出してやって、また羽根の下で眠らせて。
 その繰り返しでいいのである。

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 先日の「桜蘂降る」は、手元の歳時記では、
「桜の花が散ったあとで、ガクに残ったシベが散って落ちること。散ったシベで地面が赤くなっているのを見かけることもある。」
 と、あります。
 桜の花は儚く散ってしまいますが、そのあと、しっかりサクランボの実を付ける様子を見ていると、桜のしたたかさに感動したりして。
 
 ちなみに、張り切って書いた割には、どうってことなかったですね(笑)。恐らく、「そのものずばり」の言葉を使えないからだろうとは思いますが・・・。
 あるいは体験不足か(笑)。
  

 
 (本日、18禁。いやらしいのがお嫌いな方は、読まないでくださいね。この日記、お前が言うほど過激じゃないよ、と言われて、受けて立ちたくなりました。挑戦してやる。)

   
      物騒な下着の色 桜蘂降る

 「・・・不良になるからね。」
 
 と、一言つぶやいてから、彼の上に身体を重ねた。ベッドの下には、紅色の下着。普段はまず絶対に身につけないもの。
 はじめての、年下の男。
 だからと言って、リードしようなどとは思っていない。
 怖気付きそうになる心をはやらせるために、こちらから責めるだけ。
 でも、どうして、このひとの身体は、こんなに、どこもかしこもあたたかいのだろう。
 くちびるも、てのひらも、胸板も、男のくせに、そこが一番感じるのだと言う小さな乳首でさえ、唇でころがせば、あつく熱が伝わってくる。
 
 腰のあたりを撫でる手のひらも、湿り気を帯びてやたらと熱い。
 そのまま、わたしの身体の中にすべりこんでくる器用な指先。
 まだ十分に、潤ってはいないはずなのに、探り当てられた一点の確かさに、思わず声を立てそうになる。
 このままでは、負ける・・・。

 不確かな、出会い。
 人妻であると知ってて誘うような男。
 短いメールの内容が、少しずつ崩れだして・・・。
 会ったのは、さっきが初めて。
 
 それでいて、不自然じゃない。
 
 とんでもなく真面目なところと、おそろしくふしだらなところ、どちらも併せ持っている、そういう二人の、始めての情事。

 ・・・男を口に含んでみる。
 相変わらず、わたしが、またがっている体勢。あせって押し倒すことも無く、こちらの反応を楽しむ表情が憎らしい。
 だから、思い切り強く吸い、高まるのを確認してから、今度は舌先で優しくなめていく。
 時々、唇でしめつけて。
 いたぶるように、かわいがるように。
 もうすぐ、迎え入れることになる、いとおしいものを、にくらしいものを。

 「ヤバイ。」
 そうつぶやく声、いきなり押し倒される。
 足元に口が近付くのは、無理やり止めさせる。これはあんまり好きじゃない。
 それよりも、その指が欲しい。
 自由自在に動かせる、やたら器用な指先で、わたしをかきまわして欲しい。やさしく、はげしく。

 キスが、降りてくる。

 「サクランボのヘタを、口の中で結べるひとは、キスが上手なんだよね。」

 あれは、いつのメールだった?。

 あのときは、まだ、キス止まりのはずだったんだよね。
 こうして、こんなふうに抱き合っているけど。
 あのときには、桜が咲き始めていたばかりだった。
 なまめかしい文章を液晶に彫りこみながら、まだ見たことのない唇を思った。
 
 いま、このホテルの窓をきまぐれに開けたら、散り果てた花の代わりに、何千もの桜しべが、アスファルト一面に降り注いでいるだろう。
 サクランボを実らせる準備ができて、花の雄たちは、一斉に散り果てる。

 そうして、いま、あなたの桜蘂が、わたしの花芯を貫いて暴れだす。
 
 さっきまでの穏やかさの全く感じられない、力まかせの振動が小さなわたしを突き動かす。
 声は立てない。
 立てないつもりが、我慢できない。
 右手で口を押さえれば、あなたはその手をシーツに押し付ける。その荒々しさに、悔しいけど感じる。
 もう長いこと立てたことの無い声が、空に舞うのを聞く。自分じゃないみたい。

 そう、これは自分じゃない。
 
 夫以外の男と、お茶すら飲んだことの無いわたしが、名前すらちゃんと知らない男の身体で飛翔する。
 男の目に浮かぶ、一瞬の冷静さ。
 確認する間も無く、動きが激しく、激しくなる。
 ああこういうとき、いったいどうすればいかせられるんだった?。
 早く果ててくれないと、壊れそう・・・。

 
 
 
 
    入学式リボン揺るるは孵化のごと

 入学式。
 先日まで、幼稚園の「年長」だった子供たち、そこでは、「いちばんのおにいさん、おねえさん」として、それなりに厳しくしつけられ、毅然と行動することを言い渡されていたのだが、それが嘘のよう。
 小学校では、何という幼さ。

 それでも、椅子にかけてピンと伸びた背筋に、彼らの集団生活が、ここから始まるのではないことを、かろうじて感じ取る。
 新しい、スタート。
 
 六年生に手を引かれての入場。二年生の歓迎の合唱。
 その落ち着きと、まとまりに向けて、今から新しい生活に入る。

 少女たちは、おしなべてリボン。
 髪や、服の上で、揺れる。
 式が終わって駆け出した校庭のあちこち、花吹雪の中で、くるくると回る姿。そのどこかで、ヒラヒラと揺れる。
 
 生まれたばかりの蝶のように。

 

 卵のあなたをあたためて育てた。
 やさしく揺り動かし、あたためて慈しんで。
 時に、放り出したくなっても、そういう自分を責めながら世話を繰り返した日々。
 まだ、羽根は乾ききっていないけれど、もう、ひとりで飛べるんだよ。
 あなたの、蜜を探して行きなさい。
 あなたの、仲間をみつけなさい。
 あなたの、行きたい場所を考えて。
 そうしていつか、
 あなただけの王国にたどりつきなさい。

 生まれたばかりの、蝶に向かって、春の風はやさしい。

 
      春薔薇の匂い濃ければ涙ぐむ

 
 「アクセス元表示」が、面白くてよく見るのだが、その中でなんと「主治医に恋」というのがあった。
 これは行かなきゃ、というわけでいってみると、なんと、恋愛お悩み相談室、みたいなところに行き着いた。これが面白かった。実に。
 相談者には悪いんだけどね。

 35歳主婦のお悩み。
 「大病を患って入院し、病は癒えたものの、別の病にとりつかれました。
 担当の主治医の先生に恋してしまったのです。
 でも、35歳、夫、子供ありではどうしようもありません。
 一体、どうすればいいのでしょうか。」

 これに対して、コメントがずらずらーっと25件。
 そのほとんどが辛らつなもの。
「オバサン、年考えろよ。」
「もっと、自分の家族を愛しましょう。」
「そんなの、相手は何とも思っていないに決まってるじゃありませんか。悩むだけムダですよ。」

 ・・・悪いけど、大いに賛成して、大いに笑った。

 人妻であっても、こころ惹かれる相手に出会うことはあるだろう。
 しかし、それは、原則、心に秘めて、誰にも迷惑をかけないように大切に自分の中でだけ暖めている、そういう恋では無いのかと思う。
 例えれば、それは、運命の神様から、大きな薔薇の花束をもらったようなものである。
 抱きしめて香りを楽しみ、そうして水をたたえた花瓶に生けて慈しみ、楽しむ。
 けれど、薔薇が美しいのは、確実に枯れるからである。
 どんなに丁寧に水切りし、大切に水を替えていても、確実に花は色あせて、花びらが、ひとつ、ふたつと散り始める・・・。
 そうしたら、静かに、騒ぐことなく捨てる。
 そういうものだと思う。

 この「相談者」に反感を感じるのは、35歳はともかく「夫、子供ありではどうにもなりません」のくだりである。
 なんで「どうにもならない」のか。
 どうかなる、とでも思っているのか、もしかして。だからそういう言い方になるのだ。大した自信。
 まあ、いい。
 あなたがものすごく魅力的か、相手がものすごくテキトーなやつだったかして、不倫の関係を持ったとしよう。
 が、それでも「どうにもならない」ということは無かろうが。
 二人だけの秘密として、密かに咲かせていればいいことである。勝手に恋しているのだから、夫、子供なんか関係ないでは無いか。
 もしかして、そういう存在が邪魔になるほど、深い関係になれるとでも思っているのか。
 たまたま主治医というだけの、そんな関係の男と?。
 当然、今のところは片想いである。そういう物騒なことは、関係が深まってから考えるたぐいのことでは無いのか。

 友達が「不倫は絶対に汚い恋にしかならへん」と言ったのは、こういう女が勘違いして騒ぎ立てるからだろう。
 

 密かに恋して、いつしか終わる。
 そういう恋なら、汚くは、ない。

 ところで、このコメントの中では「女医」さんの、
「あなたは診察室だから、彼の魅力を過大評価しているのです。魅力は、白衣五割増し、と考えるべきです」というのが、なんか面白くてかなり長いこと笑っていた。

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 ところで、書き忘れたのですが、先日の日記にある「場所」は、島の「北口」駅近く。「アダムとエヴァ」の彫刻からもらったインスピレーション。
  

   おぼろ月 くちつけのためだけに逢ふ

 「キスがすき」とメールをくれた男が、キスのためだけに、あたしを呼び出して。

  あたしは、明日の晩、美術館の上の、坂の上まで出かけて行く。
 
  夫と子供を煙に巻いて、それだけのために、音のしないくつをはいて、夜を走る。

  キスだけだと、彼は書いて寄越す。
  明日は抱かない、と約束する。
  では、なんのためにキスをするのかと問えば、言葉を交わすかわりだと言う。

  夫の唇には、もう何年ふれていないことだろう。
  抱き合って、身体の一番ふかいところでふれあっても、唇だけは、ふれ合わない。
  
  からだはふれない、くちびるだけのために。
  そのために夜をいそぐ。
  花吹雪の舞う小道を抜けて。白々明るい駅を横目に。

  からだをゆるして、くちびるはゆるさないのと、
  くちびるだけゆるして、からだはゆるさないのと、
  ほんとうはどちらが、ふれあったことになるのだろう。

  美術館を見下ろす丘の上。
  禁断の果実に手を伸ばす、二人の男女の像がある。
  そこで交わすキス。
  はじまりなの?おわりなの?。
  
     花冷えやミサの詠唱川面まで

  四旬節第五主日のミサが行われている。
 
  ヨハネによる福音。8章1節から11節。
  神殿にいるイエズスのもとに、ひとりの女が連れてこられる。
  姦通の現場でとらえられたのだという。 
  イエズスに反する人々が、イエズスをわなにかけようと目論みる。
  「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか。」

  姦通すれば、男女ともに石で打ち殺される、それが律法の掟。
  
  イエズスは答えない。
  が、しつこく問い続けられて、ついに口を開く。

  「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」
  これを聞いた者は、一人、また一人、とその場を立ち去り、ついに、イエズスと女と、二人だけになる。

  

  神父さまのお話は、イエズスをわなにかけようとした人々と、イエズスとのことに終始している。
  けれど、わたしは、この女のことばかり考えている。
  青いステンドグラスを通して、柔らかく春の日がお御堂に差し込んで来る。
  教会は川べりにあり、川べりには桜並木。
  ミサの間にも、すこしずつ、花は開いているだろう・・・。
  
  そこにいる中で、神の子イエズスだけが、女に石を投げる権利がある。しかし、イエズスは石を投げない。
  「わたしもあなたを罪に定めない。行きなさい。これからは、もう罪を犯してはならない。」

  聖書はこの後のことには触れていない。

  女はどうしただろう。

  この後。

  姦通罪は、男女同罪。
  しかも、死刑にされるほどの罪である。
  二人は、よほどの覚悟があって愛し合っていたのだろう。
  とすれば、女は、本当は、石で打ち殺されることこそ、本望だったかもしれないのだ。
  愛する人と共に。
  しかし、引き離され、衆人の目に晒された。
  イエズスに赦されても、戻るべき場所など、ないだろう。

  罪を背負って、女はどこでどうやって生きたのだろう。
  愛人とは再び逢えたのだろうか。
  しかし、逢えば、それはイエズスの言葉にそむくことになる。

  遠い昔。聖書に記された、ひとりの女のこと。
  詠唱が始まっても、わたしの心から離れない。

  
  
  
  
    うそつきの大人も吹けばシャボン玉

 ギリシャのコロッセウムを思い起こさせる公園。半円の石のスペースをすり鉢状の階段が見下ろす。
 子供たちが、すり鉢の一番下の部分で、ボール投げをしたり、キックボードで走ったり、思い思いに身体を動かしている。

 三十を回った女が一人、その姿を見ながら、シャボン玉を吹く。
 
 ・・・後悔を抱きながら。

 どうして、本当のことは、何も言えなかったのだろう。

 ポットに入れたアールグレイが、カップでほどよく香るまでの時間。
 砂時計の、桃色の砂が、さらさら落ちて行くだけの時間。
 「返事をください」なのに「もういいんです」と言い、
 「さびしいんです」なのに「だいじょうぶです」と言い、
 「また会えますね」なのに「お元気で」と言った。

 嘘つき。

 あなたの職場の方に向け、シャボン玉を飛ばしてみよう。
 本当の言葉をできるだけ閉じ込めて。

 返事をください。
 さびしいんです。
 また会えますね。

 だけど、どの言葉たちも、あなたのところまでは届かない。
 いくじなし。

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 「シャボン玉」で、毎年、書いてますね。
 で、よく考えたら、いつも同じ公園で作った句なんです。
 一番最初は、ブランコで考えた。海の高層マンションを見上げて、不倫相手の住む家まで想いを飛ばす話。
 二番目は、ベンチに座って。別れの話。
 そして、今回は、「子供ランド」の石の上で思いついた。
 
 どれも、なんだか儚い話。
 でも、シャボン玉って、どこか心から明るくないものみたいに思えるのです。
   海の手のコール・ド・バレエ ゆきやなぎ

 
 以前、友達が言っていた。
「不倫の恋は決してきれいな恋にはならないんだから、好きになったら、いちいちきれいかどうかなんか考えてないで、汚くてもとにかくぶつかるしか無いのかも、よ。」

 不倫は汚い。
 で、ひとりものの恋はキレイ。
 そうなのかな。

 とわたしがギモンに思ったのは、かつて、二十代の頃、少しでもいい条件の「結婚相手」を探そうとする同世代の女の子たちが、決して「きれいな恋」をしていない、と感じたからである。

 二年ほど前、この「日記」で「連載」を書いてみたことがある。
 あのとき、「身体の相性はいいのだが、結婚という形にはそぐわない」二人、というのを書いてみた。
 今回、その逆を書いてみようと思い立った。

 きれいな不倫を書く。

 そう考えた。

 そんなもんあるのか、と思った。結局、きれいに不倫させるにはヒロインは「片想い」でいるしかない、ということに思い当たって・・・その通りになった。

 あえて「連載」にしなかったのは、決して何も起こらないということがあらかじめわかっていたから。
 ヒロインの心象風景は、季節の中の素敵なものから拾った。
 季節の風、花、ひとがつくったアート、そういうもので、彼女の切なさを表現する。
 それだけの話。
 そうしなくては、きれいな不倫の話には、やはりならなかった。

 人工島に住み、しかもひどいときには三ヶ月に一度くらいしか、本土に行かない、そういう生活。
 俳句を作るのには問題は無かったが、ヒロインの生活がそのまま、わたしの生活と重なるのはしんどかった。
 入り過ぎて、最後の方、地面いっぱいに蜂蜜でも流してその上を歩いているみたいな、べとべとした感じになった。
 
  お読みくださった皆様、ありがとうございました。
 

  「じゅんこちゃん」。
  ここまで読みに来てくれてありがとう。
  そうですね、ご指摘の通り、この一連の「日記」を読んで、一番ブッ飛ぶのは、チョーコの主治医でしょうね。
  ただ、彼だけが「虚構」であるということも分かるはずなので、そのあたりはまあ、万が一読まれたとしても、大丈夫かな。
  そう、現実のわたしは、両側から娘たちに押し寄せられて、きゅうきゅうになって寝ています。さらにその上からダンナが降って来る、というような無茶はしていません。
  恋を通して何かを書くのが好きなんです。
  それだけのこと。
    人魚風 霞のヴェールかざしゆく

 
  きのう、娘が一枚、自分で書いた誰かの似顔絵を持って来て、
  「せんせい、だいすき、って書いて。」
  って言った。
  さすがに泣きたくなった。

  ごめんね、残念だけど、それは渡せない。こっそりごまかしておいて、後で捨てるしか無い。

  ママもね、「せんせい、だいすき。」って言いたかったんだよ。ほんとはね。だけど、言えなかった。

  最後まで、伝えられなかった。

  雨上がりの空を、うす青い色が彩り始める。
  薄墨色の雲が、風に大きく押しやられて・・・。
  シルバーカラーの人魚は、透明な瞳でわたしを見下ろしながら、大きく広げたしなやかな両腕にヴェールを掲げて高く、高く、雲を、追う。
  
  じっと見上げていると、小さな女の子になったみたいだよ。
  人魚の像の上を、流れる雲をみつめているだけで、時間が逆流するの。
  
  晩夏の黄昏時、降りてきた恋を、早春の風の中で空に返す。

  さよなら。
  わたしは、貴方を、卒業します。

  
    
      宵口に白木蓮の酒盃かな

  暮れなずみ始めた港を見ています。
  ケーソンの灯りは吐息のように点滅を繰り返し、ビルの群れはどれも煌く窓を抱えて、その輪郭を宵闇に溶け込ませ始めています。

  貴方も、この景色を見ていてくだされば、と思います。

  もう、お会いしないことでしょう。
  そんなふうに考えると、とてもつらくなります。でも、きっとその方がいいのです。
  
  貴方に出会えて、恋を感じて。
  そう、結婚して初めて、恋をしたのです。自分でも信じられないけれど。そうして、それは、何も求めない恋だったし、これからもそうです。
 
  たったひとつだけ、時々、ふと思い出して下されば・・・。
  この街のこと。
  貴方の職場の窓から見える、港の灯り、街のため息。沈丁花の歌、桜のダンス。つつじたちの行進、渡り鳥の乱舞。
  水遊びをする子供たちの歓声。
  秋には、降りしきる団栗の雨。
  そこに、一ピースのパズルみたいに埋め込まれた、小さなわたしのことも。

  

  昨日が最後だったと思う。
  何事も起こさず、微笑んで、静かに会釈をして、部屋を出た。
  泣かなかったことを、誉めてやりたい。
 
  だけど、その夜、夫に求められたときには、こらえきれなくて涙があふれてしまった。
  一体、女が男の腕の中で飛翔するには、何が必要なのかしら。
  その男を愛していれば、いい。
  でも、他に愛している男がいたならば。
  どうして、その瞬間、触れている肌で飛翔することができるだろうか。目をつむって、こらえるしかない。その欲望が通り過ぎるまで。
  あるいは頭の中で違う男を想い、その存在だけを頼りに身体を開けばいいの?。
  だけど、そのひととは・・・。
  何も、無かったというのに。

  何も無かった、無かったけれども、ほんとうに、すきだった。心から、想っていた。
  

  「ごめんなさい、今夜は止めて。」

  今夜は、どうしても嫌。
  夕べそんなふうに言ったから、夫には今日、抱かれなければならない。
  二人の間に何かあれば、これは罰なのだと甘んじて受けよう。
  だけど、何一つ起こらないで終わる恋なのに、こんなに苦しい目に遭わなければいけないものなのかしら。

  白木蓮が、夜目にも白々と浮かび上がっている。
  それはまるで、酒盃のように見える。
  このままふらふらと木蓮の下にさまよい出て、そのまま白い酒を思うさま浴びて、冷たい地面に横たわって死んだように眠れたら。
  どんなに、いいかしら。

  
   貴方が、この街からいなくなるまで、もうあと一週間。
   
  
     原石をひとつずつ抱き卒園す

  リーコ、卒園。

  そもそも赤ちゃんの頃から、保健所で厳しくチェックされるような子供だった。発育が遅い、言葉が出ない・・・。三年保育にしても、大丈夫かな、とぎりぎりまで悩んだ末の入園だった。
  入園式では、年中組のお遊戯の、恐竜のコスチュームがこわい、と言って大泣きしていた。
  小食で、給食が多いと泣いていた。お弁当も少なめにしないと食べ切れなかった。
  言葉も相変わらず遅かった。
  「こいのぼり」の唄は、「おとうさん」のところしか唄っていなかった。
  
  それが三年経って、みちがえるほどにたくましくなった。
  鼓笛で、物干し竿なみのガードを振り回して歩けるほどに、発表会で、全曲を一人でも歌って踊れるほどに。給食をクラスで二番目に食べきれるほどに。

  わたしは、何もしなかった気がする。
  
  ただ、立ち会っていただけ。

  日々、そのときにやらなきゃいけないことに追われていただけ。ただ、それをこなすことに必死だっただけ。
  見えない手が、たぶん助けてくれていたのだろう。
  丈夫で、三年を通して、欠席したのは五日ほど。
  幼稚園が、大好きだった。
  先生に、思い切り甘えられる子で、お迎えに行くと、必ずと言っていいほど、誰かの先生に抱っこされているような子供だった。しあわせだったね、三年間ずっと。

 
  卒園式で、いつもはやんちゃばかりしている男の子たちが、しきりに涙をぬぐっているのが、胸に響いた。
  
  人生は、さよならの繰り返しなんだよ。

  でもね、さよならしたくない、と思えることに出会えることは、とても大きな喜びなんだよ。

  自分にも、言い聞かせて。

  春風が、いっぱいに園庭に吹き渡っている。
  卒園の子たちの胸につけられた花が、微かに海風に揺れていた。
  あなたたちは、ダイヤモンドの原石。
  胸にひとつずつ、備わっているのが見える気がする。
  これからも、たいせつに守っていきたい。そんな、殊勝な母親になったひとときだった。 
     ホワイト・デイ 薔薇と吐息を贈られて

 バレンタイン・デイの句で、
     チョコ渡すはにかみ笑ひ 白き梅
 と書いたら、
 「これは、ホワイト・デイ?」
 とたずねられて、ああそうか、その方がいいかもね、と思った。
 「はにかみ笑い」は、少年の方が、絵になりそう。
 しかし、チョコ、ね。

 バレンタイン・デイには、チョコレートを贈る、ということに、何となくなっている。「正統派」はチョコレートだろう。
 じゃ、ホワイト・デイは?。
 昔はマシュマロ、と言われていた気がする。が、マシュマロをお返しにいただいたことは無い。
 そもそも、決まっていないのかもしれない。となると、返す方は、あれこれ考えなきゃいけないってこと、ですね。
 
 近所のホテルのショップには、ホワイト・デイ向けのデイスプレイで、薔薇のジャムだとか、色とりどりのマシュマロを透き通ったボトルに詰めたものだとか、ラベンダー色の花びらにしか見えないバブルバスだとか、そういったものが、高々と盛られたアートフラワーと一緒に置かれている。
 それだけ見ていても、お返しは何、と決められてはいない印象である。

 娘のもらってきた「お返し」も、男の子のお母様が、あれこれ考えてくださったのだろう、キャンデイにかわいらしい文具が添えてある。小学校に上がるから、ということだと思う。

 銀行に勤めていた頃は、融資部署で、男性が多かった。バレンタイン・デイは、そういう意味では大変だったが、ホワイト・デイは、なかなか面白かった。
 「選べるお返し」という趣向だったのである。
 融資係の女子行員数名が、それぞれ、包みを選ぶ。包み紙は同じで、外からは分からない。が、中身はみんな違うから、大きさも、重さも、それぞれ違う。
 人妻で同期のリオちゃんは、一番大きくて重いのを選んだ。
 中身は、梅干し。
 わたしが選んだのは、「プーさんのテイッシュケース」であった。今も部屋に置いてある。

 これもあの時代。
 恋人、と言えないような、それでも時々は会う、という関係の、男がくれたお返しは、大きな薔薇の花束だった。
 それを、ベッドから見える角度に置いて、眠りに落ちるときと、目覚めるときと、自然に視界に入るように飾った。
 部屋には、甘くてどこか虚ろな香が鎮まっていた。
 
 薔薇と眠り、薔薇と目覚める。息が詰まりそうに濃い、存在。それでも日が経つにつれて、花弁は開き、花びらは色あせ、床に破片となって散り始める。
 いつかは、失われるから、美しく、甘い。気付いて、不安になった。

 そしてその恋は、それから数ヶ月で、終わった。

 
  
     春の海武装解除で横たわる

 久しぶりに、海辺まで出かけて、ぼんやりとしてみた。
 
 どこからか、シャボン玉の群れ。春の日に透けて、虹色がゆらめく。
 遠く、街が霞んで見える。
 観覧車と、ビルの群れと。
 
 近くで、子供たちの歓声。
 たくさんの犬たちが人に混じってくつろぐ。
 風は、いつからこんなに甘くなったのだろう。

 空の青は、まだ白っぽい。
 高い高いところに、一本だけ、飛行機雲。

 わたしは。

 どうして、物事の核心だけを確かに打ち落として、ものにすることができないのだろう。

 清濁併せ呑む、そして、そこから、真実を抽出する。
 そんなふうにしか書けないのは、どうしてなんだろう。
 
 そのくせ、実際に核心に触れそうになると、傷つくのがこわくて逃げてしまおうと、する。

 わたしには。

 ほんとうは、何も書けないみたいな気がする。
 いくじなし。

 いくじなし。

 だから、不倫の恋なんか、絶対に、できないんだよ。

 絶対にね。


  心配してくれた方々、ありがとう。

  でも、だいじょうぶです。
     うつむきて咲けど春蘭気付かれり

 初めて貴方に会ったときのこと、とてもよく覚えています。
 二つの診察室の左側、貴方の名前を見つけたとき、正直、どうしよう、って思いました。
 あの頃の貴方について、わたしの周りでは余り良く言うひとがいなかったから。
 無愛想だとか、ケンカを売るような話し方をする、とか。貴方のせいで、病院を変えたというひとまでいたのよ。
 だから、本当は、娘の担当が貴方なのは、困った。

 けれども、実際に話してみたら、わたしには、悪いひとには思えなかった。
 確かに、子供を相手に仕事をするには不向きだな、とは思ったけれど。
 アレルギーのことをほとんど知らない様子の母親であるわたしにも、あきれたように、ほとんど怒った口調であれこれ説明しましたね。
 ひるみました。
 だけど、その分、とても熱く語られましたね。
「喘息を完治するのは、根気がいるし、大変だけど・・・一緒に治していきましょう。」
 そう言われたときには、本当に嬉しかったのよ。

 発作が起きたとき、咳が止まらない小さな子供は、眠りの淵を抜け出せないまま、苦しんで泣く。
 泣くから余計に息苦しくなることが分からないからもっと咳はひどくなる。
 そして、うるさい、と言って夫が怒り出す。
 怒られるから、余計に子供は泣いて、だから余計に苦しくなって・・・。
 あのつらい夜明けを繰り返している母親ならば、そういうふうに「一緒に治す」と言われることが、どんなに心強いことか、分かるでしょう。

 なぜだか発作はいつも未明に起こる。
 まだうす暗い部屋の中、子供の涙にまみれて、小さな背中を抱きしめながら、いつも貴方のことを思うようになりました。
 それは、貴方にとって小児科医としての、当然の「決まり文句」であったのかもしれない。恐らくそうなのでしょう。
 それでも、いい。
 貴方は、わたしのおまもりになった。

 定期的に、特別外来に通うことになり、一月に一度は顔を合わせるようになって。
 貴方は、いつも、ゴムの抜けたソックスをはいていたり、髪が伸びているのにほったらかしだったり、逆に短く切りすぎてなんだかおかしかったり、した。
 娘は次第に貴方になじんで、いつしか診察のたびに良く笑い転げるようにさえ、なった。貴方も、自然に笑顔を見せてくれるようになった。
 発作は時々起きたけれど、もうわたしは平気だった。
 貴方が、助けてくれると分かっていたから。

 そうして、いつしか、貴方に、恋している自分をみつけた。

 それは、どんなにわたしを戸惑わせたことでしょう。
 違う、と思いたかった。娘の具合が悪くなると、貴方に会える。そういう関係もつらかった。
 それから、貴方の指。
 節くれの無い、ほっそりした綺麗な指。
 髪も足元もめちゃくちゃなのに、指だけは、いつもきちんと手入れされていて。

 触れたくなって、困った。

 喘息を持つ子の母親が、主治医の小児科医に恋をする。
 本当は、よくあることなんじゃないか、と思う。
 喘息に限らず、難病を抱えた子を持つ母親が、そういう気持ちになるのは、よくあることじゃないかと思う。

 そう、そういう母親たちは孤独なのだ。

 でも、よくある話だから、わたしはうぬぼれたくなかった。
 貴方の優しさは、単なる職業上のもの。
 それ以上でもない、それ以下でもない。
 一ヶ月に一度の、診察室での時間。それも、たったの十分足らず。
 それだけで、いいと思っていた。
 片想い。
 
 そして、ヴァレンタイン。
 娘から手渡したのが、わたしの気持ちだと、貴方は微塵も気が付かない。
 ただ、次の外来のとき、なぜか貴方がわたしの目をのぞきこむのが、怖かった。
 そんなに近付かないで。
 いつか、取り返しのつかないことを仕出かしそうで、怖い。

 そして。
 取り返しのつかないことをついにやってしまった。

 それは、先週。
 貴方が、病院を変わることになった。
 突然知らされたこと。
 泣かないでいるのが精一杯で・・・気が付くと、貴方の手に触れていた。
 
 わたしはわたしが信じられない。
 でも、本当に、してしまったこと。

 転院治療、ということができるらしい。
 病院を変えて、主治医について行く。
 
 わたしの過ちは、もしかしたら、その可能性を自分で無くしてしまった、ということだ。
 貴方は、わたしがしたことを、知らんふりしてくれたけれど・・・付いてこられるのは迷惑、そう思っていても不思議じゃない。

 娘は、今のせんせいがいい、とハッキリ言う。
 なのに。
 
 
 次の外来が、今の病院の最終外来になります。
 そのとき、貴方は、どんなふうにこれからのことを指示なさるのでしょう。
 何を言われても、きちんと聴こうと思っています。
 貴方は、娘の主治医なのだから。

 だけど、帰り際に、一通お手紙を渡します。
 そこには、ずっと言えなかったわたしの想いがあります。
 貴方ともう会えないにしても、また違う診察室で会えるとしても、その想いが現れるのは、その手紙が最後です。
 それで、いいのです。
 
 貴方は、娘の主治医で、わたしの、おまもりなのだから。
 それだけ、なのだから。

 
   

     アクセルを踏ませずに見る春の月

 貴方に家庭があることは、分かっていた。
 「抑え切れない想い」というものを初めて知った。
 
 自分ひとりの想いならば、静かに抱えていこうと決めた。
 そのとき、ふいに誘われたのだった。
 
 遠い三月。

 貴方は、黙って車を走らせ、車は何の面白みも無い、古びた国道を北上していた。
 中古車屋ばかりが目につく道。
 店を開けていても入る人はいるのだろうか、と不思議に思うほどに汚れた看板が出ている喫茶店。
 そうして、そういう片側二車線のでこぼこしたアスファルト沿いに、最早消えかかった雪のかたまりが、いくつも黒く汚れてあった。
 踏みつけたら、じゃりじゃりと、音を立てて崩れるはず。
 冬を飾っていた主役の最期。

 そうして貴方は、突然ウィンカーを作動させて、人気の無い山道の入り口で車を止めた。

 自分で自分を追い込んで。
 くちびるからは、欲望しか感じないはずだった。

 でも。

 ・・・こうなったら、楽しむしかない、と覚悟を決めた。
 決してきれいな恋じゃないから、とことん、楽しむしかない。
 いずれ、離れて行くときまで。

 「貴方には家庭があるから、わたしは、貴方の邪魔はしない。障害にも、ならない。」
 そう言った。
 喜んでくれると思った。

 けれども、貴方は、とても淋しそうに笑った。わたしは自分が「こんなことはもうやめて。会うのは止しましょう」と言ってしまったのかと思った。
 貴方の口元に浮かんだのは、哀しみを含んだ、切ない微笑み。
 唐突に怒りにかられた。
「貴方はずるいわ。本気にならないように、一生懸命自制しようとしてるのに。」
 

 貴方と会わなくなって、十年近くが過ぎた。
 今は遠い街で暮らすわたしは、液晶をじっとみつめている。
 年下の男が語りかける。

「あなたには家庭があるから、その邪魔や障害には絶対になりたくないですけどね」

 わたしの口元に浮かんでいるのは、遠いあの日の、貴方のものと、たぶん、まったく、同じもの。

 
 
  
     くちびるはニオイスミレの花びらに

  あなたが、いなくなる。
  
  いつかはこのときが来ると予想はしていたけれど、こんなに突然のこととは思えなかった。
  壁に貼られた一枚の通達。印刷されて整った、ありふれた文字。そこにあるあなたの名前が、霞みそうになって、慌てた。
  いけない。
  こんなふうに、取り乱してはいけない。

  でも、いつも通りに向き合ったとき、あなたの、男のひとの指とは思えないくらいに、白くてほっそりとした指を見たとき、この指に触れたくて、でもどうしてもだめだと自分に言い聞かせ続けていたその指が静かに目の前にあるのを見たとき・・・

  ふと、気が付いたら、あなたの手をそっと握ってしまっていた。

  ・・・イカナイデ。

  あなたの名前を、まるでお守りみたいに、たいせつに抱きしめながら、苦しい夜明けを乗り越えて来ました。
  そうして、あなたの名前が、息苦しい夜明けのときだけではなく、いつも忘れがたくわたしの心に留め置かれるようになって・・・。
  片想いしているのです。
  そうして、それは、決して、決して、あなたには知られないようにひた隠してきたというのに。

  最後の最後になって・・・抑え切れなかった。なぜ。

 「・・・さあ。」
  
  あなたは何も気が付かなかったように、そのままわたしの手を載せたまま、いつも通りの仕事をして、そして、優しく次の仕事に移った。
  密室ですら、無かった。背の高いあなたの身体に隠れるようにして、たった5秒のことだった。

 「実は、今回、転勤が決まりまして・・・。」
 「もう、ショックで、口も利けないですよー。」
  冗談めかして大きな声で笑いながら、でも、それこそが真実。

  人妻の、恋は。
  もうそれだけで完結している、さびしい物語。
  ひたむきに咲き続けても実ることの無い、ニオイスミレのように。
      走り出て鎖骨で受くる桜雨

  「あ、桜雨!。」 
  いきなり、ベッドを飛び降りて、ベランダに出る。
  愛し合ったあと、どちらからともなくまどろんでいた。眠りの中、静かに、静かに、雨の音にゆり起こされて・・・。

  「だめじゃん、風邪ひくよ。」
  彼の声が眠そう。36階の部屋。夜風はまだ冷たい。でも、どこか甘いよ。
  出会った頃は冷たかった貴方みたいだね。
  「ほら、これ。」
  差し出されるシーツ。どっちかの移り香がする。どっちもの?。
  「中に入るんだ、早く。」
  「い、や。だって、桜雨に打たれると、綺麗になれるんだよ。」
  「桜雨?。」
  「そう。かたく閉じた桜の蕾を目覚めさせる、春の柔らかな雨。それに打たれて、綺麗になるのもっと。」
  風が強くなってきた。雨も激しくなってきた。寒い、やっぱり。でも、濡れてみたい、思い切り。
  「もう。」
  彼の声が、甘く怒っている。「入れ。」
  「いや。」
  
  シーツを巻きつけて、しばらく立ち尽くす。
  むき出しの肩にかかる、雨の束。シーツは濡れてしまって、もう用をなさない。
  
  「いい加減にしろよ。」
  ついに、後ろから捕まえられる。
  「もう・・・これ以上、綺麗になんか、ならなくていい。綺麗になられたら・・・。」
  そして、彼の口が、鎖骨のくぼみに溜まった甘い雨を飲む。
  「綺麗になられたら、困る。」

  ・・・ここまで、お話。ここからほんとのこと。
  やせた。
  ・・・ということは、わたしの場合、鎖骨で分かる。ふと見たらかなりくぼんでいた。
  やつれた。
  チョーコの風邪が長引いたからだ。わたしのせいだ。
  小児科の診察室は三つあって、そのほかに点滴などを行う処置室、というのがある。それらは、入り口はそれぞれ別なんだけれど、奥ではつながっている。だから、少し大きい声で話せば、内容は筒抜けである。
  最初に具合が悪くなった日、処置室にいたら、診察室の方から、母親と医師の会話が漏れ聞こえてきて。
  なんだか知らないけど、やたらと母親の声が甘ったるくて、医師に媚びているのだった。
  妙なところに拘るので、昔から損をするのであるが、このときもそうだった。
  なんだかイラついて、その日の診察は一応ちゃんと終えたのであるが、次に具合が悪くなったとき、診察に連れて行くのをためらってしまった。
  小児科の医師は、もちろん、子供を治療しているのであるが、相手にしているのは、その保護者みたいな気がする。保護者との、まあ言ってみれば、相性、それで実際の患者である子供との関係が決定付けられる。そして、診察室における保護者とは、圧倒的に母親が多い。
  可愛いわが子、であるから、何としても楽にしてやりたい、というのは当然なんだけど。なんだか嫌。媚びたり甘えたりそういうのは・・。

  なーんて思っていたら、ごめんね、チョーコ。また発作かなあ。

  鎖骨のくぼみにシャワーのお湯を溜めて、男に飲ませる話は、どこかで聞いた。
  なので、わたしはヒロインの恋人に雨を飲ませることにした。
  わたし自身の鎖骨のくぼみに、何が溜まろうとも、そういうドラマは訪れないのだろう、もう。
  そして、チョーコの上には、もしかしたらやがて、そういう出来事があるのだ。
  ごめんね。
  明日、まだ咳が止まらなかったら、吸入に連れて行ってあげるから。

    
     思ひ出のやうに菜の花ほろ苦し 

 
 毎年、この時期必ずつくる、菜の花漬け。
 熱湯をさっとかけた菜の花を、みりんと昆布と塩とで漬け込む。炒った白ゴマを加えることもある。
 一晩、寝かせて。
 おひな祭りのチラシ寿司を盛り付けたお皿に、そっと載せると、泣きたくなるくらい、きれいな色合いになる。
 そして、そっと口に入れて噛んでみると、そのほろ苦さに再び、なんとなく泣きたくなる・・・。

 ふきのとうにしろ、菜の花にしろ、早春の野草たちは、どうしてこんなに苦いのだろう。
 この季節に重ねてきた別れの記憶とリンクして、悲しくなってしまう。
 それでも、蓄積された悲しみの記憶に、取り乱すことは、もう、無い。
 むしろ、そういう離れがたいものを、自分があんなにも持っていたのだ、ということに、静かな喜びさえ感じたりする。

 子供たちは、菜の花を食べない。
 それは、思い出を持ち合わせていないからだろう。
 ほろ苦さを楽しむだけのものを、抱えていないからなのだろう。

 ところで、毎年、一パック菜の花を買ってくると、中に必ず咲いてしまっているのがある。
 黄色い花を食べてもいいのだろうが、なんとなく、料理できない。
 食材として扱われることを、花が拒否しているみたいに思えるのだ。
 なので、花開いた茎だけは抜いて、花瓶に入れている。
 今これを書いている傍らで、雄雄しい黄色の光を視界の片隅に押し込んでくる。
 他の茎たちは、もう食べてしまった。
 菜の花としては、どっちがしあわせなのだろう、などと、詮無いことを考えてみたりする。
 答えなんか、出るはずも無いのに。

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